風鈴。

 見えないものが多すぎてイライラとする。本当は何もかも全て僕たちの目の前にどうぞとばかりに投げ出されているのに、僕にはそれが見えない。僕たちに見えるのは目に見えるものと、それからちっぽけな想像力と思考の辿り着くところだけで、それはこの世界の端までは届かない。論理の始まるところには論理で切り込むことができない。さらに論理は五感に束縛されている。

 僕らは自分達の住んでいるこの世界を見ることができない。

 もしも本当に僕らの住むこの世界を見たいのならば、僕たちはこの世界の外側に一度出てみなくてはならない。だけど、僕らは僕らの住むこの世界を出ることはできない。もしも出ることができるというのなら、そこはまだ僕たちの住む世界の続きであって、本当の外側ではない。

 マイルス・デイヴィスの名盤「クッキン」。ピアノはモダンジャズピアノにおける左手バッキングスタイルを確立したレッド・ガーランド。彼は元プロボクサーだ。バッキングとジャブはそういえば似ている。音楽とボクシングの幸福な組み合わせ。

 扇風機から送られてくる風を、僕は涼しいと思う。
 大昔の人は空気なんて知らなかった。21世紀初頭に生きる僕はそれが窒素や酸素や二酸化炭素の混合物だと知っている。それは分子であり、さらには原子であり、ひいては電子や陽子や中性子、もっともっと分解してクオークレプトンに集約され、さらには物質波のことを思うと一体この風はなんなのか分からなくなる。
 得体の知れないものを僕は浴び、そして心地良いと思う。

 涼を得る。体を冷やす。
 でも本当はこの世界に温度なんてものは存在しない。
 あるのはただ粒子の振動だけだ。その激しさを僕たちは温度として認識する。

 グレープフルーツジュースとビールを1対1の割合でグラスに注いだ。
 それからアボガドを丸々2個食べて、ピアノはハービー・ハンコックに代わる。

 それにしても、ジャズの人はみんなファミリーネームとファーストネームが似ているような気がする。

 ビールをいくら飲んでも、渇きは癒えない。
 そうして、夜が明ける頃に僕達はようやく気が付いた。

 「乾いているのは喉ではない」

 そこへ通りがかったジェシーが言った。

 「じゃあ何さ、乾いているものって? 喉じゃなきゃ」

 「ジェシー、僕らにそれは分からないんだよ。残念ながら」

 「なんだよ、それ、インチキか」

 「違うんだ。乾いているのが喉でないことは確かに分かるんだ。でも、何が本当に乾いているのかは誰にもわからないんだよ」

 「インチキだろ。やっぱり」

 僕たちはジェシーにビールをやった。
 乾杯はしなかった。
 それから、まだ暗い通りの中へと歩き出した。道端の野良猫は眠りに戻るところだった。