mixed state.

 人権が守られていない。ということで、地球連邦政府は緊急会議を開くことにしました。「今年こそ、人権の年にしよう」アメリカというわがままな国の大臣まで意気込んでいます。おっと、アメリカという国をわがままだと決め付けるのも人権無視になりますかね。前言撤回しましょう。
 とにもかくにも、世界中の大臣が集まって、1週間会議を開いて話合ったところ、素敵なアイデアが出てきました。ロシアという国の大臣が、「私は歴史を勉強したことがあるのですが、実は昔私の国とアメリカさんは仲が悪かったのです。いつ戦争をしてもおかしくないような状態でした。しかし、お互いが地球を滅ぼすくらいの核兵器を持っていたので、それが抑止力となり戦争をしませんでした。歴史ではこれを冷戦時代と呼んでます。私はこの抑止力というのを応用して人権も守れるのではないかと考えます」
「なるほど。抑止力とは素晴らしいものだ」各国の大臣も肯いて、またたくまに素敵なプランが出来上がりました。地球人全員が強力な核ミサイルを持ち、人権が侵害されるようなことがあればミサイルを発射して地球を滅ぼす、というものです。そうしておけば抑止力が働いて、誰も人権を侵害するようなことはしなくなります。

 この素敵なアイデアが採択されたので、世界中の工場は大忙しです。地球人全員分の核ミサイルを作るのは大変なことですからね。学校でも、数学や歴史や外国語の時間が減らされ、人権の授業が増やされました。何が人権侵害に当たるのか、それを一人の生徒がたった一項目知らなかっただけで地球が滅びてしまうのですから、それはもう先生方も大忙しです。生徒達も自分が地球を滅ぼすことになっては困るので真剣に人権の勉強をしました。覚えることはとてもたくさんあります。なぜなら、「どういうときに人権侵害が起きたと見なして核ミサイルを発射すれば良いのか基準が曖昧だ」ということで、この世界で起こりうるありとあらゆる種類の人権侵害について、それぞれが吟味され、数値化され、リストにされたからです。その項目は厳選され100万個になっていましたが、それでも100万個を覚えることは大変です。1日100個覚えても30年くらいかかる計算になります。そこで、30歳からを成人と見なし、それ未満の年齢の者が人権侵害を行った場合はそれは核を発射する場合には該当しない。という決まりができました。また、このことから法律の施行までには30年の猶予が置かれることになりました。そんなのめちゃくちゃじゃないかという市民の声に対し、「大変なことは分かっているが、人権社会を築くための第一歩だ」と連邦政府の大統領は言いました。悪者は、それならこの30年のうちにやりたい放題、めちゃくちゃに暴れてやろうと考えました。

 こういうことを言うと御幣があるかもしれないけれど、僕は「人権」というものはこの世界に存在していないと思う。人権というか「権利」というものは本来的にこの世界に存在していない。もちろん、権利という言葉が表しているもののことは分かるけれど、僕らの世界というのは権利というものをなるべく構造に繰り込むべきではないと思う。「私にはそれをする権利がある」なんて胸を張って言われると蹴飛ばしてやろうかと思うことがときどきある。
 人権という言葉がないと、たしかに僕達は人権のことを考えることができないのかもしれない。だけど、人権というのは人権という言葉をつかったのでは守ることができない。なぜなら人権という言葉とその人自身の間にはかなりのギャップがあるからだ。「あの人の人権を守るためにいじめるのをやめた」というのは物理的にはいいのかもしれないけれど、とても違和感のあることだと思う。ほんとうに”人権”が守られている状態は何も記述しないことによってしか記述できない。僕らは生きる権利があるから生きているわけじゃない。もしも誰かのことを考えるのであれば、その人の人権なんて考えないで、その人そのもののことを考えなくてはそれは所詮なにかの振りでしかないと思う。別に何かの振りで十分なのかもしれないけれど。