書評『風邪の効用』野口晴哉:野口晴哉という巨人

 夏、が呼ぶのかもしれない。
 彼はまあ、控え目に言っても随分と怪しい男だ。

 彼というのは野口晴哉のことで、この一風変わった人のことは、昔本を読んだきり、去年の夏まで完全に忘れていた。去年の夏、友人の個展で受付をしていると、足を痛めた様子の年配の方がいらして「野口先生がいたらなあ」というような話をされていたので、僕は思わず「野口先生って、野口晴哉のことですか?」と会話に割って入った。
 野口先生は、まさに野口晴哉のことだった。
 彼は1976年に死んでいて、僕にとっては本を2冊読んだだけの遠く遠く、そしてやや怪しい存在でしかなかった。でも、目の前に現れたその男の人は、かつて実際に野口晴哉の治療や指導を受けた人だった。

「なに、野口先生のこと知ってるの、君! へー、そうか、この子、野口先生知ってるってさ!」

「いえ、知ってるって言っても本読んだだけですよ」

 そうして、僕は野口晴哉という人が実際にどのような人だったのか、貴重な話を聞くことができた。それはもうすごかったらしい。なんだか良く分からないのだけどすごかったらしい。関西人らしく、主に擬音語を使って、パッとなんやしゃはったらギャイっと、という感じで受けた説明には、良く分からないけれど説得力があった。死後30年以上が経過して、医学も発達したはずなのに、それでもまだ彼に診てもらいたいと思うのだから、きっと本当に良かったのだろう。

 野口晴哉という人の存在を知ったのは、文庫化されていた彼の『整体入門』を読んでのことだ。僕は父の影響で子供の頃からかなり怪しい東洋医学っぽい本を読んでいたのだけど、野口整体はその中でも異質だった。当然だけど、一冊の本を読んだくらいでは何も分からなくて、これも文庫で出ていた『風邪の効用』を次いで買った。この本によれば、僕達が風邪をひくのは体のメンテナンスの為であるから風邪を敵視して無理矢理治すな、適切な経過を通じて風邪を体験すれば、体はひく前より良くなる、ということだった。
 僕は基本的にこういう大風呂敷の広げ方が大好きで、そして、この考え方は出鱈目だったとしても、できれば是非採用したいスキッとした嬉しいものの見方だった。

 先日、ツイッターで僕のタイムラインに、野口晴哉ボットのツイートが流れてきた。そこでまた、野口晴哉の言葉をいくつか読んだのだけど、それはやっぱり凄まじいようなものだった。

「晴れあり、曇りあり。 病気になろうとなるまいと、人間は本来健康である。 健康をいつまでも、病気と対立させておく必要はない。 私は健康も疫病も、生命現象の一つとして悠々眺めて行きたいと思う。」

 この言葉を、病で愛する人を失いつつある人の前で言えるかというと、それは難しい。でも、この次元を一つ繰り上げた視点のとり方はきっと人を溌剌とさせるのではないかと思う。




風邪の効用 (ちくま文庫)
野口晴哉
筑摩書房


整体入門 (ちくま文庫)
野口晴哉
筑摩書房