ブリーチ。

 もう10年くらい昔の話だけど、僕はいい加減白になってしまうくらいに髪の毛をブリーチしていて、その髪のままでアルバイトの面接に行ったことがある。そこは比較的きちんとした身形が要求される場所だったので、行く前から髪の毛が黒くないと雇ってはもらえないだろうと思っていた。

「髪の毛、ブリーチするの流行ってるのは分かるんだけど、でもお客さんで嫌がる人もやっぱりいるから、それ黒く染めてきてくれるかな?」

 面接の最中、店長みたいな人は案の定そう言った。彼は僕が履歴書に書いた志望動機などに大層な興味を示してくれて、ブリーチ以外の点では僕のことを気に入ってくれたみたいだった。
 僕がそれはできないと断り、彼がそれじゃ悪いけれど採用はできない、と受けて、アルバイト採用の為の面接はそれで終わったのだけど、その後も良ければ少し話を聞きたいということでしばらく僕達は話をしていた。

 そのとき、僕は「そういった髪の色だとか服装を縛り付けるような職場で働くつもりは一生ない」と言った。僕の個人的なポリシーと言うだけではなく、できれば自分がそういうスタンスを貫くことで変化の一因になれればいいと思っていた。
 結局、高い自給に目が眩んで、僕はその後3回もスーツに袖を通すアルバイトをした。2回は短い期間だったけれど、最後の1回は1年以上続いて、嫌で嫌でたまらなかった。自己嫌悪というのはまさにこのことだと思った。だからその後渡りに船とばかり飛び込んできた大学の非常勤講師の仕事も何故かスーツ着用という話だったので受けなかった(後にスーツなんて着なくていいと判明、、、)。

 こういうのは些細なことじゃない。とても大事なことだ。10000年後の進歩した人類が「働くときにはスーツを着てください、そうじゃないと失礼だし」「学校に来るときは制服を着なさい」とか言ってるわけない。昔は自分でもこれらがどういう意味を持つのか分からなかった。なんか嫌だけど仕方ないと思っていた。でもなんか嫌だけど仕方ないことなんてこの世界に何一つ無い。もしも中学からやり直すなら絶対に制服なんて着ない。文化なんて便利すぎる無意味な言葉で片付けないで欲しい。スーツを着た息子の姿を見て子供が大人になったような気がするなんて民度が低すぎる。僕達は自由だ。