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京都から東京、2月、バイク、引っ越し and all: day 2

東京日記
 ホテルのベッドで目を覚まし、テレビを点けて馴染みのない地域のニュースを見るのが好きだ。内容は特に気にならない。知らない土地で知らない人達が新しい1日をはじめようとしていて、その雰囲気が伝わって来るとどうしてか少し嬉しくなる。僕の知らない地域にも確固たる住人がいて、その土地の確固たるどこかで確固たるイベントを例年のように今日も執り行っているのだということが嬉しいのかもしれない。風土は違えど、言葉は違えど、ありとあらゆる地域で人々は生活している。
 そうだ、思い出した。内容はどうでもいいと書いたけれど、この朝のニュースでは中部地方のどこかの川の畔にある日本軍の研究施設のことが流れていた。軍部が科学者を集めて電波兵器だかなんだかを開発しようとしていたらしい。仁科芳雄朝永振一郎といった錚々たる名前が挙がっていたはずだ。
 昨日の疲れと睡眠間際の暴食で予想通り体は重く、テレビから流れてくる天気予報を背景にしてバスルームでシャワーを浴びたが眠気はしっかりと残ったままだった。時間のことをはっきり覚えていなくて、出発したのが9時だったのか10時だったのかわからないのだけど、予定していた出発時刻から1時間近く遅れてのチェックアウトだったと思う。かなりゆっくりと歯を磨いたり荷物を整理したりした。今日は1日、また寒い中を移動するのかと思うと億劫になる。幸いにも天気は回復していて、天気予報が言うには今日は快晴みたいだ。しかしながら、快晴であろうが曇天であろうが、寒いことには変わりない。なんといっても2月なのだ。

 無料の朝食という触れ込みの抱き合わせ販売されている安物のパンや目玉焼きを無視して外へ出ると、朝は随分明るく、国道を走る車もそれなりの数になっていた。バイクに荷物を載せてネットを調節してから、自分も跨り、フェイスマスクを着けて、メットを被って、それから手袋を嵌める。窮屈な1日のはじまり。日光が眩しいのでサングラスも追加してさらに窮屈になる。
 この後はほとんどずっと走りっぱなしだった。国道1号線を主に辿ったのだが、どのように走っていたのかは詳しく書かない。とにかく走った。豊橋浜名湖を渡り浜松。掛川をずっと超えて、たぶん焼津の手前でマクドナルドに入ってはじめて休憩した。シールドの隙間から入る風で顔が痛くて、そして全身は当然のように凍えていてずっしりとした倦怠感がある。時間はお昼時だった気がするけれど、店内は空いていて、マクドナルドは最近評判も業績も悪くてガタガタだということを思い出す。アルバイトをしているのは大半が初老の人達で、僕の注文したビッグマックセットを持ってきてくれたのはおばあさんと呼んで差し支えない女性だった。ポテトがベタッとしていて、容器にも濡れたあとがあったので交換してもらいたかったけれど悲しくなってやめた。カロリーとホットコーヒーを摂取して少し休んで行くつもりが、厚着のウェアと湿ったままのブーツで湿気たポテトのビッグマックセットを食べるのは全然心地良いことでもなく、最低限の体力回復を待った後、僕はお店を出た。

 静岡と富士の間だったと思う。
 僕はただ淡々とバイクに乗っていて、顔の痛みと寒さに耐えていた。もともと一人でどこかへ行くのは好きではなかった。寒空の中を一人で移動し続けることに小さな孤独を感じ始めた頃、右手に相模湾が近くなり冬でもなんでもとりえず海の景色はきれいだなと思ったり、カリフォルニアの海岸を思い出してやっぱり寂しくなったりしていたら、左手の景色が急に開けた。
 そして富士が聳えていた。
 麓へ緩やかに下りていく稜線が長く広く、文字通り場違いだが関東平野という単語が脳裏を過ぎった。駿河湾と富士の組み合わせは浮世絵みたいで一瞬時代が分からなくなる。どの観点からしてかとかそういうことは全部曖昧なまま、景色の雄大さにぼんやりとこれは関東には勝てないと思う。これまでに富士を何度も見ているけれど、海と一緒に見るのははじめてだった。

 体が冷え切ってきてセブンイレブンでコーンスープを買う。大型のバイクから下りてきたおじさんが「君、蒲郡の方から走ってきたよね。一回見たよ」と話しかけてきた。ちらっとナンバープレートを見て、「えっ京都から来たの?」と言うので、僕は京都から東京まで行くのだと言った。
「これから箱根の峠越えるの? 寒いよー。僕より先にここに着いているということは色々あれだと思うけれど気を付けてね。50分走ったら10分は休まないとダメだよ」
 箱根が山だということをすっかり忘れていた。
 関東が近くなってきて、そろそろ終盤だと思っていたらまだ一山あったわけだ。熱海の方へ迂回しようかと地図を見るとどっちにしても山地を越える必要があった。時間のことも考えると遠回りは避けたい。ここまでの路程でグーグルマップの経路検索は自動車のためのものであってバイクには全然適していないことも分かっていた。よく分からない道を使いたくはない。それにもう全く観光気分ではなかったけれど、箱根を通りたいという気持ちもまだあったので、セブンイレブンを出てそのまま箱根を目指した。
 結果的に箱根を通って良かったと思う。残雪が路肩に残る長い登り道の途中、開けた視界には怖いくらいの強度で存在している富士があったからだ。京都を離れた寂しさと東京に住む高揚感と一人で只管寒さに耐えているバカらしさがバランス悪く配合され血液の中を流れていてオーバードーズ気味の大脳新皮質が高いクロックで美しさという記号を組み立てる。中沢新一が東京の中心は皇居でも江戸城でもなくてずっと富士山なのだと言っていた気がするが、その意見に今こそ賛同しよう。そしてつまりハロー東京。

 やや危ない橋を渡り僕は箱根を越え、茅ヶ崎、藤沢、鎌倉といった地名が目に入るようになってきた。
 思えば2年前の夏に横浜や鎌倉へ行ったことが、東京移住の最大のモチベーションになっている。横浜の嘘みたいにきれいな夜と江ノ島や七里ガ浜の海岸線に僕は感動した。日本国内を観光してはじめて感動したと思う。こんな素敵な場所が日本にあったなんてと思った。134号線で渋滞に捕まっても海や人々を眺めながらゆっくりと車を動かして車内でラジオを聴きながらおしゃべりするのは気分が良かった。
 この横浜旅行の翌夏、僕はアメリカ西海岸をシアトルからサンディエゴまで旅行したのだが、カリフォルニアの海沿いをずっと走ってもこんな気分にはならなかった。なんというか湘南周辺の文化は西海岸のイミテーションという側面もあると思うのだけどLAの乾いて硬く明るいビーチに比べて、この湿って柔らかい神奈川県の沿岸部の心地良さは圧倒的だ。大仏も神社も歴史もある観光地に理想としてのサーフ文化という美しい上澄みがミックスされてできた大都市近郊の奇跡的な場所。

 横浜に差し掛かり少しすると既視感に襲われた。よく考えてみれば2年前に車で走ったのと同じ道で、ただそれだけのことで多少ほっとする。川崎。五反田。五反田ということはそうか東京か。時間は7時半を過ぎていて、タイムリミットまであと30分でちょっとやばいかな。この時まで実は高速道路なんじゃないかと思っていた環七を通ってやっと三軒茶屋についたのは7時50分。
 今でも三軒茶屋へ行くと、このはじめて三茶へ辿り着いた時のことを思い出す。不動産屋の場所がわからなくて時間ギリギリで、荷物満載のバイクと大袈裟な防寒着に身を包んだクタクタの表情の僕、暗い国道一転キラキラした街と仕事終わりの待ち合わせや帰宅といった日常を送るたくさんの人々。バイクを押して場違いな歩道を歩いて不動産屋を探して路駐してビルに入ったのは7時55分で、いつも通りほんとにギリギリだなと笑いが込み上げてくる。

 鍵や書類なんかを受け取り再びバイクに跨りながら、これで一段落だと安心していたのだが寒い夜はまだ長く続くことになった。
 (その3へ)