2 to 3.


 小林紀晴、さんの名前をふと思い出した。僕は過去のある時期、アジアを中心とした、世界のいたるところへふらっと旅に出てきたような人々の書く作品が好きだった。

 ざわざわとした日々を送るうちに、2週間もこのブログを書いていませんでした。実際に多少は時間に追われていて、なんとなくパソコンに向かってキーボードを叩くのが億劫になっていました。この2週間の間に、冬の終わりの象徴である2月が過ぎて、春の始まりの象徴である3月がやって来た。今窓の外では雪が風に舞っていて、天気予報では寒の戻りだと言っていたけれど、それでも暦は3月であり、僕達は強引にそれを春だと呼ぼう。季節が変わるのに同調して僕の引越しも済んだ。自転車で10分も掛らないような距離を引っ越しただけだけれど、やっぱり生活は随分と変化した。それから自転車のタイヤを交換し、サドルも交換し、金沢旅行を申し込んでキャンセルした。祖母が入院した。展覧会へ行った。久しぶりに動物園に入った。なんというか、色々なことが新しくなったというよりも更新された。

 2009年2月25日水曜日
 引越しの日。午前中雨降るも10時に車を借りに行き手伝ってくれるI君を迎えに行くと雨上がる。今回の引越しは簡単に終わると思っていたが、はじめると二人では大変だという絶望感がすぐに起こり、冷蔵庫を上げたついでにKにも手伝いに来てもらう。百万遍の新居に荷物を運び込むと4時になる。近所で軽食をとろうと歩いていると車に乗ったMさんにばったり会う、さらに入ったお店の人がMちゃんの友達だった。引越し初日にして左京区の狭さを思い知る。
 荷物を実家にも運び込む。
 夜に京都に戻ってラティーノでご飯。くたくた。

 2009年2月28日土曜日
 ハイエースワゴンとM君の車に分乗して生野銀山と大河内発電所を見に行く。茨木でYちゃんとKさんを拾うまでは僕の計算通りだったけれど(誤差2分以内だったので、Oが完璧だと目を丸くしてくれた)、中国自動車道で渋滞に巻き込まれて随分な遅れをとる。お陰でもともとタイトだったスケジュールがますます厳しくなる。ノミという超ローテクで掘り進んだ坑道に度肝を抜かれる。やや駆け足で坑道を抜けた後、播但道を走り、大河内発電所へ向かい、締め切り5分前で申し込みをする(またOが時間ぎりぎりだと目を丸くする)。発電所には僕達以外の客がなくて見学ツアーのバスも貸しきり状態。山の中に深く穿たれたトンネルをバスで進み、発電機のある大空間に驚く。発電シャフトをはじめとした巨大な機械がなんとなく嬉しい。ガイドの女の子も感じが良かったので自然と沢山質問が出る(全く興味がもてなかったというYに言われて考えてみれば、たしかに僕達11人のうち8人が理系で修士以上を出ているのでそういうことになったのかもしれない)。発電所のあとダム湖をさっと見て(鹿の死骸が落ちていた)、M君お勧めのうどん屋へ入ってあれこれ食べて、急須のお茶を10回くらいおかわりして、なぜか飼われているヤギと遊んで帰路に着く。

坑道爆破体験装置



まるでグーニーズ