スケール

 本屋をウロウロしていると、ポリアという多分昔の数学者の書いた「いかにして問題を解くか」という本が平積みになっていて、その隣の隣に、「いかにして問題を解くか」をざっとまとめましたみたいな本があった。その本は僕が20歳くらいのときにたまに読んでいたサイエンスライターの人が書いていて、懐かしいなと思って手に取った。タイトルは「数学x思考=ざっくりと」というものだった。「物事を”数学的に”考えるというのはざくっとした数字や桁数などをさっと見積もることです」というようなことが書かれていて、一時期流行ったフェルミ推定なんかにうっすら触れてから、物理に親しんだ人間は次元解析とスケーリングをして物事を考えていますという話になった。
 例として「カブトムシが体重の何十倍もの重さの物を運べるからといって、人間だったら体重の何十倍ということは何トンとかの物を運ぶことに相当する。すごい」というのは非科学的だと挙がっていた。
 
 びっくりしたのは、次元解析にF=ma(力=質量x加速度)を持ち出して、加速度の次元は「長さ/(時間の二乗)」だから時間がファクターに入っている。時間は体内時計を考慮して云々と続いたことだ。
 体内時計というか「時間の感じ方」が生き物の身体の大きさに関係しているかもしれないという話は、何十年も前に「ゾウの時間、ネズミの時間」が有名にしたけれど、なんというかこれは半分は科学の域を超えている話だし、そもそもある物体の運動を考えているときに「体内時計」は全く関係ない。この”体内時計”は「ここからここまで物を運ぶのにたったの10秒しか掛かっていないけれど、この小さな昆虫は人間と時間の感じ方が違うからこれで10時間掛かったくらいに感じているかもしれない」という程度の話でしかない。基本的には小さな生き物の方が単位時間を長く感じるだろうと言われていて、たとえば1秒に30コマ映るテレビを人間は動画だと思っているけれど、昆虫が見ればコマ送りに見えているだろう、というような研究が行われている。
 これは”感覚”の話で、力学系を考える時には何の関係もない。力学的な系を流れる時間は人間でもカブトムシでも同じだし、動かすのに要した時間に言及しているわけでもない。
 非科学的というのであれば、この体内時計を考慮したスケーリングというものも非科学的だ。
 
 このスケーリングがおかしいのはモデルがあまりにも漠然としているからで、昆虫が物を運ぶという言葉だけしかなくて具体的なことが考慮されていない。 
 次元解析するなら、生き物の力は筋肉の断面積に比例すると仮定して、筋力は「長さの二乗」の次元と比例関係にあり、物の重さは体積に比例するから「長さの三乗」で効いているのだという話になる。
 身長が2分の1になれば、筋力はその2乗の4分の1になり、体重はその3乗だから8分の1になる。
 身長が10分の1になれば、筋力はその2乗の100分の1になり、体重はその3乗だから1000分の1になる。
 身長が小さくなると筋力は二乗でしか小さくならないのに、体重の方は3乗で急激に減少する。
 だから、人間のサイズを基準にすると、身長が10分の1のネズミあたりの生き物は、体重が人間の1000分の1しかないのに、出せる力が人間の100分の1もあるように見える。身長が100分の1のムシとかなら、体重は百万分の1になるのに、力は1万分の1もあるということになる。
 運ばれる荷物の方だって重さは体積に比例するから、一辺が小さくなればその3乗で軽くなる。
 小さければ小さいほど見かけ上すごく見えるけれど、スケーリングすれば別になんでもないというのはこういうことで、だからアリが羽を運んでいても、ノミが身長の百倍飛び上がっても驚くことではない、という話だ。
 
 つまり"長さ=身長、荷物の一辺"というものを媒介変数として、「筋肉断面積:"長さ"の2乗の次元のもの」と「荷物の重さ:"長さ"の3乗の次元のもの」の挙動を比較している。
 どこに働く力なのか考えずに漠然とF=maを持ち出して、力の次元には時間も入っていると言っても何もならない。

 実はこの記事を書く前に、さっとこの辺りは既に誰かが指摘しているだろうと思って、この本のことを検索してみたら、批判は見つからなくて、それどころか「理系エキスパートを育てる」みたいな学習塾の先生が感銘を受けたりしていたので、これを書くことにした。
 ざっくりと、というのはディテールをイメージできないと成立しない。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

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