ストロー。

 蚊に足を刺される。
 夏になると毎年、蚊のことを考える。退屈な日常に偏在する吸血動物という異常性を、僕は上手く納得することができない。
 考えてみると、僕たちの日常と言うのはそんなに日常的でもないのかもしれない。なんといっても、この世界ではなんだって起こり得る。空から水も降ってくるし、時には氷も降ってくる。そして、大気には吸血昆虫が飛び回る。

 昔なにかで読んだ話によると、蚊は動物の吐き出す二酸化炭素と、あと体温に反応するらしい。
 僕は網戸の外側に蚊が止まっているのを見付けて、そして網戸に手のひらを近づけてみたことがある。蚊の針が届かないぎりぎりまで。手を横にスライドさせると蚊も着いてくる。そのうち、もう一匹別の蚊もやってきて、やっぱり手の平に針を突き立てようと、網戸の隙間から何度も繰り返して針を突き出す。もちろん、針は届かない。このゲームは僕の間合いで行われているのだ。

 この簡単な実験で、彼女ら(吸血するのはメスだけらしい)は手のひらが放出する熱にきちんと反応しているのだな、ということが実際的に分かった。

 でも、僕はふと思ったのだけど、それでは蚊というものは血液そのものに反応することはできないのだろうか?

 蚊はもちろん、人間なら人間の血液が欲しくて、血液が欲しいために、その在処を示すであろう体温と二酸化炭素を捜し求めるのであって、決して体温や二酸化炭素そのものが欲しい訳じゃない。
 本当に欲しい物は血なのだ。
 でも、僕が輸血用の血液か何かを買って来て、それを地面にぶちまけたら、彼女らはその血液に反応することができるのだろうか? 蚊は水も飲むし、もしかすると反応するのかもしれないけれど、予想としては血そのものを認識することはできないのではないかと思う。彼女たちにとって、血液というのは「体温と二酸化炭素」なんじゃないだろうか。本当にほしい血液を目の前に提示されても、それには反応しないでわざわざ「体温と二酸化炭素」を探しに出掛けるのではないだろうか。
 それに、人間の皮膚という足場なくして、彼女たちは血を口に運ぶことができるのだろうか、血液の液面に足を取られて死んでしまわないとも限らない。

 僕は自分の求める血液のことを考えざるを得ない。
 それは体温と二酸化炭素に過ぎないのではないかと、ときどきは疑わなくてはならない。