連載小説「グッド・バイ(完結編)」7


(注)この連載についての説明は第一回目の冒頭にあります。
   第13回目までは太宰治が書いたものです。


・行進 (五)

 セットの終ったころ、田島は、そっとまた美容室にはいって来て、一すんくらいの厚さの紙幣のたばを、美容師の白い上衣のポケットに滑りこませ、ほとんど祈るような気持で、
「グッド・バイ。」
 とささやき、その声が自分でも意外に思ったくらい、いたわるような、あやまるような、優しい、哀調に似たものを帯びていた。
 キヌ子は無言で立上る。青木さんも無言で、キヌ子のスカートなど直してやる。田島は、一足さきに外に飛び出す。
 ああ、別離は、くるしい。
 キヌ子は無表情で、あとからやって来て、
「そんなに、うまくも無いじゃないの。」
「何が?」
「パーマ。」
 バカ野郎! とキヌ子を怒鳴ってやりたくなったが、しかし、デパートの中なので、こらえた。青木という女は、他人の悪口など決して言わなかった。お金もほしがらなかったし、よく洗濯もしてくれた。
「これで、もう、おしまい?」
「そう。」
 田島は、ただもう、やたらにわびしい。
「あんな事で、もう、わかれてしまうなんて、あの子も、意久地が無いね。ちょっと、べっぴんさんじゃないか。あのくらいの器量なら、……」
「やめろ! あの子だなんて、失敬な呼び方は、よしてくれ。おとなしいひとなんだよ、あのひとは。君なんかとは、違うんだ。とにかく、黙っていてくれ。君のその鴉の声みたいなのを聞いていると、気が狂いそうになる。」
「おやおや、おそれいりまめ。」
 わあ! 何というゲスな駄じゃれ。全く、田島は気が狂いそう。
 田島は妙な虚栄心から、女と一緒に歩く時には、彼の財布を前以て女に手渡し、もっぱら女に支払わせて、彼自身はまるで勘定などに無関心のような、おうようの態度を装うのである。しかし、いままで、どの女も、彼に無断で勝手な買い物などはしなかった。
 けれども、おそれいりまめ女史は、平気でそれをやった。デパートには、いくらでも高価なものがある。堂々と、ためらわず、いわゆる高級品を選び出し、しかも、それは不思議なくらい優雅で、趣味のよい品物ばかりである。
「いい加減に、やめてくれねえかなあ。」
「ケチねえ。」
「これから、また何か、食うんだろう?」
「そうね、きょうは、我慢してあげるわ。」
「財布をかえしてくれ。これからは、五千円以上、使ってはならん。」
 いまは、虚栄もクソもあったものでない。
「そんなには、使わないわ。」
「いや、使った。あとでぼくが残金を調べてみれば、わかる。一万円以上は、たしかに使った。こないだの料理だって安くなかったんだぜ。」
「そんなら、よしたら、どう? 私だって何も、すき好んで、あなたについて歩いているんじゃないわよ。」
 脅迫にちかい。
 田島は、ため息をつくばかり。