天橋立/大江山/酒天童子/元伊勢

 半島の様に突き出した低い山が、微かに曇った空の前で緩やかなスロープを作っている。何一つ転げ落とすつもりのない平和な斜面には、幾分古くなってきたリゾート旅館がすくりと立っていて、側でゆっくりと回転する小さな観覧車と麓の間を、これもまったく目立つことのないケーブルカーが忘れた頃に行き来している。

 僕達はビーチから数十メートルだけ離れた海面に浮かんでいて、周りをぐるりと見渡したり、浜辺の方を振り返ったりしていた。ケーブルカーの山を背景にし水際で遊ぶ子供達が、少し古めかしい日本の避暑地を連想させる。何とはなしに由緒正しいような。懐かしいような。まるで日本文学みたいな。その辺りを漱石が泳いでたって、そんなに変じゃない。胃が痛い顔して。

 ここは天橋立日本三景の一つだ。由緒正しいと云えば正しいわけだし、古めかしいと云えば古めかしいに間違いない。
 僕達は昼下がりから急に思い立って海水浴にやって来た。天橋立に着いたのは既に4時を過ぎていて、駐車場からビーチに向かう時、すでにたくさんの人達が引き上げてくるところだった。でも、いつも思うのだけど、海水浴はこれくらいの時間からの方が圧倒的に快適じゃないだろうか。真昼の炎天下で焼かれるのもいいけれど、太陽が少し収まって来たこれくらいからの方が全てが優しく、人も多過ぎない。そのまま夜のバーベキューに移行するにも都合がいい。単にもう一日中ビーチではしゃぐには年を取りすぎたというだけのことかもしれないけれど。

 さて、今回はビーチの話ではないんです。
 天橋立でひと泳ぎして、水着のままお寺をうろうろしたりして、シャワーを浴びて着替えたあと、特に何の予定も立てていなかった僕達はこれもまた何の考えも持たずに帰路に付いた。考えと云えばせいぜいが高速道路で来たので下道で帰ってみようというくらいのもので、流石は日本のリアス式海岸、さっきまで海にいたかと思えばすぐに辺鄙な細い道を山の上に登っていて、写真をパチリと撮ったり、そのまま寂しい夕暮れの山道を進み、気が付くと僕達の前には鬼がいた。
 思わず息を飲む。
 薄暗い明かりの中に姿を見せたそれは、残念ながら本物の鬼ではなく、そして息を飲む程に精巧な作りのものでものなかった。至ってコミカルなハリボテだった。僕がハッとしたのは、自分が今どこにいるのかに気付いたからだ。
 
 僕達は大江山にいた。車を進めると「日本の鬼の交流博物館」と書かれている。大江山には鬼の伝説が、特に酒天童子の伝説があり、それから伊勢に移る前の伊勢神宮と言われている「元伊勢内宮皇大神社」が現存している。
 テンションが一気に上がって、海水浴の後の心地良い気怠さが吹き飛んだ。博物館はもう閉まっているから仕方がないとして、神社の方は今からだって見に行けるはずだ。空腹を抱えてレストランへと急いでいたのを変更し、内宮を見に行く事にした。

 内宮前の小さな集落に車を駐め、境内への階段を登り、途中で振り返ると慎ましく美しい景色が広がっている。低い家の屋根屋根が田畑と山に囲まれ、ここからでははっきり見えない川の音とカエル達の声が低い場所から聞こえてくる。暮れてきた参道の途中を、防虫ネットで顔まですっかり防備したおばさんが掃除していた。軽装の僕達を見て「そんな格好だったら蚊とかブヨとかの恰好の餌食になるよ」と言ってくれたが、そうはいっても今更引き下がるわけにも行かないし、ディートも振り掛けてきたから大丈夫だろう。残念なことにハーブの防虫スプレーはこういうときあまり役に立たない。半世紀以上も昔に米軍が開発した化学物質C12H17NOの助けを借りて、いよいよ暗くなってきた古い神社の森へと入って行く。

 神社は予想していた以上に神々しかった。
 たぶん時間帯の所為もあったのだろう。そろそろ懐中電灯が必要な程度に暗くて、そして僕達の他には誰も人がいない。太い木の幹が黒い影そのものになり遠く蒼い空とのコントラストを成す。静寂。畏怖。本殿の周囲に鳥の巣箱をいくらか大きくしたような小宮が何十個と並んでいる(あとで調べたところ脇宮2つに小宮83個とのこと)。樹々に囲まれた深く暗い空間で、それら小さな社に眠る何かを起こさないよう気を使わなくてはならない気分になる。大きなカエル。鋭角に頂きを構える山。酒天童子はこっちの大江山だな、と思う。この世のものならぬ雰囲気が溢れていて、太古に思いを遣らずにいられない。
 実は酒呑童子の伝説があるのはここだけではない。僕は京都市に住んでいて実家がそのとなりの亀岡市にあるのだけど、京都市亀岡市の間には老ノ坂という山間部があり、その辺りも大江と呼ばれていて同じく酒天童子の伝説がある。伝説だけではなく、こちらには「首塚」という物々しい名前の塚もあり、酒呑童子の首が埋まっていることになっている。首塚の方を僕は高校生の時に一度見に行ったことがあって、それも朽ち果てたモーテルの前を抜けて細い道を入って行った先にあり、なんだか秘境のような雰囲気がないでもなかったけれど、元伊勢に比べてみればなんでもないものだったかもしれない。

 僕がどうして大江山や鬼のことに興味を持っているかのというと、その理由は主に2つあります。
 1つ目はついさっき書いたように、酒天童子の伝説が比較的身近だったこと。
 2つ目は、別のルートから鬼について調べている途中やはり大江山が出てきたから。無論、大江山の辺りは鬼伝説を観光資源として押し出している側面もあるし、鬼の博物館だってあるのだから、日本語で鬼のことを調べていれば必ず大江山のことは目に入る。たしかこの鬼の博物館を中心とした形で鬼学会なるものもあったと思う。僕の場合は「豆塚」という京都市北区にあったこれも鬼に関連した塚のことを調べている途中、ある人に「読んでおいたほうがいいよ」と言われて『酒天童子の誕生 もう一つの日本文化』という本を読み、その中でもまた酒呑童子大江山の名前を何度も目にすることになった。
 別に鬼全般に関して興味があるというわけではなく、極々限定的に豆塚というものに興味を持っているだけなのだけど、それでもいつの間にか鬼全般のことが無視できなくなってしまった。加えて、僕はこの豆塚に関しては一応ユニークだと思える自説を持っていて、そういうのは鬼学会でなら聞いてもらえるのだろうか等と考えていた時期もあるので、やっぱり大江山という場所は特別なのだ。

 境内を歩き回っていると、いつの間にか夜は一帯をすっかり包んでいた。懐中電灯の明かりで階段を降り、境内から集落へ戻る。途端に世界の音が戻ってきた。幸いにもほとんど虫の被害は受けていない。ケミストリーの勝ち。
 車に乗り込み、エンジンをかけてエアコンを最強にしてタオルで汗を拭いた。ヘッドライトを付けて、アスファルトの道路へ戻る。世界は当然だけどさっきまでと同じように存在していて、前方に対向車を認める度に僕はヘッドライトを下げた。アスファルトの道路は街へと続き、僕達は国道沿いのインド料理屋だかネパール料理屋だかはっきりとしない、でも気の良いレストランで遅い夕食を取った。店の中に貼られていたエベレストのタペストリー前で撮影した僕の写真が残っている。ヒマラヤには鬼ではなく雪男がいるのだろう。

酒呑童子の誕生―もうひとつの日本文化 (中公文庫BIBLIO)
リエーター情報なし
中央公論新社