ルンバ。

3月20日月曜日

 昼にAちゃんが、「ちょっと渡すものがあるんだけど」と言ってやって来て、何をくれるのかと思いきやそれは無印良品のゼリービーンズだった。「無印のゼリービーンズが一番おいしい」というのが以前からの彼女の主張で、「じゃあ、そのうち食べてみるよ」と言いながらも全くその気配を見せない僕にしびれを切らせて、遂にAちゃんはそのゼリービーンズを買って来てくれたのだった。

「これならポイフルの方がおいしいよ」

「でも、ポイフルってグミでしょ」

「えっ、あれゼリービーンズだよ」

「グミよ」

「っていうかゼリービーンズってグミじゃないの?」

「違う」

「違わない」

 僕は無印良品のゼリービーンズの袋を裏返す。すると原材料には「寒天」という文字があった。グミはゼラチンから作る。つまり、ゼリービーンズはグミではなく、従ってポイフルはグミであってゼリービーンズではない。
 僕は、「ゼリービーンズが好きだ」と、随分長い間主張して生きてきましたが、それは間違いでした。
 僕が好きなのはゼリービーンズではなくて、単にポイフルだったというわけです。
 自分がゼリービーンズ好きではなかったなんて、自分でも驚く他ない。知らないことだらけだ。

 そのあと、随分と長い間話をして、僕はノビノビと就職活動をしている彼女にいくらか影響を受けて、もしかすると1つくらい会社を受けるかもしれない、という状態になりました。


3月21日火曜日

 1時に京都タワー下のスターバックスで待ち合わせて、Oの通っている日本語教室の人達と10人くらいでハイキングに出掛けた。山科までJRで行って、それからハイキングコースを通って大文字山銀閣寺へと抜ける。
 セルビア人(?)のSさんが、アメリカが地震製造装置を持っている云々という変な話をするので、僕ら日本人は「まさか」と言っていたのですが、アメリカ人のRとOはそのことを知っているようで、「そうそう」といとも当然かのように話を合わせている。そのあと、とても久し振りにニコラ・テスラの話をした。日本に入ってくる情報というのはかなり国際的なスタンダードから外れているような気がした。
 大文字山から京都市街を見渡し、西安が京都のモデルだよ、ということを中国人のRさんにいうと、全然似てない、とあっさり否定される。もちろん、僕たちは現在の町並みのことをいっているのではなくて、土地の使い方というか都市の配置自体、つまり風水のことを話していたのですが、Rさんによれば全然違うとのこと。

 銀閣寺で解散し、僕はRと松ヶ崎まで歩いて帰った。彼女は僕より1つ年上の画家で、この夏にはカリフォルニアだかどこだか、アメリカへ帰るということだけど、日本語がとてもうまい。それでも込み入った話はできないので、ときどき複雑な話になると僕たちは英語と日本語をまぜこぜにしてかなり回りくどい説明を繰り返した。でも、「人間の思考は五感によって限定されている」という基本的な問題意識を僕たちは共有していたので、思わぬところで時々は異常にうまくコミュニケーションがとれた。

 一度部屋へ戻って、10時頃から百万遍のリンゴで、Yちゃん、J、O、I君、Cちゃん、Nちゃんと軽くお酒を飲む。Jはイギリス人のプログラマーで、僕はこの日が初対面だった。彼は京都が好きで、そう思っているともともと勤めていた会社が倒産して、新しい仕事先が京都になったという、願いが叶うこともあるのだということをそのまま体現したような仕方で日本にやってきたとのこと。
 Yちゃんは3時から本格的に店の常連達と飲む、といっていたけれど、僕らは一足早く帰った。

 今日はたくさんの新しい人に会って、彼ら彼女らは研究者だったりデザイナーだったりカメラマンだったりシェフだったりアーティストだったりエンジニアだったり、子供の頃はそうではなかったけれど、大人になると新しく出会う人が大抵なんらかのことに関して深い造詣を持っていたり、面白い仕事をしていたりして、興味深いと思うと同時に、まだ何者でもない自分自身を恥かしいと思う。