西はりま天文台訪問記04;ドレイク方程式

 観望会のホストをして頂いたのと、「宇宙人探し」のせいで、僕達の中ではすっかり「西はりま天文台といえば鳴沢さん」というイメージが出来上がりました。
 家に帰ってから鳴沢さんのことを検索してみると、本を出されていることが分かり、早速注文します。

 本のタイトルは直球で「宇宙人の探し方」。
 副題が「地球外知的生命探査の科学とロマン」です。

 僕は前回、「宇宙人はいると思う」「SETI@homeに参加してたことがある」と書いた割りに、SETIの詳細を全然知りませんでした。
 わりかし適当に宇宙からの電波を観測して、あわよくば何か見つかるんじゃないだろうか、みたいな、ほとんど「ロマン」でやっているイメージも持っていました。

 でも、この本を読むと副題の通り「科学」の部分が、世界合同SETI「ドロシー計画」を率いた鳴沢さんの具体的な体験と共に綴られています。

 僕がSETIに「ほとんどロマン」というイメージを持っていたのには一応の理由があります。
 それは、はじめてドレイク方程式を見た時の失望感が実に大きかったからです。
 ドレイク方程式は、宇宙人に興味のある人であれば誰もが知っている有名な式で、以下のように記述されます(「宇宙人の探し方」p240より)。




ここで、
:現在、銀河系内に存在する、電波通信技術を持つ高度な文明の数
:銀河系で1年間に生まれる恒星の数
:恒星が惑星系を持つ割合
:1 つの惑星系の中で、生命に適した環境を持つ惑星の数
:生命に適した環境を持つ惑星のうち、実際に生命が誕生する割合
:惑星で誕生した生命が知的能力を持つまでに進化する割合
:知的生命が電波による通信を行う文明を持つ割合
:実際に電波による通信が行われる期間の長さ


 「なんて適当なんだ…」というのが、子供の頃の僕の感想です。
 宇宙人の存在について地球の科学はまだ何もロジカルなことは言えないのだ、と感じました。だから「いるんじゃないか」というロマンの元に宇宙人探しは行われているのだろうと。

大人になって、改めてドレイク方程式を見ると、これはフェルミ推定(分からないことをなんとかバクっと概算すること)にすぎず、宇宙人とのコンタクトについて考察する時の、だいたいの枠組みを与えるものだったのだと分かります。
「わからないんだけど、大体のアタリをつける」のは科学でとても大事なことです。

 アタリを付けるとは言っても、ドレイク方程式の後半は桁数が何桁でも変わるくらいに不確実なものだと思うので、その積で導かれた数字に意味を持たせるのはなかなかの勇み足ではあると思います。実際に、鳴沢さんも「批判的な研究者もいる」と明記されています。

 ドレイク方程式を作ったドレイクさん自身の計算では、N=1万。
 つまり、銀河系の中に1万個の電波通信可能な文明があるということです。
 僕達の銀河系には恒星が1000億個あるので、1000万個の恒星系を観測すれば1個は文明が見つかることになります。

 余談になりますが、先の文章で僕はドレイク方程式発明者を「ドレイクさん」と「さん付け」で書きました。これは鳴沢さんの表記に倣ってのことです。通常なら書籍中ではドレイクと敬称略で書くことが多いと思いますが、鳴沢さんは本書中、一貫して「さん付け」で研究者名を記されています。そういう丁寧な学問への敬意と好意がこの本には溢れています。

  先程、ドレイク方程式はフェルミ推定だと書きました。
 フェルミ推定フェルミというのは、物理学者エンリコ・フェルミから来ています。フェルミは20世紀前半に大活躍したローマ出身の大物理学者。フェルミ統計、フェルミ粒子、フェルミエネルギー、フェルミ準位。彼の名前は物理学の様々な分野で今も聞かれます。とにかく大物理学者です。
 フェルミは物事をサクッと概算することが得意だったらしく、分かりそうにない量を概算して推定することが、いつの間にかフェルミ推定と呼ばれるようになりました。
「世界中にコーヒーカップはいくつあるか?」みたいな問いに、それらしい答えを出す入社テストみたいなのが巷で流行ったみたいですけれど、そういうやつです。

 フェルミは宇宙人の存在についても、簡単に概算を行っていて、その結果では宇宙人は既に地球に来ているはずでした。なのに、僕達は宇宙人に出会ったことなんてありません。
 「彼らはどこにいるんだ?」とフェルミは言ったらしいです。
 来ているはずなのに、いない。
 これをフェルミ・パラドクスと言います。

 鳴沢さんは、フェルミ・パラドクスを紹介したあとに、「藤下パラドクス」というものも紹介されています。
 少し本から引用させて頂きますと、

『これが、現在では「フェルミ・パラドクス」と言われる、地球外文明論における大問題なのです。電波観測によって地球外文明探査を行っている東海大学の藤下光身さんも、印象的なことを言われました。天文学会で私と話をしていた時のことです。iETはおそらく存在するという前提で議論をされた後で、ぼそっと、こうおっしゃったのです。
「それにしては宇宙は静かなんだよね」
 日本では「藤下パラドクス」と呼んでもいいかもしれません。』
(51ページより)

 パラドクス、パラドクスって、勝手な推定をしてるだけじゃないか。と言われるかもしれません。
 勝手に「宇宙人がこれくらいいる」と推定して、それが見つからないからおかしいおかしいって、宇宙人が地球に見当たらなくて、さらに宇宙が静かなのは、宇宙人がいないからだよ、少なくとも、あなた方が考えているよりずっと少ないからだよ。という意見が、きっとあると思います。

 さらに、フェルミ・パラドクスの少し前に紹介されている、なんだか宇宙人なんていないのかもしれないと思わせる試算もあります。
 その試算も、引用させて頂くと。

『光速の10%の速さの宇宙船で近隣の2つの恒星へ移動して、そこにある惑星に入植します。それぞれの惑星上で400年滞在して、新しい宇宙船を建造し、そこからまた2つの恒星へと飛び立ちます。それぞれの恒星(に存在する惑星)でまた400年かけて次の宇宙船の準備をして、それぞれの恒星からまた2つずつの恒星へ…。これをネズミ算式に計算してゆくと、たった500万年で天の川銀河の全ての恒星を植民地化できるのです。このような計算は、考える人によって設定条件が違うので、計算結果も多少変わってきますが、天の川銀河の年齢おおよそ100億歳に比べれば、あっという間に全ての恒星にたどりつくことが可能だというポイントが重要です。』(47ページより)
 
 天の川銀河にいくつ文明があるか、ということはここでは問題ではありません。たった1つ。たった1つの高度な文明があれば、僕達の地球だってすでに征服されているはずなのです。
 でも、現実には僕達はこの地球で羽を伸ばして生きています。
 「いやいや、どんどん殖えて他の星にだって手を出したい、という考え方は地球の生き物の考え方に過ぎない」ということでしょうか。
 でも、鳴沢さん達が探しているのは、他でもない、僕達に結構似た宇宙人なのです。もちろん、色々な形の宇宙人が想像されますが、科学的に宇宙人を探すために、鳴沢さん達は「地球人に似た宇宙人」にターゲットを絞られています。
 そういう、地球人に似た宇宙人なんていないのでしょうか。
 次回は、その辺りから続けたいと思います。

宇宙人の探し方 地球外知的生命探査の科学とロマン
鳴沢真也
幻冬舎