『風立ちぬ』を見て驚いたこと、への追記

 (今回も『風立ちぬ』のネタバレがあります)

 前回『風立ちぬ』のことを書きました。アクセス数が物凄くて、改めて宮崎駿監督の人気を思い知りました。「一番納得いった批評」という好意的な感想から、「岡田斗司夫のパクリ」という批判も頂きました。岡田さんの批評も確認しています。「夢の中の飛行機は女にしか見えていない」「二郎は女が出てくると絶対にチラッと見る」「菜穂子は森の入口にキャンバスを置いて二郎を誘い込んだ」というような、僕よりもずっと詳細な見方をされています。大枠の見方はほとんど同じで、パクリと言われても仕方ないくらいですが、「今回は正直に、絶対にエグいことを描いているはず」という若干穿った見方をすれば、大抵あのような見方になると思うので、特に驚くこともないと思います。

 これまでの宮崎作品にも「エグい」ことは書かれてきました。そのエグさはいつも「悪者」の方に転嫁されてきましたが、転嫁しても、劇中に出てくるエグさの全ては作者の内から出てきたものです。
 僕は少し小説を書くのですが「実はこんなに気持ち悪いことを考えているとバレるのが怖い」という理由で逡巡することがあります。極悪なセリフを、悪のポジションに置いた登場人物に言わせて、「これは僕の本音ではありません、世間にはこういう極悪な人もいるので表現しただけです」みたいなフリをして誤魔化そうとしても、そんな稚拙が通るわけもありません。

 宮崎作品の代表的な「悪者」はラピュタムスカです。宮崎監督はムスカに「人がゴミのようだ」というセリフを言わせていますが、今回は「悪者」にではなく「主人公(=宮崎駿の投影)」に言わせるのではないかと思っていました。なぜなら主人公の声に、宮崎さんが正直者と言って止まない庵野秀明を起用しているからです。
 だから、「人がゴミのようだ」というセリフは出てこないにしても、”人をある程度ゴミのように扱う主人公”というものを想定して映画を見始めました。薄情者ということです。

 この想定は、映画の最初の方で「肯定」されます。
 まだ幼い二郎が、夢から醒めて目を開けるのですが、近眼なので世界はぼやけていて見えません。枕元の眼鏡を手に取り、それを掛けて初めて視界がクリアになります。この一連の流れが、全て二郎の視点で描かれています。
 加えて、屋根に登って裸眼で星を見ようとするシーン。隣に妹のカヨがやって来て、二郎には見えない流れ星を綺麗だといい、二郎は打ちのめされます。夢の中でカプローニに「近眼でパイロットになれなくても設計はできる」と言われて、やっと元気になります。
 これを僕は「二郎は私宮崎だ」という宣言に取りました。宮崎監督の著書に『本へのとびら』という児童文学を紹介したものがあって、その本の中で彼は「グライダーは本当に素敵だし、みなさん免許を取るといいです。私は近眼だし机にしがみつく仕事してて無理だけど」みたいなことを書いています。複雑な空への気持ちがあると思います。それが、この辺り、少年時代の二郎の描写と重なるように思えました。実の息子に「父親らしいことは何1つしてもらったことがない」と言われてしまうような、宮崎駿という男の生き様も重なってきます。
 そうして、この礼儀正しく親切で秀才な主人公は、絶対に自分勝手でヤバい奴な筈だと思いながら映画を見ていました。

 その結果が前回に書いたもので、今回は、その追記に当たります。
 追記したいことは、『魔の山』のことです。
 『風立ちぬ』は堀越二郎堀辰雄の二人をモチーフにしたものですが、これに宮崎駿本人、加えてトーマス・マンの『魔の山』を加えないわけにはいきません。

 『魔の山』という言葉は劇中で何度か口にされるので、別にこれも何かの裏を分析するものではなくて、ただの表層の話になります。「ここは魔の山です」という、そのものズバリのセリフが、『魔の山』の主人公と同じ名前であるドイツ人 カストルプの口から発せられているので、無視できるはずもありません。

 『魔の山』の主人公カストロプは、飛行機技師ならぬ造船技師で、山の結核病院に入院している従兄弟を訪ねて行って、自分も結核だと判明、なんとそこに7年も入院します。
 堀辰雄の『風立ちぬ』も結核の話なので、宮崎版『風立ちぬ』に占める結核文学の比率はかなり高いと言えます。魔の山を訪ねた造船技師は結核でした。では、魔の山を訪ねた飛行機技師に「病」はなかったのでしょうか。結核のことではありませんが。
 「力を尽くす10年」というのは、見方によっては「熱病」に浮かされた10年ということだったのかもしれないなと思っています。結核という悲劇が一連の文学作品を彩ったように、ある才能と熱意の生み出した悲劇がこの作品を彩っています。

本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書)
宮崎駿
岩波書店


魔の山〈上〉 (岩波文庫)
トーマス・マン
岩波書店