ヘッド博士の世界塔。

「私達、そろそろ病院へ行ったほうが良さそうね」
 小枝子が菊池にそう言ったのは、この間の木曜日だった。「そうかもしれないな」と菊池は応じた。たしかに小夜子の言う通り、ここのところ夫婦仲はあまり良くない。たぶん夫婦倦怠症が発病したのだろう。軽いうちに病院で見てもらうほうがいい。昔はフェニールエチルアミンやなんかの知識が不足していた、あるいは薬学の方が追いついていなかったから、人は結婚後配偶者を疎ましく思うようになると離婚していたそうである。それ以前に夫婦倦怠症が脳の病気だという認識すらなかったらしい。今はいい薬があるので夫婦倦怠症は簡単に治療することができる。なんだか配偶者といても詰まらないなと思ったら病院に行って薬を貰えばいいだけのことだ。もちろん夫婦倦怠症の薬は結婚していないカップルにも有効なので、最近は倦怠科を受診する若いカップルもとても多い。


香苗が強度親性依存に掛ったのは幼稚園入園直後だった。朝迎えのバスが来ても香苗は泣きじゃくって友江にしがみつき、一向に幼稚園へ行こうとしなかった。「親性依存発病しちゃいましたね」川上というまだ若いその幼稚園教諭は手馴れたもので、エプロンからヤクルトのような飲み物を取り出した。「これ治療薬なんで香苗ちゃんに飲ませて上げてください」「はい、ありがとうございます、すみません」友江は「ほら、先生がジュースくれたからちょっと飲もうか」といって香苗にそれを飲ませた。大抵の治療薬は子供でも飲みやすいようにメロンだとかなんだかの味付けがしてある。薬さえ飲んでくれればもう大丈夫だ。「おいしかった。オレンジ。じゃあいってきます」


 文部科学省が「キレる」メカニズムの解明に乗り出すそうです。
 このニュースを読んで色々な意味で怖くなりました。
 ときどき人類というのは発狂しつつあるのではないかと思うからです。世界中にばら撒かれ続ける変な化学物質やあるいは電磁波を浴びて、もしかしたら僕達は機能を失いつつあるのではないでしょうか。天空の城ラピュタに「人は土を離れては生きていけない」というような言葉があったけれど、空こそ飛んでいないものの僕達は土を離れて生きていて、これは人体という有機物にとって過酷なことなのだろうなと思います。

 人の振る舞い、性格、脳に関する問題はデリケートなものだし、それから込み入っています。込み入ってるといってもただ絡まっているわけではなく、僕達はそのごちゃごちゃした問題についてどこを拠り所にして解法を進めていけば良いのか知りません。たとえば、酷く心が沈んでいて何もしたくないという人に抗うつ剤を与えて働けるようにする、というのがどういうことなのかも僕には分かりません。いいことなのか悪いことなのかも分からない。働いて稼げないと生きていくことができないのだから、働けるようにしてあげて薬は助けになってるのだ、ということも言えるだろうし、何もしたくない人を薬で動かすのは社会の要請であって本人の意思ではないとも言える。明るくしてくれないとなんとなく困るから、不安だから、薬でなんとか元気な素振りを見せてくれたら嬉しいな、みたいな。このとき明るく振る舞っている人は誰なのだろう。それは魔法の惚れ薬を飲んだ女の子に好きだと言われても全然嬉しくないのに似ている。好きだと言っているこの人は誰なのだろう。

 僕達が誰かを尊重するというとき、それはその人の何を尊重することなのでしょうか。脳内に分泌される僅かな化学物質に喜怒哀楽を左右され、ある部位に電流を流すと無上の幸福感に満たされる。人とはその程度の存在なのだ、という人もいる。ピルで精神状態なんてどうにでもなる。人の心とか精神なんて所詮はそんなものだって。
 でも僕はとりあえず薬品を摂取しない状態をその人であると捉えるのがもっとも自然なんじゃないかと思います。かつて凶暴な人の前頭葉(人格や精神の宿る部位)を切除するロボトミー手術が大流行したのと、今の精神医療の在り方はとても似ているような気がしてなりません。
 


 2008年8月18日月曜日
 昼下がり、大学の図書館へ行くと今日から点検だということでメインの図書ゾーンに入れない。必要な本があったのでカウンターで申し込んで夕方に取りに行く。
 夜、I君と好来屋へ行くと新町通りの店は潰れて違う中華の店になっていた。この店は中国人の友達が教えてくれた本当の中華料理屋で、なんだか滅茶苦茶な店なんだけどとても気に入っていたのでがっかりする。僕はそれほど食べ物にこだわりがなく、特にどの店の料理が食べたいと思うことはない。でもここだけは唯一「この味じゃなきゃ駄目だ」と思う店だった。あの眼光鋭いコックさんたちはどこへ行ったのだろう。