長期休暇と海外旅行では解決しない

人類を仕事の苦しみから開放したい。と僕は結構本気で思っている(労働を否定するものではないです。嫌々なものだけです)。
 社会は豊かに、科学は発展して、物もサービスも溢れかえっている。でも、それらのモノやサービスをいくら消費したところで、多大な時間を取られる仕事が苦しみであるのなら、心からの開放感と幸福を感じて生きていくことはとても難しいはずだ。
 たとえ、運良く長期休暇が取れて、1ヶ月の海外旅行を謳歌しようが、その1月間にどれだけ素晴らしい非日常の世界を旅しようが、たった1月で元の会社へ嫌々通う生活が戻ってくるのであれば、旅行へ行ったからといってどうだというのだろう。

 鍵は「休日に体験する素敵な非日常」になんてない。
 鍵があるのは「この毎日の生活」の中だ。それの大半を仕事が占めていて、しかもそれが嫌なら、そこをどうにかしない限り人は幸せになんてなれない。過酷でストレスの貯まる日々の生活の代償で手に入れた家庭だかマイホームだか、それがあるから自分は幸せなのだと必死に言い聞かせることになる。
 もしもそれが目的ならそれで構わないと思う。僕はそれでいいと思っている人のことをとやかく言う気は全くない。そんなのは何様のつもりだと思う。
 でも、ただ、嫌々日々を過ごしている人がたくさんいることも知っている。

 僕は「癒やし」とか「自分へのご褒美」みたいな言葉が嫌いです。仕事の苦しみを消費行動で埋め合わせる日々というのは煉獄のようだと思う。
 「朝専用に味付けしたから朝はこれを飲め」とコマーシャルされる、どうってことのない缶コーヒーなんかの温かさに癒やされて、それで電車に詰め込まれ、胃の痛む会社で夜まで過ごすのでは、きっとどこへも行けない。

 誤解のないように書いておくと、これは全然、そういう生活をしている人への批判でも非難でもありません。
 僕自身が楽しい仕事で生活を成立させているわけでもないし、この1月は他のなにも出来ないくらい忙しかった。
 僕達は、容易に、仕事に追われてストレスだらけの生活に陥ります。たまの休日には「たまの休日だから!」と言って観光地プライスで何の変哲もないうどんに1200円出したりして、お金を吸い取られる。お金が溜まって来たら「夢のマイホーム」とか言って、ベニヤ板と石膏ボートに壁紙を接着剤で貼り付けた家を3000万で買わされる。
 この文章が非難がましいとしたら、僕が非難したいのはそういう社会自体です。
 非難でもない。必然的にこうなっているわけではなく、なんとなくこうなっているのに、なかなか変わらない、なんだろうこれは。

「一部の運か才能か何かに恵まれた人間、あるいは努力した人間だけが、安心で幸福な生活に到達出来、その他の人間は嫌々毎日働くしかないのだ、餓死しないだけ有り難いと思わなくちゃ、労働は尊い、どんな仕事の中にだって楽しみや喜びは見出すことができる、今の仕事が嫌いなのは自分の思い込みにすぎないはずで、明日からこの仕事のいいところを見つけていくようにして、そしたらきっと何もかも上手くいくに違いない。忙しくて時間がないのも自分の時間管理能力が低いからで、ライフハックしてアプリで時間管理して、そうだ今まで通勤電車でボーっとしてたけれど、ここでも英語の勉強くらいできるし、昼休みもボーっとしてたけれど、15分は資格の勉強に当てて、一日15分でも毎日続けたら。時間がないなんて言い訳に過ぎない、どんなに忙しくても時間はスキマ時間の活用で作り出すことができるはず、忙しいというのは管理能力の低さを露呈してるだけでカッコ悪いことでそんなの口にしちゃいけない。隙間時間の活用しすぎでものすごい疲労感だけど、これは食事のバランスが悪いせいだし、野菜の摂取量と年収には相関関係があるってそういえば、もっと野菜食べて、いや食べる時間も大事だから、規則正しく、そうそう寝る時間もダラーっと寝るより効果的な時間帯にサクッと寝て、15分の昼寝で全然違うらしいから昼寝もしなくちゃ」
 というような思い込みに、あまりにも社会が毒されているような気がする。
 
 けれど、それは思い込みにすぎない。
 僕達は、「選ばれた、勝ち取った」者だけではなく、誰もがみんな安らかに楽しく生きることのできる社会を構築することができる。
 1つの手段として、ベーシック・インカムのことをずっと考えているわけですが、今回は、だからベーシック・インカムをというのではなく、都知事に家入一真さんを!と書いて終わりにしたいです。

新装版 こんな僕でも社長になれた
家入一真
イースト・プレス