自転車チャンピョン。


 シャワーを浴びると寝不足の体はいくぶんしゃきっとした。
 絶対に降るに違いないけれど、部屋を出るときには雨が降っていなかったので傘は持っていかないことにした。30分程度遅れる、ごめん、とメールを送ってから、ヘッドホンを着けて地下鉄に乗る。

 僕は考える。
 言うべきでないことと、言いたいことと、言わなくてもいいこと。

 四条で阪急にスイッチする。乗り換えのついでに買った本を読みながら電車に乗っていると、その文章は僕の思考をドライブした。
 そして、再び僕は考える。
 言うべきでないことと、言いたいことと、言わなくてもいいこと。

 結局、僕はそれを言った。
 それは言うべきではない言葉だった。16歳の少年が考えたって、それは言うべきではないと分かっただろう。でも、僕はそれを言った。
 従って、たぶん大切な何かは損なわれ、あるいは失われたかもしれない。だけど、これは避けることのできないことなのだ。僕はどうせいつかはそれを言わなくてはならなかった。

 心斎橋でAと落ち合い。そして、天保山サントリーミュージアムへ向かう。今日はサビニャック展の最終日だった。どうしても見たいというほどではないけれど、なんとなく気になっていた。彼の作品は、コピーだけど部屋に2枚貼っている。
 展覧会は大体予想通りだった。としまえんとか森永とか、クライアントが日本のものもいくつかあるのだけど、なんとなく日本のものは手抜きのように見えた。
 基本的に彼のポスターはタッチが同じなので僕は途中で飽きたけれど、彼の経歴のようなものがとても面白かった。最初彼は自転車の選手になりたかったのだが、世界チャンピョンの走りを見て、才能がない、とあっさり諦めている。そして、なにかの職場にコネでせっかく入っても「勤務中にチェスをしているのが見つかって」クビになる。結局、有名になるのは40歳を過ぎてから。

 春からずっと仕事を辞めたがっているAは「明日からもう仕事に行かないかもしれない」と言い、僕は彼女がどれくらい春から辛い思いをしてきたのか知っているのでそれに強く賛同した。彼女は使い果たされていた。

 帰りの電車の中で、僕は失われた物や失いつつあるものについて考える。
 時間と言うのは思っているよりも少ない。極端な言い方をすると人生というものは死ぬまで存在している訳ではないし、往々にしてもっと早い段階で終わる。僕はいくつかのことを本当に急いで成し遂げなくてはならない。