まるで外国みたい。

 外ではひどい雨が降っていて、僕としては本当は食べ物を買いに行きかったけれど、でも部屋の中にいるしかなかった。考えてみるとそれほどお腹がすいている、というわけでもないような気がした。

 身体性、ということを時々考える。
 言葉の持つ身体性、あるいは絵画の持つ身体性。なんだって、僕らが身体を持つ以上、人間の周囲には常に身体性というものがついてまわる。

 建築に携わる先輩が「コンピュータで図面を書くようになってから、人の図面を見てもどこに着目すればいいのか分かりにくくなった」と言っていた。
 どういうことかというと、手で図面を引いた古き時代においては、人は間違いを消しゴムで消さざるを得ないし、そうするとどうしても消した跡が残ってしまう。簡単なところならば大した消し跡は残らないけれど、自分のこだわりやなんかで何度も推敲したところは消し跡が沢山残って汚くなる。その汚い部分が苦労したところであり着目すべきところなのだ、という理屈である。

 なるほどな、と僕は思った。
 もちろん、本来なら「消し跡」のような本来図面に書き込まれるべきではないものを頼りに図面のポイントを探るべきではないのかもしれない。純粋に建築学的に、書き込まれた線と数字を眺めて、その中から重点を見つけるのが本当の在り方かもしれない。

 でも、やっぱりこういう話を聞くと嬉しくなって、やっぱり手書きがいいですよね、と言いたくなるのは僕だけではないと思う。

 たぶん、ここで「手書きの図面は身体的」であり、「コンピュータで描いた図面」は身体性が欠落している、という単純な構図はあまり意味がない。意味がない、というか間違っているとすら言える。
 身体性という言葉は基本的に定義が不可能な言葉だし、この言葉に関して他の人々とコンセンサスをとることはとても難しいと思う。そもそも言葉としてなんだか違和感すら覚えることもある。

 身体性という言葉は、神という言葉に似ている。
 僕らは神という言葉なしに神を思考することはできない。でも、神という言葉では本当の神を表すことはできない、という事も知っている。なぜなら神はすべてを包含していて、言葉は決して神を包含し得ないからだ。僕らはとりあえず神という単語を使う。神を表す言葉がないからといって黙りこくるわけにもいかない。
 身体性というのも「その手の」言葉なのだ。
 身体性は身体性を表すことができないけれど、でも、僕たちは身体性という言葉を用いなければ身体性を考えることはできない。つまり、どこへも行けない。

 構図としては間違っているけれど、ある意味では正しいとも言える。
 あるときには「手書きの図面は身体的」であり「コンピュータで描いた図面は身体的ではない」し、また他の場合には「手書きの図面は身体的ではなく「コンピュータで描いた図面は身体的」である。
 ひどく曖昧な書き方になるけれど、でもこれは「要は解釈によるんでしょ」ということではない。答えは一つしかない。

 僕はいつの間にかコンピュータで文章を書くことが多くなった。多くなったしというか、紙にペンで書くことはほとんどなくなってしまった。
 でも、かといってコンピュータで書くことに身体性を感じないかと言うとそういうわけでもない。

 ただ、ときどき計算を紙の上で行っていて思うのだけど、果たして僕は同じように数式を変形していくという行為をコンピュータの上で行うことはできるのだろうか。
 どんなにすぐれたワープロソフトがあってもできないような気もする。

 ひどい雨と、遠くから聞こえてくる犬の吠える声のせいで、まとまりのない文章になった。

 最近の携帯電話はメールの文章を半分勝手に予測して勝手に候補を出してくれます。あの機能を用いていると誰かに自分の脳みそをひっつかまれて、そしてゆっくりとスライスされて違う順番に貼り付けなおされているような気分になる。
 コンピュータ機器やテレビが子供たちの頭を蝕む、というような議論にはあまり加担したくないけれど、最近は子供たちも携帯電話を持っていて、人事ながら心配になることがときどきあります。あんな変な機能を使っていては携帯電話みたいな人間になるのではないかと思う。

 どうかんがえても、携帯の予測機能から僕らは影響を受けるし、それならいっそのこと「元気になる予測機能」としてポジティブな言葉ばかり出てきてしまう、とか「悲しみに浸るモード」とか色々作っても面白いんじゃないだろうか。
 たとえば、元気モードに設定しておくと、朝どうにも体調が悪くて待ち合わせをキャンセルしたいときでも「ごめん、今日買い物の約束してたけど、朝起きたらなんか熱があるみたいで、」と書くと「予測候補;�@でも熱あるほうがふらふらして面白いから、�A顔色いつも悪いって言われるけれど、今日は結構赤いし、�Bおじいちゃんが熱のあるときは買い物に行くといいと言っていた、�C大根も買っていい?」というような候補が出てきて、ついつい買い物に出掛けてしまう、という次第です。

 雨が止んだので、何か食べ物を買いに行こうと思う。たぶん、大根は買わない。
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