連載小説「グッド・バイ(完結編)」19

(注)この連載についての説明は第一回目の冒頭にあります。
   第13回目までは太宰治が書いたものです。

・ 誘惑(四)

「あのですね、えっと、君ね、人間には心がないと言うんですか。」
 田島はややギクシャクとして聞いた。キヌ子と話なんてしても、これは完全に無駄、無駄無駄。時々もっともらしいことを言うし、考えてみればあの稼ぎっぷり、実は只者ではないかもしれないなんて、ああ買いかぶった。この女、人の心も知らない、ただの強欲。見よ、このトンカツの食べ方を。
「あるんだか、ないんだか、そんなもの私、知りやしません。どこにも見たことないし。だいたい、そんなのあってもなくても、同じじゃないの。」
「同じじゃない。君、人のことを可哀想とか、同情とか、そういうのないのかね。」
「ないわ。」
 きっぱり。
「えっと、質問を変えて、あのね自分の心も、それもないというの。」
「だから、あるもなにも、私、心なんてどれだか分かりやしないし、あるのないの聞くなら、どんなものか説明してからにしてくれない。」
「説明なんて、心がどんなものかは、誰だって知っていることで。」
「知らないから、説明して。」
「それはだね、えっと心はね。あれだよ悲しいとか、嬉しいとか色々あるでしょう、いくらお金を数えるだけのあなたでも。」
「それは悲しい事も、嬉しい事もあるわ、それが心ですの。」
「それを感じている君の方の、その、それが心。」
「何言ってるのか分からないわ、やっぱり馬鹿ねえ、あなた。」
「馬鹿は君の方だよ、君。デカルトという偉いフランスの哲学者がコギト・エルゴ・スムと言って、心はあると言ってるのも、君は学問がないから知らないだろうけど。」
「へっ?なに?乞食とオナゴ娘?」
 田島はもう情けない。ウイスキーをクっと飲んで、ピーナッツのつもりで誤ってうどんを食べた。
「違う、コギト・エルゴ・スム。ラテン語で、我思う故に我ありという意味だ。」
「あら、嫌だわ、外国の言葉、私知らないのに、どうして外国語で喋ったのかしら、間違えたの?」
「違う。こういうのは外国語で言うことになっててね。学問のある人間同士は外国語で通じるから。」
「私に学問があると思ってたのね、まあ、あなたみたいに馬鹿ではないけれど。」
「まさか、君に学問なんて、からっきし、あるもんか。」
「じゃあ、どうして外国の言葉なんて。」
「もう、それは兎に角としてだね、我思う故に我あり、これは、この日本語は、キミ分かる?」
「分かるわ、我思う故に我あり。プッ、意味ない。偉い人が、本当にこんなこと言うかしら。」
「キミはちゃんと分かってないから。これは、世界の真実を見出すために、世界の全てを疑いに疑い抜いたとして、でも、それでも全てを疑っているこの自分自身の存在は確かだし疑い得ない、というだね、哲学上画期的な発見だぜ。」
「何故疑うの、はなっから疑わなければいいのに、バカな人。」