テクノロジーが権力を奪う

 今日は選挙の投票日だそうですね。
 昔書きかけでボツにした小説の一部を公開しようと思います。
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 2018年4月1日グリニッジ標準時正午、インターネットが完全にハックされ、どのURLに繋ごうとしても全てある1つのサイトに飛ばされるという現象が発生した。世界中で見ることができるのは唯一そのサイトだけだった。飛ばされる先のサイトは日本の、しかも日本政府のサイトで、日本語と英語はもちろんのこと、中国語、スペイン語、韓国語、フランス語、アラビア語をはじめとした73種類の言語で宣言がなされていた。宣言の内容は日本が今日から世界をコントロールするというもので、武力と恐怖による支配ではなく、日本政府が考案した社会システムに「平和的に」全体で移行しようという提案だった。それは世界全体の最適化プログラムなので、世界中の人々がより幸福になると日本政府は言っていた。

『ようこそ新しい世界へ!
 こんにちは世界の皆さん。今日から日本をリーダーとした新しい世界がはじまります。ベーシック・インカム、完全無料の医療、世界共通の新しい電子マネー"YUI"を中心とした、より合理的な、より理想的な社会がはじまります。
 日本政府では長年に渡り、より良い世界を築く為の研究を進めて来ました。あらゆるシミュレーションの結果、もはや機能を失っている国際連合および各国政府は廃止し、政治的意思決定の全てを日本政府が単独で担うのが最善であるとの結論に達しました。今日から日本政府は世界全体の最適化、すなわち苦痛の最小化と幸福の最大化を担う言わば世界政府となります。私達は世界中の人々、1人1人の意見を汲み上げて反映する組織であり、もはや日本という1つの国家だけの利益を代表するものではありません。
 国際連合および各国政府を廃止して頂くことには異論があるかもしれませんが、これにつきましては合理的な説明がなされます。すでに皆さんご存知の通り、どの国においても政府はうまく機能していませんでした。それら機能不全の政府が意見を対立させる国際社会がうまくいくはずもありません。
 私達日本政府では、長年に渡る研究の成果として、ほとんど自動的に最適な政治的意思決定を行うシステムを開発しました。このシステムに世界の意思決定を委任することで、世界はより良くなるだけではなく、機能不全に陥っていた各国政府の廃止というコストダウンも同時に達成されます。
 世界市民全員の、豊かさと自由、基本的人権の保証された世界へ。時代錯誤な貧困への恐怖、労働崇拝のない、まったく新しい世界に、今変わります。
 さあ、みんなで素敵な一歩を踏み出そうではありませんか!》

 宣言文の後にまず、このハッキングは24時間で終了し、24時間経過後はインターネットが元に戻るということがお詫びと共に書かれていた。その後、どのようにして新しい電子マネー"YUI"を受け取るのか、それはどのようにして使うものなのかといった基本的なインストラクションと、新しい世界政府の仕組みについての詳細を書いたページが続いている。
 最初にこの画面を見た時、誰も書かれていることを素直には信じなかった。何かの間違いか、あるいはハッカーがエイプリルフールに仕掛けた質の悪い冗談だろうと。世界が変わったということよりも、コンピュータウィルスにでも感染したんじゃないかと、自分のコンピュータの方を心配した。しかし、事実を確認しようにもインターネットは使い物にならない。知り合いにメールで聞いてみようとメールボックスを開けると、そこにも日本政府からのメールが届いている。日本政府は世界中の全てのメールアドレスに、73種類の言語で書かれたメールを送信していた。メールの送受信は今まで通りに行うことができたので、人々はまるで年が明けたときのように大量のメールを送りあった。日本政府がインターネットをジャックしてからの24時間に送られたメールの数は、インターネット登場以来どの24時間に送られたメールの総数よりも特異的に多かった。
 ネットを見ていても埒があかないと思った人達がテレビを点けてみると、全てのチャンネルが乗っ取られていて、遠山という日本の総理大臣が「今から世界全体の指揮は日本が取る」と本当に言っていた。
 この突然の出来事にもっとも驚いたのはアメリカ政府だ。1945年以降、日本の動向で知らないことは何もないはずだった。日本政府がどのように手足を動かしているかは常に全て把握しているつもりだった。しかし、このようなテロ行為が準備されていることは全く情報がなかった。
 情報がなかったのはアメリカだけではない。どの国も、"日本"を含むどの国家も日本政府によって世界支配が計画されていたのを知らなかった。遠山は政府組織をダブルレイヤーにし、通常の政府の下に別の組織を組み上げていたので、日本国民もこのことは一切知らなかった。17年間掛けて秘密裏に作り上げた組織は、主に研究者と精神病患者、自殺志望者、ひきこもり、服役囚から成っていて51万3243人で構成されているという話だ。日本では博士号取得者の約8%が行方不明になると言われていて、彼らは絶望して自殺したり人目に触れない場所へ逃げ出したのだろうと思われていたが、実際にはその大半が遠山の地下組織に入っていた。毎年発表される自殺者数も行方不明者の数も嘘だった。遠山の組織は人生に絶望した人間をモニターして、適材であると判断した場合慎重にアクセスし組織に引き込んだ。精神病だと診断された人々も同様にモニターしていた。社会に絶望した精神異常者だと判別される人のほとんどは社会を覆っているある澱みに対して鋭敏なだけだった。一日中ネットゲームをしているのだと思われていた引きこもりの9%、つまり7万2000人は遠山の指揮下でプログラムを書いたり世界中のネットワークに侵入したりしていた。
 アメリカ政府はすぐさま日本政府へ強烈な抗議をしたが、日本政府の返答は「私どもの理解ではアメリカ政府というものは既に存在していません。抗議の主体が存在していない以上、この抗議は意味をなすことが不可能です」という簡潔で短いものだった。
 24時間が経過して、世界中のインターネット及び放送網が通常状態に戻ると、世界は日本政府の宣言に関するニュース一色になった。当然のことだが日本政府の無茶苦茶なやり方と一方的な宣言は凄まじい非難を受けていたし、武力行使という言葉も既に出ていた。


「武力はもう無力だよ」
 高原祐輔はニュースを眺めながら呟いた。祐輔はまだ16歳だったがプログラマとしての天才的な才能を遠山から認められてハッキングチーム第2班のリーダーを任されていた。遠山の組織が接触してきたとき、祐輔はまだ11歳で小学5年生だった。半年の不登校期間を経た後、学校へ行ってみるとクラスメイトも教師も、みんなバカにしか見えなくなっていて驚いた。バカなみんなに色々なことを教えてあげようとすると、頭がおかしいのだと思われてクラスの男子に襲われた。彼らには報復して翌日から登校はやめた。祐輔が再び学校へ行くのをやめた翌日、遠山の組織から柴田と名乗る1人の女性が家へ訪ねてきて、祐輔に組織へ加わって欲しいと言った。柴田という女性は、組織についての長い説明の最後を「受ける受けないは自由ですが、この事を口外された場合はあなた方だけではなく話を聞いた人も全員即座に殺すことになっています、申し訳ありませんが」と締め括った。
 信じがた話だったが、祐輔も母の啓子も恐怖を感じることはなかった。組織はリクルート専門のチームも持っていて、そこで十分な訓練を受けた人間が、ターゲットとなる人物との相性を考慮した上で派遣されていたからだった。
 祐輔達が、柴田という女性の話を信じたのは、彼女がある物を見せてくれたからだ。祐輔はあれを見た瞬間の驚きを一生忘れないだろう。