西海岸旅行記2014夏(02):いまさら憧れのアメリカ


 こんな風に書くとまるっきり古臭いのだけど、アメリカという国に子供の頃から憧れていた。僕は1979年生まれで、子供時代というのは随分昔の話だから、2014年の今となっては古臭くて当然なのかもしれない。子供の頃テレビでは「ナイトライダー」が地上波のゴールデンタイムで放送されていて、NHKでは「アルフ」が所ジョージの吹き替えで放映されていた。日曜洋画劇場でハリウッド映画を見るのはドキドキする至福の時間だった。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見て、翌日スケートボードを買って貰った。「グーニーズ」を見て"冒険"に出掛けた。ビデオに録画した「スタンド・バイ・ミー」はセリフを覚えてしまうくらい何度も見た。
 世界とはアメリカのことだった。

 憧れとしてのアメリカ合衆国は、年齢を重ねると共に崩壊し、20代の僕は世界中を力でねじ伏せ富を慾るこの国のことを軽蔑するようになっていった。ハリウッドの映画は馬鹿が見るものだと嘲笑し、ヌーベルバーグのフランス映画を見て何か本当らしいものに一歩近付いたような気分になっていた。
「アメリカには歴史がないよ、つまり文化がない」
 アメリカという国は、過去へ消え去りつつあった。実際に出会う人々もヨーロッパやアジアからやって来た人が多かったし、友人達が留学やビジネスで飛んで行く先もドイツやフランスが多かった。
 やっぱりアメリカはもう終わったんだ。
 アイスクリームとハンバーガーの食べ過ぎでブクブク太った人達の情緒なき荒廃した大陸。大量消費社会の成れの果て。病気になっても怪我をしても大金がなきゃ死ぬしかない国。

 アメリカへの憧憬が蘇ってきたのは30歳になってからだろうか。特にきっかけのようなものは思い出せない。気付いたらやっぱり僕はアメリカが好きだなと思うようになっていた。なんだかんだアメリカのドラマは結構見ているせいかもしれない。
 そして、2013年11月17日、「アメリカに本当に住もう。それを視野に入れて動こう」と思った。僕はもう34歳になっていた。
 子供の頃、自分は大人になったらアメリカに住んでいるのだろう、アメリカの大学で研究しているだろうと自然に思っていたけれど、34歳になっても僕は京都に住んでいて、アメリカには足を踏み入れたことすらなかった。ついでに云えば博士課程も途中でやめてしまったので、Ph.Dすら持っていない。それが現実であり、その現実は振り返ってみれば極々当然の納得する他ないものだ。僕は実は一度も本気になって「アメリカの大学で研究する」ということを考えて動いたことがなかったし、自分が本気で考えていないということにも、長い間気付かなかった。

 僕は単に全てが自然に起こると思っていたのだ。
 告白してしまうと、自分は祝福された人間であり全ては勝手に思い通りになると思っていた。僕はそういう子供だった。自分は天才だから努力はいらないと思っていた。
 これは二重に間違っている。
 第一に、残念ながら僕は天才ではない。本をパラっと読んだだけで新しい数学的手法がマスターできたりはしないし、英語だって随分長い間使っているけれど、なかなか上達しない。
 第二に、天才に努力が必要ないとは限らない。

 こうして健康に、恵まれた環境で生き延びていることを、祝福されていると言っても構わないとは思う。けれど、全てが勝手に思い通りになるというのは、放っておいても自分だけは成功すると思うのは、「自分だけは交通事故に合わない」と人々が思い込むのと同種の幻想だ。
 僕はこの幻想を長い間抱いていた。それも自転車で一度、バイクで二度の事故を経験するまで。3回事故を経験して、やっと気づくというのは天才どころか随分なバカ、マヌケの類だと言わざるを得ない。
 交通事故のようにあからさまではないものの、注意して見てみれば人生にも大小様々なサインが出ていた。それらは失敗とか敗北とか後悔とか呼ばれるものだ。運転の仕方を改めなくてはならない。カーブを曲がり損ねてガードレールの外側へ放り出される前に。
 注意深く、意識的に。
 幸いにも、僕はまだ生き延びていて、しかも健康で、若さも残っている。ギリギリかもしれないけれど、まだいくつかの可能性を吟味して試すことはできる。もしもアメリカに住みたいのであれば、意識的にそのように行動した方がいい。それも今すぐに。どれだけ注意深く安全運転をしていても、ガソリンはやがて尽きるのだ。「いつか」は「いつか」である限り永遠に「今」へはやって来ない。とりあえずアメリカを見に行こう。幻想でしか知らない大国の姿を確かめよう。
 そうして、僕はようやく、アメリカへ行くことを決めた。
 本当にようやく。