変態を隠蔽することがイジメと似ていて窮屈なこと

 前回の記事に痴漢と変態のことを書きましたが、ほとんど痴漢の話に終始していたので、今回は変態の方に焦点を当てたいと思います。

 大人になって、痴漢と変態の多さにびっくりしたという趣旨のことを書いたわけですが、痴漢が多いことと、変態が多いことは、もちろん別の話です。
 痴漢は多いと困るけれど、変態は別に多くても困らない。困らないどころか、ここには人間の多様性が発露しています。
 ネットが発展して、人々の変態ぶりは増々明白になって来ました。それらは当然のように匿名性の中でだけの明白さであり、あくまで隠蔽された多様性です。この隠蔽を、僕達の社会はこれからも続けたほうが良いのでしょうか?

 話をマイルドな範囲に持ち込むとして、年齢のことに話題を絞ることにします。

 社会には「若くてスタイル良くてキレイな女の子がGOOD」という暗黙の了解が存在しています。すこしだけ厳密さを担保する為に、恋愛という要素を見ないことにして、「セックスの対象」と限定した場合でもそうです。
 たとえば20代の青年が、「若くてスタイル良くてキレイな女の子」に対して性欲を感じることは「健常」であり、もしも彼が中年のオバサンに対して性欲を感じるならそれは「異常」だとみなされます。
 でも、それが「異常」ではないことは、アダルト界に存在する「熟女」というジャンルの存在とコンテンツの数が既に証明しています。

 仮にその20代の青年が、オバサンとそのような関係にあったとき、若くてキレイな女の子とそのような関係にあったときと同様に、周囲の人達にそれを伝えることができるでしょうか。
 友達にはなんとか言えても、親には言えないとか、すんなりとはいかない部分がどこかにあるのではないかと思います。

「それはそうだろ、だってそれは異常なんだから、そもそもセックスというのは生殖の為の行為であってだな、人間は本能的に子供ができやすそうな相手を選ぶようにDNAに書き込まれていて云々」
 ということをいう人もいると思います。

 でも、僕はあまりそういう”DNAに刻まれた本能”論には耳を傾ける気にはなれません。僕達はきっと本能から離れたところへ行くことが可能だと思っていて、どこから来たか、なんてことは知識としてだけ知っておけばそれでいいからです。「イジメはなくならない、イジメは動物の本能だ」みたいな議論の組み立て方は本当にどうでもいいです。だったら本能なんてバイオテクノロジーで書き換えてやるぜ、と思います。
 さらに、生殖云々を基準に語るのであれば、僕達はコンドーム付けてセックスしだしたときから既にみんな変態です。

 前回の記事は、「抑圧に疲労を覚える」みたいに書いて終わりました。それは、人々がウソを付いている場面がいくつも想像されるからです。
 たとえば、ある若い男がいて、彼はでっぷりと太ったオバサンが好きだとします。でも対外的にはそんなこと言えないし、別に嫌でもないので、若くて美しい女の恋人がいます。
 ある日、その若くて美しい恋人や友人達と食事をしていて、太ったオバサンのことが話題に上がります。
「嫌よね、年取るって、私がオバサンになっても愛してくれる」
「太ったらどうしよー」
 みたいな若者らしい会話が繰り広げられますが、もともとオバサンが好きな彼にとってはオバサンになっても愛すのは自明のことだし、太れば尚更良いわけです。
 でも、彼は口が裂けてもそんなことが言えないので、「太らないように気を付けないと、若い子に乗り換えるぞー」みたいな下らない冗談で乗り切ります。
 ほんと馬鹿みたいだけど、きっとこういうことはたくさん起こっているはずです。

 もちろん、年齢や体型だけでなく、その他の性癖や性別やなにもかも、別に性的なことに関わらずこういう場面はあると思います。

 自分の本心を隠し、周囲が「OK」としているものに、あたかも自分の好みも一致しているかのように振る舞うこと。
 そういうのはなくなればいいと思う。

 人々のそういった振る舞いによって、あたかも価値を持っているのは極一部の限定された人々や物事だけで、そこに入らないものは蔑まれて仕方ないという風潮が出来上がる。
 それによって、人々は「極一部」になるべく近付こうと、非常な努力を、非常なコストで行ったりする。年を取ることは避けられないのに、お金をつぎ込んで嘘っぱちのアンチエイジングに精を出し、嘘っぱちの下らない美容情報に翻弄される。
 「もう私は50歳だから誰にも好かれない」「太っているから」と言って諦めたり苦しんだりする。
 せいぜい「この条件でも受け入れてくれる人を探す」みたいなネガティブなポジティブさしか持てなかったりする。
 でも、世の中には本当は「年を取っているからこそ」「太っているからこそ」好きだという人だってたくさんいて、ただどういう訳か、僕達の社会はそれを隠そう隠そうとしているだけなのだ。
 本当はその子と仲良くしたいのに、いじめられっ子と仲良くすると自分ものけものにされてイジメられそうで怖い。そういうのと、とても良く似た、人々がお互いに足を引っ張り合って不幸な世界を作る動きにとても良く似ていて、僕はそういうものを嫌悪します。