ネズミと太陽と雪

 ネズミがこっちを見上げていた。
 スーパーマーケットへ行こうと、アパートの一階の廊下を歩いていると、どこからかキュルキュルと小さな音が聞こえた。最初、機械か何かの音だろうと思ったけれど、どうやらそこには生き物の気配があり、辺りをよくよく探してみると排水溝の格子状の小さな蓋の下に小さなネズミがいた。

 ネズミ色のネズミ。薄汚れて小さい体で真っ黒い目はこっちを見ていて、ライトの光を当てても鳴きやまない。キューキューと鳴く。
 ネズミがなにを言っているのか、僕には分からない。もしかしたら助けを求めているのかもしれない。餌がほしいのかもしれないし、ただ寂しいのかもしれないし、母親か誰かを呼んでいるのかもしれない。

 子供のとき、飼っていたモルモットに子供が生まれた。モルモットの赤ん坊は大人と同じように毛むくじゃらで生まれてくる。ミルクだけでなく餌も食べるし、もちろんクルクルとそこらじゅうを走り回る。外に連れていって遊んでいると、物置の下などに入り込んで出てこなくなってしまうことがあって、そんなとき僕は母親モルモットに呼んでもらっていた。キュンッキュンッキュンッと不安げに鳴き声を交わし、小さいモルモットは物陰から出てきて母親のところへやってくる。
 ネズミの声を聞いていて、僕はそういうことを思い出した。

 もしもこれが救助を求める声だとしても、僕はどうすることもできない。ネズミはかわいいけれど、このかわいいネズミは下水の中を走り回って病原菌だか寄生虫だかをわんさか持っているということだから、彼を鉄格子も下の世界から地上に出すことはできない。たとえ上手にシャンプーしたってそれらは排除できやしないのだ。昔ノラネコにノミを移された時よりも大変なことになるに決まっている。もしもこのネズミが言葉を話したとして、ここで心が通じたとして、僕たちは交わることのない世界に住んでいた。排水溝の蓋はいかにも金属らしく世界をがっしりとわけていた。

 スーパーマーケットでネズミの食べそうなものも買う。クルトンにしようかパンにしようか豆菓子にしようか迷い。僕の大好きなエンドウ豆のお菓子を買った。
 アパートに戻るとネズミはまだ排水溝の中にいて、やっぱりキューキューと鳴いた。蓋の間からエンドウ豆スナックを落とすと、豆菓子は排水溝の奥へ転げていき、それを追ってか豆が落ちてきたことに驚いたのか、ネズミは排水溝の奥へと歩いて行った。蓋のところからはもう彼の姿は見えない。

 その夜、強い雨が降っり、翌日排水溝を覗いてみると、ネズミがいたところはすっかり水たまりになっていた。真冬の昼間はなお寒く、空は明るいのに雪が強い風に煽られている。黄色い光の中を水の結晶が真っ白に舞っている。
 あのネズミは僕のエンドウ豆スナックを食べただろうか。

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