color me pop

 飛行機が離陸するとき、いつも鳥肌が立つ。地面から足が離れてしまう恐怖からでも、閉所に閉じ込められた恐怖からでもなく、この巨大なテクノロジーの塊が纏っている人類の知力と労力に圧倒されるからだ。航空力学、ジェットエンジン、構造設計、素材、塗料、制御系。翼の付け根に掛かる応力をイメージする。軽量化と剛性を実現した機体に走る微かな歪みをイメージする。エンジン内部の高温に晒された金属部品たち。さっきまで巨体を支えていたタイヤが機体へ格納される音がする。管制塔のレーダー。交信。奇跡だ。僕たちは、歴史のはじまりにおいて木と草と石と水と土くらいしか持ってなかったのだから。どうしてこんな遠くまで来ることができたのだろう。フラップの角度が変わる。制御系を完璧に動かしている電子回路。超高密度で集積されたチップ。論理ゲート。半導体。ドープ。電子の動きを計算する第一原理計算。窓の外は何度で何気圧だろう。コーヒーを飲みながら映画を見つつ思う。僕は今テクノロジーに守られていて、それなしには生存することができない空間にいると。

 でも、まだこのまま月へすら行けない。
 飛行機は、別の空港へ、地上へ戻るのだ。

 振り返ってみれば、子供のときからずっと世界の外側へ行きたかった。
 自分の遥か遠い子孫に当てて、「タイムマシンで迎えに来るように」という手紙も書いて引き出しに保存していた。指定した場所はその手紙を書いていた場所で、指定した時間は手紙を書き終えた1分後だった。つまり僕はその手紙を書いた1分後にタイムマシンに乗って未来へ行くはずだった。なぜだか分からないのだけど、タイムマシンは来なかったから、僕はまだこの世界にいる。その所為で引き出しにしまっていた手紙はなくしてしまった。
 スターウォーズという映画をはじめて見たとき涙が出そうになった。
 ジョージ・ルーカスは「(もちろんフィクションだが)これは大昔に起きたことだ」と言った。そして僕は、宇宙はとんでもなく広いのだから、大昔ではなく今この瞬間にこういうことをしている宇宙人たちが本当にどこかにいるに違いないと思った。
 けれど、僕は彼らに会うことはない。

 なにせ、まだ月へすら行けないのだから。

 僕は地球に閉じ込めらていて、さらに現代に閉じ込められていた。長ずるにつれ、それどころか自分の知覚や肉体にも閉じ込められていることが分かってきた。せめて考えることは自由だと思っていたら、その考えというものも檻の中だとポストモダンは痛いほど教えてくれた。

 見えないものが見たかった。
 思考し得ないものを思考したかった。
 そして、語り得ないものを語りたかった。

 同時に、地球も現代も知覚も肉体も、全部が素敵な体験をもたらしてくれる大事なものだった。あっちの世界が見たいのと同じくらい、この世界のカラフルにも心打たれていて、単に人を驚かしたりもしたかったし溢れる色彩を見たり見せたりもしたかった。遠くの天体の写真を眺めることと、拾った木片を削ることは同列ではないが全く性質の異なるものでもなく、うまい具合に僕の中で共存していたのだと思う。だからパーティーも開いたし、インスタレーションもしたし、便利グッズを買ったり、美術館へ行ったり、ハイキングも開催して、夏には花火も見上げた。

 2011年3月、僕は溢れる色彩のことを大事だと思えなくなった。いちいちミルでコーヒーを轢かなくなってインスタントコーヒーを飲むようになった。黒い服ばっかり着るようになった。日常の小さな喜びなんてどうでもいいと思うようになった。
 大事なのは力だ。世界は底が抜けている。圧倒的なものは圧倒的でないものを一瞬で駆逐する。ミサイルはオートクチュールを一瞬で飛び散る灰に変える。
 どっちみち潮時だったのだろうけれど、僕は研究室を辞めた。

 それからの4年間は、まさに糸の切れた凧だった。とは言っても結局は京都にずっと留まっていて、概ねは楽しくハッピーに過ごして貴重な体験も積み重ねた。江戸の後期かもしれないというスーパー古い家にもみんなで住んだし、線路沿いで新幹線もSLも見える家にもみんなで住んだし、中国にも韓国にも香港にもアメリカにも行ったし、観光名所になっている神社の階段も作らせてもらった。なんだかんだたくさんの人に会った。
 けれど、やっぱり僕はどこか虚ろで、現実を支配している力というものばかりが気になっていた。

 4ヶ月前に東京へやってきて、どうしてか感じる懐かしさのことを不思議に思っていた。少しして懐かしいのは不思議でもなんでもないことが分かった。僕がかつて長い間見聞きし、あるいは憧れていた音楽や物語の舞台は東京だったからだ。インターネット前夜のテレビと雑誌が支配する世界では、東京の中心性というものは今より強かったのかもしれない。僕は良くも悪くもそういう時代を生きて来た。
 渋谷という無数の他人たちが歩く都市を歩くとき、不思議と感じる街への親近感はそういった何十年か積もった「文化」のせいだろうか。もう夜は8時を過ぎているが、それでも東京は夜の7時で、すでに誰も舌を噛まなくなったくらいに変な名前が日常に浸透した女の子が切りすぎた前髪のことを歌っているのを聞いて、バスルームで髪を切る100の方法が頭を過る。
 そうして、過去のあるフルカラーに直接リンクした現代の止まらない都市は、一歩歩くたびにポスターカラーのしぶきを跳ね上げ、真っ黒だった僕のTシャツにはいつの間にか色が付いていた。この夏は花火を見上げるだろう。インスタントコーヒーは飲むけれど。

オン・プレジャー・ベント ~続・カラー・ミー・ポップ
フリッパーズ・ギター
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