読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

世界中の家:タイムマシンを呼んだこと。

 はじめて絶望したのは小学生のときで、小学生には無限の可能性がありそうなものだけど、絶対にできないことがあると気が付いた。
 それは「世の中にある全ての家の中を見る」ということだ。
 新しい友達なんかができて、家に遊びに行くのがとても楽しかった。知らない家の中に入って、知らない生活の一片を垣間見るのは、新鮮でワクワクした。どうして知らない家の中に入るのはこんなに楽しいのだろうと思っていたら、「でも自分が一生の間に入ることのできる家は極々限られている」ということにも気が付いた。町の至る所を埋め尽くすように並んでいる住宅ほとんどの内部を見ることなく僕は死んでいくのだと思うと悲しくなった。世界のほとんどの家の中を見ずに死んでいくというのは残酷な寂しい事実で、毎日前を通っているあの家の中すら知らずに僕達は一生を終える。
 
 頑張ったら世界中の家を見れるのだろうか?
 毎日100軒の家を、「お願いします見せて下さい」と回ったとして、一年365日で回れるのはたったの36500軒。
 仮に人生を100年として休みなく毎日100軒回ったとしても、365万軒が一生に見れる家の限界だ。
 日本だけに限定しても家は5000万軒くらいある。桁が違う。世界中となるとさらに桁が変わる。
 絶望するしかない。
 
 東京タワーとかどこか高いビルの展望台に登ると、こんなに沢山の家があるのに全部中が分からないまま僕は死んでいくのだなと思う。屋根がオモチャみたいにパカっと開いたらどんなに面白いだろうかと、特に夜景を眺めたときに思う。都市の夜景は、家々、ビル群の屋根が開いていたらものすごく明るいに違いない。でも実際のところ屋根は閉じられている。光は封じ込められている。

 それが不幸だというつもりはないけれど、世界の本当に一部しか見れないくらい人生というのは短い。
 
 二度目の絶望についても書いておこうと思う。
 二度目の絶望は、中学生の頃だ。
 宇宙は本当に無限の広さを持っているかもしれないし、本当の本当に無限でなくても無限に近い広さを持っているかもしれない、というのが前提になる。
 これはそれほど馬鹿げた仮定でもない。
 もしも、宇宙が無限であれば、起こっている可能性がとても低いことでもどこかでは起こっていることになる。無限の数の事象が起こるのだから起こることが可能なことは全部起こる。地球とほとんど同じ歴史を持つ星で、ただその星にはiPhoneが存在しない、という星だってどこかにあることになる。
 地球よりも遥かに進んだ科学を持った魔法のような未来都市だってあるだろうし、スターウォーズみたいな世界だって(フォースみたいな非科学的なものは抜きにして)どこかにあるだろうと思った。
 僕は当時自分は科学者になるのだと信じて疑わなかったし、雑誌の近未来テクノロジー特集みたいなページのイラストを何時間もぼーっと眺めているような子供だったけれど、これから何十年、何百年と掛けて人類が発展させていくハイテク社会が、そういう風にしか実現できないと思っていた未来社会が、歴史の歩みを待たずして、今すでにこの宇宙のどこかにあるんじゃないかと思うとドキドキして居てもたってもいられなくなった。
 「今」というのは、特に「向こうの今」と「こちらの今」が同時であるというのは実は難しい概念だけど、単純に「今日もこの瞬間にずーっと遠くでスターウォーズみたいなことをしている人達がいるのだな」とイメージして、20世紀の科学しか持っていない地球にいることに愕然とした。ワープもできないし、スターウォーズの人達には会いに行くことがでいない。ハイテク都市を見ることはできない。絶望的だ。
 
 絶望した僕は、一縷の望みを託して手紙を書いた。
 宛先は未来の誰か。
 未来が何年後の未来なのかは分からない、「タイムマシン実用後の未来」。
 手紙はノートにしたためて、表紙に「子孫代々大事にとっておくこと」と書いた。
 手紙の内容は、書いている時の自分の居場所と、タイムマシンで迎えに来て欲しい時刻だった。時刻は手紙を書き終えた1分後にした。
 上手く行けば、僕は手紙を書き終えた一分後に未来からタイムマシンで迎えに来てもらえることになる。そうすれば、未来のテクノロジーでスターウォーズみたいなところにも連れて行って貰えるかもしれないし、少なくとも未来の地球は見れるだろうと思った。なによりアホらしい学校や受験から解放される。
 ドキドキして座っていたけれど、タイムマシンは来なかった。
 実はその手紙はもうどこかへ行ってしまったから、そのせいかもしれない。
 けれど、タイムマシンが来なかったことに関しては今は絶望していない。