逗子で暮らし始めたこと

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 井の頭線下北沢駅のホームは道路に近いこじんまりとしたもので、まるで路面電車かのようにさっと乗車できる。急行に乗れば次の駅はもう渋谷で、その間たったの4、5分だから、感覚的には家にいて誰かに呼ばれれば10分から15分後には渋谷にいるという感じだ。同じように新宿へも小田急で10分程度でアクセスできる。渋谷と新宿はそれ自体が大きな街だが、交通の要でもあるのでそこからほとんど関東圏のどこへでも行くことができる。また、西へ目を遣れば井の頭線では吉祥寺まで、小田急では藤沢江ノ島エリアまで一本で行ける。交通の便という観点から言えば、下北沢は間違いなく便利な街だろう。

 街そのものはどうかというと、肩の力が抜けている。賑わう場所は賑わい、静かなところは静かというメリハリがついていて住みやすい。僕の住んでいたアパートは所謂閑静な住宅街にあり、小さな庭にはそれなりの大きさの木も植えられているので、庭へやって来る鳥を眺めながら本を読んだりもできる。人恋しくなれば、三分くらい歩いて飲食店や古着屋の立ち並ぶ賑やかな通りへ出ればいい。もちろんスーパーマーケットやドラッグストアも近所に複数ある。概ね快適な生活を送ることが可能だと言えるだろう。
 ただ、僕にはもう若すぎるような気がした。20代の頃に住んでいれば、古着屋で服を買い、レコード屋でレコードを買い、ライブハウスを渡り歩き、劇場を巡り、バーを飲み歩いたかもしれない。渋谷にある大箱のクラブなんかにも自転車で出かけただろう。けれど、そろそろ30代の終わりを迎える僕はすっかり古着なんて着なくなっているし、ライブにもクラブにもほとんど行かなくなった。昔は平気だったタバコの煙もすっかりダメになって、禁煙の場所にしか足を踏み入れなくなった。下北沢に引っ越してから4年間まったくギターを弾いていない。多分もう何も弾けないだろう。音楽の街だと言われるが、ライブハウスとスタジオがたくさんあるだけで、自由に音を出せる場所があるわけではない。京都みたいに鴨川もないし、広い公園もない。そして最近では路上ライブ禁止の看板が電柱に結ばれていて、僕のアパートは楽器禁止だ。
 行きつけの店みたいなものも、4年間住んで特に出来なかった。

 僕は結構頻繁に引っ越しをするので、考えてみると4年間も同じ場所に住んだのは本当に久しぶりだし飽きてしまって当然だ。
 そういう訳で、ずっと気になっていた逗子に引っ越した。
 海辺の小さな町には中型の本屋すらないが、大体どこへでも自転車で行ける町のサイズ感は心地いい。京都もちょっと頑張ればどこへでも自転車で行ける街だったが、もちろん逗子は京都よりずっと小さい。京都が大学の街だとすると、逗子は町全体が大きめの大学みたいな感じがする。学生時代というものが持っている掛け替えのない素敵なことの一つは、関係性のある人々がみんな近所に住んでいたことだと思う。さらに研究室へ入ると半分は大学に住んでいるみたいになる。だから、いつでも何かに誘う相手が「そのへんに」いた。ちょっと鍋でもしようとか、ちょっとバーベキューでもしようとか、ちょっと食堂に行こうとか、ちょっと散歩に行こうとか、さっと思い立ったときにさっと何かが始まり、昼も夜もそれらは思いがけない展開をみせた。
 ああいった時間が、きっと掛け替えのないものなのだろうとはうっすら分かっていたけれど、今となっては明白にそれらの貴重さがわかる。人々は散り散りになり、それぞれに忙しい仕事や家庭生活を持つ。「今から近所の河原でバーベキューで晩御飯にしよう」と、スーパーマーケットにみんなで出かけて野菜や肉を買い、誰かの部屋からバーベキューセットを持ち出してささやかな宴をはじめる、みたいなことは基本的には難しくなる。物事には予定合わせや予約といった面倒なことが必要になり、さらにその発生頻度は年に1度から、段々と数年に1度になってくる。

 先日、友達の家に集まって海苔巻きを作って食べた。参加したのはほとんど全員逗子市民で、別の町から来ている人もせいぜい隣の鎌倉からなので全員近所と言っても差し支えない。集合は逗子市民なら知らない人はいないスーパーマーケットOK逗子店。OKで買い物をして、魚は駅前の魚屋で買う。歩きながらやっぱり大学のようだなと思う。
 市役所へ行ったときも、まるで学務課のようだと思った。
 鴨川へ行くような感覚でビーチまで歩き、学食へ行くような感じで近所のデリへ行く。
 自分の研究室から大学の図書館へ行くときのように、アパートから市立図書館へ行く。
 どのくらいの期間、この町にいることになるのか分からないけれど、段々と知っている人が増えて、そうすればもっと大学のような感じが強くなるのだろうか。下北沢に住んでいたときは、全く書く気にならなかった町についての記録を、これから少しづつ書きたいと思う。