量子力学ミニレクチャー@つくるビル(2013年5月23日)


 先月の終わり「量子力学のお話会」を、五条新町の「つくるビル」で開催させて頂きました。当初「7,8人でテーブルを囲んで90分くらいで小さくやってみよう」と言っていたのが、10名の方に来て頂き、調子も出てきて2時間半喋り続けてしまいました。
 はじめての試みで至らぬ点も沢山あったかもしれませんが、楽しんで頂けたようで良かったです。
 無理矢理詰め込み過ぎた割りには「あっ、あのことに触れてなかった」という事があったり、図の見方を説明していなかったり、色々と反省もしましたが、僕も楽しい時間を過ごさせて頂きました。

 終わるまで全く気にしていなかったのですが、後日あることに気が付きました。
 僕はこの小さなレクチャーを渡邊あ衣さんの作品の前で行うことになったのですが、個人的にはこれは象徴的なことだったのです。

 前々回の記事にも書きましたが、僕は異常に長い間大学にいて、その間いくつかの「分類」の中で、どれも選択しきれずに悩んでいました。平たく言うと優柔不断かつ居場所がなかったということです。
 大学入学時、僕の選択した学科は電子情報工学科でした。当時の僕は「意識」というものに強い興味を持っていて、さらに「人工知能は意識を持ち得る」と信じる「強い人工知能」論者だったので、生物学にあまり興味がなかったこともあって、人工知能からのアプローチで意識の問題に迫ることができないかと思っていました。
 だから最初から入りたい研究室も決まっていて、一回生の頃からその研究室には出入りさせて頂いていました。

 ただ、最初にクラスのみんなでラップトップをLANに繋いでプログラミングの授業を受けた時、「僕はここには属していないんじゃないか」という不安が過ぎったのを覚えています。1998年の話でまだPentium1、メモリ64メガくらいのラップトップが20万していた時代です。僕はこの時までほとんどパソコンを触ったことがありませんでした。
 人工知能といえばほとんどソフトの話なわけですが、なんと僕はソフトには本来あまり興味がなかったのです。ソフトよりも実際に物理的に動きまわるハードが好きでした。AIをほぼロボットと同一視して、ロボットという形で物理的実体の制作をする日がそのうち来るだろうと思っていたのですが、その前に制御理論の深淵な世界が横たわっていました。その研究室の先生に「動くものを作りたいというのは、そりゃ工学の世界の人間として勿論分かるけれど、でも今はまだオモチャしか作れない、オモチャでいいんだったら作ればいいけど、俺はオモチャには興味ない」と言われたのと、確かに人の意識とは全然関係のないオモチャしか作れないことも分かったので、少しづつ興味を失っていきました。

 オモチャ。
 人の意識を云々するには、オモチャはあまり役に立ちそうにありません。
 でも、僕はもともとはオモチャに興味がありました。
 オモチャというか、発明というべきか。
 ずっと科学者になるのだと思っていたのですが、子供のときに思い描いていた科学者というのは発明家だし化学者だしエンジニアだし物理学者だし、とても漠然としたものでした。

 人工知能という縛りを外してみると、途端にクローズアップされてきたのがプロダクトデザインです。幸い、僕の大学にはプロダクトデザインの学科があって、友達も何人かいました。
 正直なところ、最初僕はデザインの人々をあまり快く思っていませんでした。
 勝手なことばかり言って作れないくせにお絵かきして偉そうなこと言ってる人達、という風にしか捉えていませんでした。
 同じ学科で仲の良かった数少ない友人の1人が、当時九州芸術工科大学への編入を考えていて、僕に入学案内を見せてくれました。そこには学生作品の一例として「リニアモータバイク」なる「作品」が載せられていて、この人はこれを自分の作品だというけれど、どうせ中身を実装するのはエンジニアの仕事だし、何を適当なこと言っているのだろう、と思ったのを良く覚えています。
 
 デザイナーは基礎研究もしないのに、その成果だけを華々しく流用してずるいと思っていて、それはいつの間にか「僕もこのずるいポジションに立ちたい」に変わって行きました。
 こういう書き方をすると、まるで「おいしいとこ取り」だけをしたかったように見えますが、実際にオモチャの作れるプロダクトデザイナーは楽しい仕事に違いないし、それにこれは所謂「発明家」のスタンスだったので、子供の頃、発明家をクールだと思っていた僕にとってはあまり違和感のない職業でもありました。

 そうして、僕は自分の学科の講義に出ないでデザイン関連の講義ばかり受けるようになり、やがて正式に学科を変更しようと思うに至ります。ただ、これは書類を提出しに行く途中にばったり会った昔の友達と話していて思いとどまりました。

 そんな頃に量子力学の講義を受け、僕は決定的な衝撃を受けます。厳しいことで有名な教授が担当された講義でした。水素原子のシュレディンガー方程式を解く程度までの初歩的な内容でしたが、とても面白い講義でした。
 講義中に外村彰の電子ダブルスリット実験およびアハラノフ=ボーム効果の観測が紹介され、講義の後僕は個人的に先生にビデオ(VHSです)を貸して頂きました。

 すっかり量子力学に魅了された僕は、それをメインで使う研究室に入ろうと思います。ところが、僕の学科は電子情報工学科であって物理学科ではないので、バーンと「量子論!」を看板に挙げた研究室はありません。半導体工学の一旦として量子力学は使われますが、せいぜいその程度です。でも1つだけ量子論をバリバリ使う物性理論の研究室がありました。
 物性という分野は、あまり興味のないものでした。
 僕はおおまかに「大きなもの、動くハード」が好きで、「小さなもの、ソフト」がそんなに好きではありませんでした。だから化学にも材料工学にもほとんど興味がありませんでした。もっと大きなバーンとした物理学か、あるいはロケットみたいなものが好きでした。派手なものが好きだったということかもしれません。
 だから、物性かあ、というのが最初の感想です。

 そんな折、図書館で物理学の本を漁っていると『物質の中の宇宙論―多電子系における量子位相』という本が目に飛び込んできました。
 当時の僕はこの本の中身をほとんど理解することができずさっと目を通して返したのですが、前書きに「宇宙というのは、地球から遠い場所のことではない、我々の目の前のあるスプーンの中だって、当然この宇宙の一部であり、だから我々はこのスプーンの中を詳しく考えることで宇宙論を語ることもできるのだ」というようなことが書かれていました。
 言われてみれば当然、目からウロコとはこのことでした。

 そうして僕は物性物理の世界に足を踏み入れます。

 長々と書きましたが、AI、デザイン、量子物性という興味対象の変遷はクリスプに起こったものではなくて、ファジーなもので、そういうものを通過するうちに自分の立脚点というものが良く分からなくなりました。
 さらに友達関係でも、電子回路の講義を受けたあとにランチを食べる友達と、知識デザイン論の講義を受けたあとにお茶を飲む友達と、文学部の講義に潜るときの友達と、美術館へ行くときの友達と、クラブに行くときの友達、なんかが全部バラバラで、トレンディドラマに出てくる仲良しグループみたいにずっと一緒に行動できる友達がほとんどいませんでした。
 しっくりと所属する集団がなく、科学と芸術の出会いを標榜はするものの現実には分断されたままの大学で、1人その間を中途半端にウロウロとして居心地の悪い思いをしていました。

 だから、たとえ小さなイベントであっても、色々の人々にお集まり頂き、アートに囲まれた空間で物理学の話ができたことは、僕にとってとても嬉しくてしっくりとするものでした。
 このような試みが定期的に開催できたり、あるいはストリートミュージシャンのように続けていければいいなと思っています。

 来て頂いた方も、オーガナイズ、ご飯などで協力して頂いた方も、本当にありがとうございました!

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)
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ファインマン物理学〈5〉量子力学
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