書評『「ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体」』適菜収:その時代は既に来た

 先日、ある女の子に「あそこのチョコレート屋が最近雑誌に良く出てて行列もできているから私も食べてみたい!!!」と言われて、「それはB層グルメですね」と返答したあと、B層という言葉の定義を教えてあげて雰囲気を悪くしてしまいました。

 B層というのは、ウィキペディアから概要を引っ張ってくると、

『 2005年、小泉内閣の進める郵政民営化政策に関する宣伝企画の立案を内閣府から受注した広告会社「スリード」が、小泉政権の主な支持基盤として想定した概念である。
スリード社の企画書では国民を「構造改革に肯定的か否か」を横軸、「IQ軸(EQ、ITQを含む独自の概念とされる)」を縦軸として分類し、「IQ」が比較的低くかつ構造改革に中立ないし肯定的な層を「B層」とした。B層には、「主婦と子供を中心した層、シルバー層」を含み、「具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層、内閣閣僚を支持する層」を指すとされる』

 同様にウィキペディアには、

『適菜収によれば、「今日ではより普遍的な概念として、人権や平等などの近代的価値を盲信する層のことも指す」のだという。』

 と書かれていますが、その適菜収さんが言い出したのが「B層グルメ」です。
 適菜さんの書かれた文章を引用すると、

 『 こうした状況の中、隆盛を極めているのが《B層グルメ》である。《B層》とは、平成17年の郵政選挙の際、内閣府から依頼された広告会社が作った概念で「マスメディアに踊らされやすい知的弱者」を指す。彼らがこよなく愛し、行列をつくる店が《B層グルメ》だ。

 いわゆる《B級グルメ》が「安くて旨(うま)いもの」であるのに対し、《B層グルメ》は必ずしも安いわけでも旨いわけでもない。しかし、《B層》は誘蛾灯(ゆうがとう)のように引き寄せられていく。なぜなら《B層グルメ》は、行動心理学から動物学まで最新の知見を駆使し、《B層》の趣味嗜好(しこう)・行動パターンを分析した上でつくられているからだ。店の立地、席の配置、照明の角度がマーケティングにより決定され、さらに「産地直送」「期間限定」「有機栽培」「長期熟成」「秘伝」「匠の技」といった《B層》の琴線に触れるキーワードが組み合わされていく。こうして、日本全国、駅前からデパートのグルメアーケードまで、同じようなチェーン店が立ち並ぶようになってしまった。「豚骨と鶏ガラ、魚介、30種類の野菜を3日間煮込んでスープをつくりました」みたいな闇鍋系ラーメン屋もこれにあたる。鍋に水と材料を入れただけなのに、「これが私の作品です」と一端(いっぱし)の料理人のような顔をしている素人が増えている。』
 (引用終わり、引用元:産経ニュース2012.4.6 http://sankei.jp.msn.com/life/news/120406/trd12040603050002-n2.htm )

 僕はいくつか前のブログ記事にこういう愚痴をこぼしています。

『 人の行いの、何もかもが丸っきり下らないように、ここしばらく感じていた。誰かが一生懸命に工夫したデザートだとか、絵画だとか、個展だとか、とにかく人が作った何かとか、あれが面白いとか、これがしたいとか、あの店がいいとか。もうほんとにどうでもいいじゃんそんなのアホらしい、と思っていた。本当はみんなそんなの全部アホみたいだと分かっているのに、でもそれらをアホみたいだと認めてしまったらもっとシリアスな何かと向き合う必要があって、それは非常に面倒なことだから、だからアホみたいだと思わないことにして、アホみたいだなんて全然思ってない振りして、アホみたいだという人をあの人変わってるからと嘲笑でなんとかやり過ごして、こんなに楽しいこと沢山あって良い人に囲まれた私は本当に素敵な人生を生きているのだと信じるように努めて、明日の下らない会社への出勤とその憂鬱を実際には大して気にしていないコーヒーの淹れ方にこだわる振りで誤魔化して、抑圧された日常の景色が詰まらないのは自分の見方が詰まらないからだ、そうだカメラを買って違う視点で街を見なおしてみよう、そうすればこの町も素敵に見えるはず、車で通り過ぎていたあの道路を歩いてみよう、そうすれば今まで見えなかった素敵が見つかるはず、とカメラを抱えて徒歩でウロウロして野良猫の写真を撮ったり、ほんとにみんなそんなことしたいのかよって思っていた。』

 「人の行いの、何もかもが」というのはちょっと言い過ぎで、それは強意の為の技巧でしかないのだけど、大概のものに対してはこういう気持ちでした。
 そして、これを投稿した翌日の夜、これも「911」という記事の冒頭に「昨日の夜、大宮通を自転車で走っていると、タコ焼き屋の店頭でタコ焼きを買っている友人にばったり会った。」と書いた友人が適菜収のことを教えてくれました。
 僕はまだ適菜収の著作をきちんと読んではいないのですが、彼の書いたものはいくらかネット上で読めるので断片的には読みました。適菜さんは大学時代にニーチェの研究をしていて、発言の根幹にはニーチェがあります。ニーチェは「現代人はサル以下の馬鹿で何言っても聞かないし、もう知らない」ということを言いながら発狂して死んでいった天才で、所謂「大衆」のことを「畜群」と呼んでいました。適菜さんは「B層」に「畜群」を見ています。
 見ているというか、以下のように「B層」=「畜群」と書かれていますね。

『 畜群はまさに《B層》である。真っ当な価値判断ができない人々だ。彼ら《B層》は、圧倒的な自信の下、自分たちの浅薄な価値観を社会に押し付けようとする。そして、無知であることに恥じらいをもたず、素人であることに誇りをもつ。ありとあらゆるプロの領域、職人の領域が侵食され、しまいには素人が社会を導こうと決心する。これこそがニーチェが警鐘を鳴らした近代大衆社会の最終的な姿だ。』
 (MSN産経ニュース2012.5.4 http://sankei.jp.msn.com/life/news/120504/art12050403110001-n3.htm より)

 そして、この引用中の「近代大衆社会の最終的な姿」というのが、適菜さんの著作の中ではこう書かれています。

『 なんだか世の中がデタラメになってしまったと感じます。
 三流のものがもてはやされ、おかしな考え方が幅を利かせています。
 本当に価値があるものは、ないがしろにされ、軽く見られ、「つまらないもの」「古くさいもの」「過去のもの」として扱われている。
 かつてドイツの古代史家バルトホルト・ゲオルク・ニーブール(一七七六〜一八三一年)は、「野蛮な時代が来る」と警告を発しました。
 その言葉に巨匠ゲーテは呼応します。
「その時代はすでに来た。私たちは野蛮な時代に暮らしている。野蛮であるということは、すぐれたものを認めないということだ」
 そしてなおも今は、野蛮な時代です。
 嘘に嘘を塗り重ねて、八方ふさがりになっている。
 どこかで道を間違えて、行き先もわからず右往左往している。
 希望が持てない。
 街を歩けば居酒屋チェーンやファストフードばかり。
 テレビをつけても面白くない。
 書店に行けば、くだらない本が山積み。
 聴くに堪えないJポップ。
 大手商社がつくった表面上シックだけど安っぽいグルメアーケード。』
 (引用終わり 「ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体」立ち読み電子図書館 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/17799 より)

 僕は、自分には「本物の審美眼」があって畜群ではない、ということを主張したいわけではありません。単に、みんな本当はどう思っているのだろう、というのが分からなくて、どれくらいの人が「本当はこんなの嫌だけどしょうがない」と思っているのか、どれくらいの人が「こういうの素敵!」と思っているのか、そういうのが全然わからなくて、どうしてこの人達はこんなに詰まらない話をこんなに楽しそうにしているのだろうとか、本当は詰まらないけれど気を使って楽しそうに笑っているだけなのか、本当にこんな話が面白いのか、掛けるのが醤油かソースかどっちなのかというのを本気でそんなに熱弁しているのかとか、新発売のお菓子を一つ分けてもらってオーバーなリアクションをとらないと「冷めてるね」と言われるけれどそんな下らないことで人の熱い冷めてるを判断するのはどうしてかとか、だって僕は全然人生に対して冷めてなんかいないしオーバーなリアクションはとらなくてもキチンと感想は言うのに、どうしてキチンとした感想を語ることが「冷めて」いて、一言「なにこれー!超まっずーい、最悪」とか大袈裟なしかめっ面で言うのがOKなのか。どうしてちょっと自分の考えを話すと「いつもそんなこと考えてるの、頭いいんだねw頭悪いから全然わかんない、勉強きらいだしww」であっさり片付けるのか。
 そういうのが全然わからなくて、ときどき酷い孤独感に苛まれます。
 本当にみんなこういうのはどうでも良くて、ああいうのが好きなんだろうか。
 下らないものを下らないと言わないで、「楽しまなきゃ損」とか言って無理矢理テンション上げて遊ぶのが好きなんだろうか。そして、「考え方一つで嫌いな仕事を”好き”に変える方法」みたいな本を読んで、嫌いと思うのは損だからと嫌いを好きになったつもりで生きていくのだろうか。朝から深夜まで働いて休みもロクに取れない人が「忙しいから」と口にするのは時間管理のできない人間の証拠で言い訳でカッコ悪いとかみんな本当に思っているのだろうか。それは言い訳ではなくて事実なんじゃないだろうか。それでも「隙間時間を効率的に活用して趣味をこなす」人がカッコイイのだろうか。何かが嫌なのは「自分の考え方が間違っているから」で、忙しいのは「自分の時間活用法が間違っている」からなのでしょうか。
 ちょっと話がそれて来ましたが、僕には色々なことが良く分からなくて、街を歩くと全てが嘘に思えて何がなんだかまったく不思議に見えます。まるで、誰も行きたいと思っていないのに、行きたくないと誰一人言い出せず行く事になった、誰も楽しくはなく、楽しい振りだけがやりとりされる2次会のように。


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