青色だけがうつった写真。

 亡くなった祖母のことを頑張って思い出していた。
 頑張ってというのは、祖母がなくなったのはもう随分と昔のことで、僕がまだ名古屋に住んでいた頃だから、幼稚園に通っていたか、大きくても小学校に上がったばかりの話で、それに僕の一家は祖母と一緒に暮らしていた訳ではないので、僕はそんなに祖母と長い時間を過ごしてはいない。

 とは言っても、もちろん僕が祖母と一緒にいたことは事実で、曖昧な記憶ならばいくつかは持っています。でも、それらの記憶は本当に遠い遠い記憶で、本当にそういったことを僕が体験したのか、あるいは誰かが僕に話して聞かせたり、写真を見せたりして、それで僕が勝手に記憶を作り上げているだけなのか判然とはしません。
 本質的にはそんなのどっちだっていいことで、僕がダイレクトに体験したことであろうと、いい聞かせられたことであろうと、僕らがそういった記憶を持っている以上、歴史はそうあったのだと断言したって多分問題はないのだろうと思う。

 多くの人が語るところによれば、祖母は初孫ということもあって僕を本当に甘やかしてかわいがってくれたようで、それは僕の記憶とも一致するし、その乳幼児期における「おばあちゃんこ」的なものは今でも強く残っています。
 たぶん、多くの人が神頼みをする場面で僕はおばあちゃん頼みをしています。亡くなったのは祖母(母方)だけでなく、父方の祖父も亡くなっているので、両方に頼みます。神様じゃなく(もっともそこら辺の神様にだって頼み事はするけれど)。
 逆に自分が情けないことをしたときは祖父や祖母がどう思って見ているだろうかと考えてしまいます。
 
 もうすぐ田舎で祖母の法事があり、僕は祖父から、是非とも法事には参加して、それから従兄弟達に亡き祖母がどのような人であったのかを僕の口から伝えて欲しいと頼まれました。従兄弟達の中で僕だけが唯一祖母の生前を記憶しているからで。祖父が何かを頼むなんてことはほとんどないことなので、僕は僕には分からない歴史の中の一部としてなるべく確実にその役目を果たそうと思った。法事の翌々日はまだ全然書いていない論文の提出期限で、普段ならばまたの機会にして欲しいところだけど、今回は延期する気分にはなれない。僕は色々な人の助けによって辛うじて成立しているわけですが、祖父には多大なる恩恵も受けているし、僕はいい加減自分が貰ったものを返していかなければならない年齢になったと思う。