ベットに入ってジェシーはカフカを、マリーはボーグを。

2006年3月7日(火)

 Aちゃんと昼ごはん。最初はスーパーマーケットに行って材料を買い、そして家でホットサンドを作ろう、と言っていたのですが、予定が遅れて時間がなくなり、カナートに行く途中で進路を変更してエアーでランチを食べた。
 風だけはまだ微かに冷たいけれど、暖かな日差しに浮き上がった高野川はもうすっかりと春の色合いで、人々は散歩し、僕らはそれを眺めながらパスタやカレーやケーキを食べる。

 Aちゃんが目薬を買うというので、大学に戻る前にドラッグストアに寄ると、近くのバス停のゴミ箱からモクモクと煙が立ち昇っていて、誰も消そうとしないのでAちゃんがドラッグストアの店員に言って消してもらった。どうしてゴミ箱からモクモクと煙が立ち昇っているのに、平気な顔をしてバスを待っていることができるのか僕には理解できない。

 大学に戻って図書館に寄り、その後、教務で成績をもらう。それから研究室。

 夜はHと待ち合わせていたので西院へ行き、ツタヤでCDを試聴しようとしたけれど、僕の選んだCDは試聴機にバーコードを読ませても、悉く「このCDは試聴できません」とのアナウンスが流れるだけなので、いい加減にうんざりとしてスターバックスへ入って少しだけ論文を読む。

 最近、したいこととしなくてはならないことが山積していて、僕はプログラムが貧弱なロボットのように右往左往して、まるで前へ進めない、という状態にあるのですが、茂木健一郎さんが、これから書く予定の本に関して「毎日すこしづつでも書いていこう」というようなことをブログで書いていらっしゃるのを読んでなんとなく霧が晴れた。

 毎日少しづつ、というのは当たり前のことだけど、僕にはなかなか難しくて、誰かにそんなことを言われても全くその気にはなれない。それでも、茂木さんのような人が「毎日すこしづつ」とおっしゃると、影響を強く受ける。
 僕はもう10年近く前に読んだ彼の「脳とクオリア」という本でずいぶんと大きく物事の考え方が変わったので、以降、彼の言動には影響を受けないということはない。

 言葉というのは、「何を言うか」ということの他に「誰が言うのか」ということがとても大きなファクターになっている。ときもあるんだな、と思いました。