広告という時代

 亡くなる少し前に、僕は中島らもさんに握手してもらったことがある。らもさんはフラフラで付き添いの人に支えてもらっていて、握手はフニャフニャで手はガサガサだった。僕は、お互いに顔だけ知っていて、この日「あっ、あそこでよく会う人だよね」と初めて口を聞いた女の子と、それから「私パニック症候群で電車も乗れないんだけど今日はがんばって1時間も電車に乗って来たの、今薬また飲んだけど怖いから一緒にいて」とやって来て、その割にはいきなり僕のことを良ちゃんと馴れ馴れしく呼ぶ、完璧なメイクとブランド物で全身を固めた女の子と一緒にいた。
 僕達は3人ともフラフラでフニャフニャでガサガサな握手をしてもらった。

 高校生の頃、らもさんの本を結構たくさん読んだ。何かの本に、広告は鬱陶しいもので、街には所狭しと広告が出ているけれど、駅の階段にまで水虫薬の広告が書いてあったり図々しいというかお節介というか、とにかく本当にうるさいものだと思う、というようなことが書かれていた。
 それは本当だ。
 僕は今電車の座席に座ってこれを書いていて、周りを見渡せば「うちの大学のオープンキャンパスに来なさい」「この清涼飲料水を飲みなさい」「肩が凝ったらサロンパス貼りなさい」「腰が痛かったらこれを塗りなさい」「電車移動にはこのカードが便利だから使いなさい」というメッセージが見える。ついでに書くと、僕の座っている席には「優先座席だから席を譲りましょう」と書いてある。ここからは見えないけれど、「ヘッドホンからの音漏れはNG、マナーを守りましょう」とか「しゃべり声が大きすぎませんか。マナーを守りましょう」とか書いたポスターが車内にあることも知っている。まあ、うるさいこと極まりない。
 これらを「街の彩り」だということもできるとは思う。広告のない世界は寂しいかもしれない。佐藤可士和さんが昔言っていたけれど「広告なんて誰も見てない」わけだから、気にしない人は気にしないし、別にうるさいと文句を言うようなものでもないのかもしれない。

 でも、僕達が「広告の世界」に住んでいるということは、もう少し積極的に認識されてもいいように思う。広告の海の中で泳ぐような生活の歴史はとても浅い。実はメディアの発達の歴史は広告が環境中に溢れてくる歴史でもある。昔はせいぜい看板とか、実際に街角で「トーウフー」とか叫ぶだけだったけれど、新聞、雑誌、ラジオ、テレビを経過して家庭内、個人のプライベートな空間にまで広告は深く浸透した。

 そしてインターネット。ネットの上に「誰かの善意や自己顕示欲によりタダで落ちているモノ」は少ないし、それらにアクセスする人も実はそれほど多くないと思う。大半の人がアクセスするのは従来の商業的情報源だ。だいたいこのサイバースペースという膨大なデータとトラフィック、つまり物理的に言えばものすごい数のサーバと電力は「誰がどのようなお金によって」支えているのだろう。どうして、今まで新聞や雑誌を”お金を払って”買わないと読めなかった記事が、インターネットではタダで手に入るのだろう。それは僕達が代わりにものすごい量の広告を見せられているからだ。サイト上のバナーで、送りつけられるメールで。僕達がネット上のサービスにお金を払わないなら、その対価は「広告を見る」という形で払っていることになる。

 2010年の媒体別広告費(2011年2月23日発表、電通による)では、総広告費:5兆8427億円で、内訳はざっと
 ・テレビ:1兆8000億円弱
 ・ネット:8000億円
 ・新聞 :6000億円
 ・雑誌 :3000億円

 単純に”金額ー広告の邪魔さ”間に線形な相関があるとすれば、テレビの映画で十数分ごとに消臭剤とかビールとかエアコンとかの宣伝が流れる半分くらいの”邪魔さ”でネット上に広告が挿入されていることになる。
 ネットが画期的なメディアであることには間違いないけれど「ネットは双方向で自由だ!」というのは、半分は幻想に過ぎない。大半のユーザにとっては、情報の海にアクセスする窓を開けてみたら何かを言う前に大量の広告を押し込まれた、という形になっている。こういうことにはもう少し自覚的になってもいいと思う。どうしてこんな偉そうな年寄りの説教みたいなことを言うのかというと、「ネットは自由だもん」という幻想の下に、なんだか良く分からない、ある軽薄さに裏打ちされたフォーマットや文法が世界に染み込んでいくような気がして少し怖いと思っているからです。

ガダラの豚 1 (集英社文庫)
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