山水人。

 はっきり言って、そこはほとんど楽園だった。
 10日の夜から、僕はM君と滋賀県は朽木の山奥で行われた山水人というイベントに行って来ました。
 イベント自体は8日から12日まで、5日間行われていて、ライブだとか写真展だとか、そしてレイブ(伝説的なゴア・トランスのDJゴア・ギルが10日の夕方から11日の夕方まで、20時間以上もぶっ通しでトランスをかけてくれる)があって、なかなかの数出店された屋台ではサイケデリックな服だとか、アクセサリーだとか、あと安くておいしい食べ物がたくさん売られていた。
 きれいな川が流れていて、飲める水が湧いていて、自由な格好をした人々が集い、そこかしこで音楽に合わせて体を動かし、飲み、食らい。子供たちが走り回り。犬も老人もうろうろと会場を散歩する。
 まるで、1960年代のピッピー達のコミューンだった。
 もう一度言うけれど、そこは本当にほとんど完璧な楽園だった。

 M君の車で、僕たちは夜の7時に京都を出発した。
 生憎、曇った空からは雨が降り落ち、それからときどきは雷も東の空で光っていた。でも、どんなに雨が降ろうとも、僕たちは山水人行きをやめやしない。

 まずは白川のオートバックスに寄って、車のウィンカーを交換して、それからランタンに使う電池をついでに買った。

 滋賀へは途中越えで向かう。
 大原のサンクスによって、ビールとワインと水とお茶、食べ物を買い込む。
 滋賀に入ると、道がよく分からなくなる。頼りになるのはフライヤーに書かれた簡単な地図だけだった。でも、それで僕たちはストレートに目的地に着いた。迷った人もとても多いと後で聞いたから、結構ラッキーだったのだと思う。

 朽木に入り、目的地が近づくと、道は本格的に山道になり、そして携帯の電波が入らなくなった。僕はAに連絡を入れる約束をしていたので、電波の届くところに引き返してAに電話をしたけれど、Aは出なかったのでメールを送っておいた。
 M君も彼女のSさんにメールを送ろうとしたけれど、僕の携帯(au)は入るけれど、彼の携帯(vodafone)は電波が入らなかったので、僕の携帯から彼もSさんにメールを送信する。

 そうして、僕たちは電波の届かない山のさらに奥へと、暗く、雨に湿った道路を進んだ。どこかへ抜けるでもない田舎の山道を、他にもときどき車が通った。たぶんみんなパーティーへ向かう車に違いない。
 山道を走り、雨が降り、人々が集い、「本当に山水人だね」というような話をする。

 結局、会場に着いたのは9時も過ぎてからだった(時計を見ていないので多分ですが)。この先に本当に人々が集い踊っているようなところがあるのだろうかという不安と戦いながら、細く曲がりくねった道を進んで行くと、検問のように自動車を止めているところがあって、最初は事故か何かで車が通れなくなったのかと思ったのですが、そこが会場の受付だった。

 アジアな格好をした人々がトランシーバーで連絡を取り合い、周囲には受付待ちのやっぱりアジアな格好をした人々が結構沢山いた。中には赤ん坊も子供もいたので、最初僕は驚いていた。

 車から荷物を降ろし、受付を済ませ、車をとめに行き、荷物のところに戻ってきて本当に会場を目指す。
 会場までは真っ暗な道で、そこを僕らはランタンの明かりで歩く。少し前に何の明かりも持たないで歩いている赤ん坊を乗せたベビーカーと大量のキャンプ用品を持った夫婦が歩いていたので、僕たちは明かりがあったほうがいいだろうと彼らと一緒に会場まで行くことにした。
 夫婦は大阪から来たらしく、レイブにはよく行くけれど子供が生まれてからはあまり行かないようになった、前行ったのはもう2ヶ月前のことだ、ということを言っていたけれど、でも2ヶ月前ならそんなに前でもないような気がした。
 地面は凸凹でベビーカーはガタガタと激しく揺れるし、僕は赤ん坊のことが心配になったけれど、夫婦はそんなことにはお構いなしだった。赤ん坊も泣いてはいなかったし、そういうタイプの家族なんだろうなと思った。

 会場についてすぐに、ブラックライトとサイケな装飾で飾ったテントが見えて、撮影禁止だった気もするけれどとりあえず一枚写真をとっておこう、とM君がテントの真横にいって写真をとり、そして「ここDJブースです。ゴア・ギルいます」とやや興奮気味に戻って来た。覗き込むと本当にゴア・ギルがいた。会場に着いていきなり、僕は今まで本の中でしか知らなかった人を間近にみることができてとても嬉しかった。

 音楽はこのときチルアウトで、踊っている人はあまりいなかった。
 会場を見渡すと、思ったよりもたくさんの屋台があって、本当に一つの村のようだった。
 まずは荷物を置かないことには行動できないので、僕らはテントサイトに行って、手近なところにレジャーシートを広げて荷物をその上に置いた。森の中には本当に沢山のテントがあって、ここも何かの集落に見えた。僕ら以外の人々はみんなきちんとテントを用意して来ているようだった。僕はほとんど何も持たないで、まるで普通のクラブにでも行くような感じできてしまったし、M君はカッパだとかシートだとか色々持って来てくれたけれど、それでもテントは持ってきていなくて、後で僕らはこの森の中むき出しで眠ることとなった。

 荷物を置いて、しばらくはお酒を飲んだりポテトチップを食べたり、なんとなく様子を伺っていた。そうして、ワインやビールを消費しながら話をしていると、ダンスサイトの方から聞こえてくる音が変化して、ズンズンと低音が響き始めた。チルアウトが終わり、ようやく激しいダンスタイムが訪れようとしていた。

 フロアにはたくさんの人々がいて、思い思いの服を着て、思い思いに踊っていた。僕らも踊りに加わったけれど、僕はこのとき眠くてほとんど眠りながら踊っていた。体が勝手になんとか動いていて、僕の意識はほとんど眠りの中にあった。M君も調子がでないのか、僕らはすぐに自分たちの荷物をおいたベースに引き上げ、それから屋台を回ってみることにした。

 グレートフルデッドの商品を売る(といっても店主のおじいさんは眠っていた)テントを覗き、それからとなりの食べ物を売っている店に入ると、そこは北白川のお店で働いている人やその友達の営業している店で、中には僕が何度もメトロで顔を見たことのあるRさんもいて、「あっ、そういや知ってますよね。僕ら」というような感じで会話が始まり、生物の進化や地域通貨なんかの話で盛り上がった。
 今日もやったんだけど、明日も昼は餅つきするから良かったらおいでよ、ということだったので、その時間までいたらお願いします、と言って、お酒の飲みすぎでタバコを吸った瞬間にブラックアウトしそうになったM君を連れてベースに戻った。

 M君がそのまま眠ってしまったので、僕は一人でその辺りをうろついて、それからしばらく踊って、結構疲れているような気がしたのでベースに戻って少しだけ眠ることにした。
 僕らの一番の狙いは、踊りながら夜明けを体験することだった。夜明けが何時なのか知らないけれど、4時くらいから踊りだせば十分に間に合うだろうし、時間はまだ1時か2時を回ったくらいだった。すこしくらい眠ったって問題ない。

 そうして、二人して起きたのは2時半とか3時とかそれくらいの時間だった。
 M君はベースの隣に吐いていたので「臭くないですか」と気にしていたけれど何の臭いもしなかった。匂いといえば、会場のどこにいても匂うお香の香りがあるだけだった。

 本部のテントでおでんと焼きソバを食べて、そして僕たちは再び踊りだした。

 火のついたボールを振り回す人や、火炎放射器みたいなもので空高く火を吹き上げる人、ジャンベを鳴らす人。僕がフロアを振り返ると、松明の明かりの中で、大地の上に立って沢山の人間が踊っていた。その周囲には屋台の明かりが沢山見えていて、椅子に座ってただ休んでいたり話をしている人々がいる。
 僕はこの光景を一生忘れやしないだろう。
 僕たちはものすごく強力で幸福な空間を共有していた。
 そしてこれは一昔前にはもっとありふれた光景だったのではないかとも思えた。タイの屋台なんかはこういう感じなんじゃないだろうか。

 やがて、空が白み、朝が訪れる。
 人々は踊り続け、音楽は鳴り続け、大気はとても棲んでいて、それでいてエネルギーに溢れていた。

 振り返るとM君は真っ青な顔をしていて、しばらくしてからお茶を飲みに行くというので僕も一緒にベースに戻った。彼は激しく消耗しているように見えた。僕だってこんなに激しく踊ったのは久しぶりだったし、相当に消耗していた。すぐにお腹が空く。

 キャンプサイトでは起きた人々が歯を磨いたり、朝ごはんを食べたり、聞こえてくるトランスの音とは半分は関係なしに過ごしていた。とても平和な空間で、通りがかりに知らない人と挨拶を交わす。
 顔を洗ったり、水を汲みに行ったり、ベーグルを焼いたり、限りなくピースな空間。

 僕たちは疲れていた。
 そんな平和な空間にあって、そろそろ帰ってもいいんじゃないかと思い始めていた。どこか音楽の聞こえないところに行って、シャワーを浴びてご飯を食べて一眠りしたかった。
 そうして実際に帰る支度を僕らは始めた。荷物をまとめて、最後に少しだけ写真を撮って、それかた水を汲んで帰ろう、ということで、カメラとペットボトルを持って会場を歩き、川を渡る小さな小さな橋を渡って、山肌から滲みだす水を汲む。
 M君がペットボトルに水を入れている間に、だんだんと僕は川に入りたいという欲求を抱きはじめ、そして靴のままで二人で川に入った。水はとてもきれいで冷たい。浅くて、深い部分でも膝までしかない。とても気持ちよくて、僕らは川を上ってベースに水を置きに行き、それから最後に一踊りすることにした。
 でも、最後に一踊りのつもりが、川で体力が回復したのか止まらない。激しいダンスをして、疲れたら川に入って体を冷やす。

 川にいると、京都でゴア・ギルに偶然会い、ここまで一緒に来たというアメリカ人に話し掛けられた。
 村上春樹好きで、大江健三郎によれば現代の日本文学は衰退の一途にあるということだが、と驚いたことに日本文学の話を持ちかけてきたので、僕も村上春樹はとても好きだ、それから日本文学は衰退なんかしていないし、どちらかというと殻を破り新しいフェーズに突入したのだ、明治から始まった近代日本文学はある意味ではロシア文学の手法をそのまま踏襲したものに過ぎないし、漱石を除いてはほとんど全員一定のフォーマットを抜け出すことができなかった、それを壊したのは90年代からの作品で、現代の日本文学はどちらかというとより栄えているのだ、ということを言いたかったけれど拙い英語ではうまく表現できなかった。

 それから中州パーティーで会ったIさんと再会する。
 彼はサイケな服を着て、とても目立っていたのですぐに見つけることができた。
 後で踊りすぎで肩を脱臼するという激しさ。

 昼頃に僕は生まれて初めて臼と杵の餅つきを体験した(もしかしたら幼稚園でやったことがあるのかもしれないけど)。どうやって杵を持てばいいのか分からなかったので、やり易いように工夫していると剣道の動きになっていて、「剣道やってただろう」と突っ込まれたあと、僕が餅をつくたびにギャラリーから「メーン、メーン」と掛け声が掛かる。

 その後、一時激しい雨が降るけれど、お陰で昼間だというのに快適な温度で、空気もいっそう澄み渡る。M君がカッパを持ってきてくれたお陰で、ほとんど何の被害も受けなかった。
 川の中で踊ったり、そのあともひとしきりはしゃいで、そして帰路に着いた。

 一晩過ごしただけで、その場をとても恋しく思った。
 もう会場のことは良く把握していて、まるで自分たちの村のようだった。
 僕はしきりに村を作りたいと言っていた。

 車が会場を離れると、トランスも聞こえなくなった。
 車のタイヤの音がトランスに聞こえて、そうM君に言うと「俺も今そう思っていたところです」とM君も言った。いろいろな音がトランスに聞こえるようになって、カーラジオから流れてくる音楽に、これって全然足りないじゃん、と文句をつけていた。体がトランスに支配されて、変容していた。

 部屋に戻ってシャワーを浴び、それから3時間ほど眠って、僕はAに会いに行った。とても体が重たくて、Aは僕を見るなり「すごく眠そう」と笑った。