日本の農業。

 僕の祖父は元々兼業農家で、仕事をやめてからもお米を少し作っている。見ていて思うのは、少しだけ田んぼを持ってお米を作ることにどれだけメリットがあるのだろうということだった。もちろんお米がたくさんあって、いくらでも食べられるのは嬉しいけれど、1年中田んぼの管理をして得るにしては少なすぎる利益だし、出荷もそんなに沢山はしていないと思う。実感として、これだけの土地からこれだけのお米ができるということは、僕も手伝いにいったことがあるので知っている。お米の大体の値段も勿論知っている。つまり一年掛けて、さらにトラクターなんかを購入してまで得られる利益の大きさというのが、大体肌で感じられるのだけど、それはとても小さい利益に思える。だから、僕はどうして祖父が米作りを続けているのか全く理解できなかった。ときどき、農地と宅地での税金は異なるだとかそういう話を聞いたけれど、決定的なのはそういうことじゃなくて、詰まるところ只の年寄りの頑固で続けているのだと思っていた。なんだか良く分からないけれど、自分の祖父だけではなく、田畑のたくさんある田舎で育った者として、周囲の兼業農家の人々がどうして米作りを続けているのか子供の頃からずっと不思議だった。

 農業というものに、僕はずっとほとんど何の興味も持っていなかった。農業というのは自分とはあまり関係の無い世界で、自分がそこに手伝い以上の形で関わることはないだろうと思っていた。
 少しくらい農業に興味を持つようになったのは、随分と大人になってからのことだった。流れとしてはありがちだけど、ヒッピーのコミューンなんかに憧れているうちに自給自足だとか有機農法だとかに少しだけ興味を持つようになった。僕達は食べ物を食べて生きているのだから、明らかに農業が世界で一番大事な業種だと思うようになったりもした。自分達の食べるものを自分達で作る、というのがなんかいいなと思うのは今もそんなに変わらない。でも、その「自分達」という枠をもっともっと大きく広げるのも悪くはないなと最近では思っている。自分の畑で、自分の村で取れたものでなくても、遠く南米で取れた野菜を自分達の野菜だと形容したっていいかなと少し思う。

 食料自給率を上げたいという人々の気持ちはとても自然なものかもしれない、でも、実は僕はそれには素直に賛成できない。日本での農業利権の話はときどき出てきますが、先日のちきりんさんの記事がとても面白かったのでリンクしておきます。
 農政にみる民主主義の罠

 ついでに食料自給率の記事も、
 食料自給率100%の世界