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 金曜日の夜に仕事が早く終わったのだが、村野は嬉しいともなんとも思わなかった。先週末は嬉しかった気がする。先週は楽しい予定があって、今週はそういうものがないというわけではない。先週も今週も忙しすぎない程度に適度な予定が入っていて、それらは全部遊びで楽しいはずのもので好んで自分から入れた予定のはずだった。嬉しさや高揚感がない理由はわかっている。秋津美紀という女のせいだ。秋津は40代の半ばで独身で外資系証券のトレーダーだと自分では言っていたが一度会っただけなので本当は何者なのか分からない。
 村野が秋津美紀という女にあったのは2日前の午後で仕事の帰りに恵比寿のバーで飲んでいた時だ。

 秋津は最初に、あなたは何が好きで、何をしている時が一番嬉しいのか、というようなことを聞いてきた。村野は最近凝っているコーヒーやカメラやパンのことを喋った。週末に、少し遠出して有名なカフェでコーヒーを飲んだり、小さいけれど有名なパン屋でパンを買ったりして、その過程で気になったものや風景の写真を一眼レフのニコンデジタルカメラで撮るのが最近は好きでほとんど毎週末どこかに出かけてパンとコーヒーとカメラで過ごしていると言った。コーヒー豆の産地や種類にも随分と詳しくなったし、家にはアンティークのコーヒーミルもドリップ用の器具もそれなりにこだわって揃えていて、次はサイフォンを買う予定で、パンはやっぱり天然酵母のものが食べた時に体が喜んでいるような感じがして好きなんですと、村野は秋津美紀に丁寧に話した。村野にとってそれらはやや誇らしいことだったが、秋津の反応は批判的だった。例えばあなたはどこでもいいのだけどタヒチとかニューヨークとかドバイとかへ遊びに行くことはあるのかしら、どこでもいいのだけれどそれなりの休暇とお金がないと行けないようなところへ。毎週郊外のカフェだかパン屋さんだかへ行くのが好きとのことだけど。ハワイに一ヶ月遊びに行くのと郊外のカフェはどっちがより魅力的かしら。小さいけれど有名なお店の天然酵母のパンというのと、一流のフレンチとか懐石とかとどちらが好き? あなたの好きなことというのは、別に一番好きなことではなくて自分のできる範囲がごくごく限定的で、その中で仕方なくしていることの中ではまあ好きというだけのことよね。それで本当に満足なの?私が今10億をあなたに上げたとして、それでも今週末あなたはその郊外のカフェへ写真を撮りながら向かうのかしら。それともパリへでも飛ぶ?
「それは違う話です」と村野は声を荒げた。「できる範囲で楽しみを探すのは当然のことじゃないですか。あなたはもしかしたらお金持ちかもしれないけれど、失礼ですよ。金持ちの傲慢みたいな発言だと取られても仕方ないもの言いですよ」
「金持ちの傲慢だと取られても仕方ないじゃなくて、私はお金持ちでまさに金持ちの傲慢を言っているの。だけど金持ちの傲慢にもそれなりに理屈はあるのよ」秋津美紀はそう言ってカウンターに置いてあったマルボロを一本箱から取り出しライターで火をつけた。マルボロは何の変哲も無いどこにでも売っているメンソールで、ライターもどこにでもありそうなプラスチックの100円ライターだった。だがこの嫌な女は本当に金持ちなのだろうと村野は思う。金の匂いをさせているわけではないが、この社会で起こるほとんどのことに対してはダメージなく切り抜けられるという自信と安心感のようなものが秋津からは感じられた。それはある程度のコネクションと十分な蓄えがあるということを意味している。
「あなたは平日ボロ雑巾のようにこき使われてそれでもこの仕事は好きで始めたはずだし社会的にも意味があるはずだと信じ込むように努めていて、十分なお金と十分な休暇がない言い訳に”日常の中のささやかだが大切な喜びを見出すことが幸福なのだ”とコーヒーミルとかカメラとか買ってるのよ。並んで有名店のスイーツだって買ってるのかもしれないわね。それでこんなに豊かで安全な国に住んでいて不満なのがおかしいと呪文みたいに繰り返し唱えて生活しているんでしょ」
「勝手なことを言わないでください。初対面で何がわかるっていうんですか?」
「それがわかるのよ。悪いけれど、あのね、あなたみたいな詰まらない男を掃いて棄てるほど見てきたのよ、今まで」
「あなたと違って僕にはそれほどのお金はないかもしれないけれど、その中で楽しみや満足を探して何が悪いっていうんですか。だいたい幸福とか満足というのは人と比べてどうこういうものではないです。人は人で自分は自分です。そういう誰かと自分を比べて満足感を得たりするのは間違いですよ。社会的な病理じゃないですかそれこそ。自分の幸福は自分で決めます。そして僕は郊外のカフェとパンで十分幸福です」
「まあいくらあなたでもぶどうは酸っぱいという話を知っているとは思うけれど。あなたがそうやってぶどうは酸っぱいって言っているうちに死ぬほどエキサイティングな仕事をして死ぬほど綺麗な景色を見ながら死ぬほど美味しいものを食べている人たちがいるのは別に何とも思わないの?」
「だから人と比べることは間違っているって言ってるじゃないですか。世の中が不公平なのは仕方のないことです。いつだって世の中はずっと昔から不公平で一部の人たちが特権的な階級にいるのは仕方ないんです。もちろん格差は良くないと思いますが」
 しまった、余計なことを言った。格差は今の文脈では関係がない。村野はそう思ったが秋津はすでにこいつは単なる退屈な腰抜けではなくてバカなのだという表情を浮かべていた。
「あなたはバカなのね」

 どうしてあの時俺は格差なんて思ってもいない言葉を口にしたのだろうか。秋津という女はバカなのねと言ってから一切口を利かなくなった。村野が話しかければ返答はしたのかもしれないが、もうあなたとは会話するつもりがないという完全な意思表示が体全体で隙間なく形成されていて、3分後に彼女は挨拶もせずに帰った。格差という言葉を口にしてしまったのは、お金があるとかないとか、公平だとか不公平だとかいう話をしているときには「格差」という言葉を持ち出すことが今の社会では常識として浸透しているからだ。挨拶のあとに今日は寒いですねとかいうのと同じだ。いやもっと悪い。不公平のあとに格差という言葉を使えばまるで何か社会的なことを思考しているような気分なるのだが、そんなものは思考でもなんでもなくて条件反射にすぎない。つまり思考ではなくてヨダレだ。秋津美樹は俺がベルの音でヨダレを垂れ流すのを見てバカだと言って帰ったのだ。当然か。村野にもそれくらいのことは分かった。マスメディアに条件反射を叩きこまれないように、それなりに注意しているつもりだった。格差という言葉を口にした直後からすでに自分に愕然としていた。
 明日は宇都宮にある天然酵母のパン屋まで行くつもりだった。「手間暇掛けてヒトツヒトツ焼いている」というそのパン屋にはイタリアンのレストランが併設されていて、お腹の具合によってはそこで食事をしてもいいと思っていた。2ヶ月前にコーヒーの豆と淹れ方による味の違いを体験するワークショップで知り合ったナミちゃんという女の子と一緒に行くことになっていて、ナミちゃんは今日の昼に「村野君の影響でわたしもついに一眼のカメラ買っちゃった!明日もってく!」というラインを送ってきていたのだが、そういえば村野はまだ返信をしていなかった。「実は僕も新しいフィルター買ったから明日持っていくよ。試すの楽しみ」 本当に楽しみだろうかとスマートフォンの画面に親指を滑らせながら村野は思った。フリック入力ってこんなに面倒だったっけな。あの秋津という女はフリック入力で誰かにメッセージを送ったりするのだろうか。俺は明日天然酵母のパンを齧りながらナミちゃんに向かって得意気に偏光フィルターの使い方を説明するのだろうか。ナミちゃんは新しい一眼レフのデジタルカメラで一体何の写真を撮るつもりだろうか。村野は書いたメッセージを消して書き直した「今日の午後からなんとなくおかしいとは思っていたんだけど、風邪みたいで、これから帰ったら寝るよ、熱もありそうだし。。。明日楽しみだったのに行けないかも。。。」
 送信ボタンを押して、村野は呟いた。「グッドバイ