静かに混雑した世界。

 「老人には、本当は若い人間には見えないものがたくさん見えている、だけど、それを言うと”ボケた”と思われるだけなので黙っている」

 というような文章をどこかで読んだことがある。
 たとえば、死者だとか、この世界から既に失われてしまったように認識されているもの。それが老人には見える。
 でも、「ケンジ、たしかにポチは死んでしまったけれど、でも本当はポチはまだここに座っておるよ。おじいちゃんにはよく見える」なんて言うと、孫のケンジはおじいちゃんがボケたか、それとも単に自分のことを慰めようとしてくれているだけなのだろうと考える。
 だから、彼は何も言わない。ポチとこっそり目配せをして、そうしてケンジが泣くのを見守るしかない。
 もしも本当ならば、なんて優しくて素敵なことだろう。

 そして、僕はこの話の半分を信じている(さすがに、まだ全部というわけにはいかない)。年をとるということは、僕には想像もできないくらいすごいことなんだと思う。この世のものではないものが見えたって、そんなに不思議だとは思わない。

 実は、今日僕は病院に行ってきました。
 別になんてことないのですが、ちょうど盲腸の辺りに3ヶ月くらい違和感があったので、いい加減に診てもらおうと思ったわけです。生まれて初めて採血というものを体験しました。僕が渋い顔をして、「これ、はじめてなんです」というと、看護婦さんは笑いながら「あっちでも向いて見ないようにしててもいいよ」と言うけれど、でも気になって見ないわけにも行かない。当たり前ですが、血って出そうと思えば沢山出るものですね。
 まだ検便も提出しなくてはならないので、検査の結果が出るのは来週になりそうです。まあなんともないとは思うのですが。

 閑話休題
 たしか村上春樹さんがどこかに書いていたのだけど、

 「物語というのはある意味この世のものではない」

 僕はこの言葉を聞いたときに結構な衝撃を受けた。とても正確で、しかも当然で、でも誰も本当の意味は考えたことのない言葉。

 物語というのはこの世のものではない。
 そして、この世とあの世はそんなに遠いものではない。