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戦場のボーイズライフ序章「坂城」部分

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■  坂城(1)
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 坂城(1)

「90歳なのに自在にインターネットを駆使して老後を楽しむおじいちゃん」というのが、今のところのマスコミの捉え方だった。活力を失いつつある高齢化の進んだ日本に明るいメッセージを流そうと、マスコミは最近連日のように坂城のことを取り上げている。もっとだ、もっと騒げ。坂城は思う。もっと騒いで俺を有名にしてくれ。俺は有名にならなくてはならない。

 元プログラマの90歳のおじいさんが面白いサイトやソフトを作ってネットの中で活躍しています。すごいですねー。おじいさんなのに。今はネットがあるから老人になってからでも色々なことができるんですよ。テレビでアナウンサーだとかコメンテーターがそういうことを言う度に強い不快感を感じた。素人どもが若いというだけで一体何様のつもりだ、俺はエンジニアで、お前らが生まれる何十年も前からコンピュータをずっと触っていてコンピュータのことなら何から何まで知っている。何の知識も技術もないくせにパソコンとかスマートフォンでネットをしているだけそれらを使いこなしていると勘違いしているようなお前達に「老人なのにすごいですね」なんて言われる筋合いはどこにもない。お前達はただの消費者で俺は開発者だ。
 だが坂城はテレビカメラの前で気のいい物腰柔らかな老人を演じた。テレビの欲しがるようなキャラクターを演じて出演機会を増やすことに努めた。俺は今有名にならなくてはいけない。流行に乗っているイケてる若々しいおじいちゃんを演出するためにどうでもいいJポップも覚えた。イントロクイズのコーナーで坂城が俳優やタレント達を差し置いて答えると客席からはおーっという歓声が上がり視聴率が延びた。

 やがて、坂城は夕方の生放送にレギュラー出演するようになった。つい一昔前までは相撲が放送されていた時間帯だ。この時間帯には多くの老人が家で暇を持て余していた。
 相撲は暗部が世間に晒されたりして段々と人気がなくなり、キャッシュも回らなくなってきてテレビから消えた。
 相撲という競技はルールも簡単で分かりやすく、滅多に血も出ないので気楽に見ることができた。この人達は普通ではない、とはっきり分かるくらいに鍛え上げているのに脂肪が付きすぎていてどこかコミカルで他の格闘技のように鋭い筋肉の躍動を見せつけられるということもなかった。元気で失礼な若者が現れたら品格がないと言って追い出せば済んだ。伝統的な国技だとお国の安心印まで付いていた。要するに安心して見ていることができて、かつ退屈はしない程度の刺激を簡単に得ることができた。
 相撲の代わりに、今は坂城の出演するワイドショーのようなバラエティ番組のような情報番組のようなものが流れている。当たり障りのないことを「これは面白い娯楽なんです」というパッケージに入れて差し出すだけの簡単なことなので、坂城はすぐにルールをマスターして求められる役割を演じていた。時々、この人は本当はやり手のプログラマーで実は賢いのだ、ということを視聴者に思い出させるようなことも言うことにしていた。そうすると視聴者は「この人は本当は賢い人だし、本当は賢い人が出てるのだからこの番組はバカにしか見えないけれど本当はバカなんじゃなくて本当は面白いちょっとした教養番組なのだ」と思いこんで安心してテレビを見続けてくれる。

 だが、物わかりのいい道化も今日までだ。
 坂城はポケットの中でバタフライナイフの手触りを確認した。朝からずっとポケットに入れていたので、ナイフはしっとりと温まっている。今このナイフは俺の体温と同じ温度だ、と坂城は思う。バタフライナイフをさっと一振りして開くのは肝心なとき絶対に失敗しないように何度も何度も練習した。流石にもう電光石火で手を動かすというのは難しいな、これが年をとるということか。ナイフを開く練習をしているとき、坂城はコレヒドールのことを思い出した。 
 1942年5月5日の夜、坂城たち歩兵第61連隊は戦車第7連隊と共にコレヒドール島への上陸作戦を実行した。坂城たちは島の北東部に上陸したが、それはかなりの犠牲を見越した危険な作戦だった。砲撃戦で既にアメリカの要塞には大きなダメージを与えていたが、アメリカが1936年から6年間もかけて補強した要塞は満身創痍であろうと坂城たちをただで通してくれるほどやわではなかった。これが構えて護るということか、と坂城はその時思い知った。自分達は遠い祖国を離れてフィリピンまで、ものすごいスピードで侵攻し、バターン半島からコレヒドール島へ渡ったところで消耗していた上、控えめに言っても弾薬は豊富ではなかった。対してアメリカは長い間かけてこの要塞を準備してきたのだ。歩兵隊に降り注ぐ弾薬の量は半端なものではなかった。どうして自分が生きていられたのかいつまで経っても、今になっても不思議でしかたない。すぐ近くにいた谷沢は榴弾の破片を食らって脇腹が吹き飛んでいた。脇腹というか腹部の半分がなくなっていた。「サカキー」と谷沢は叫んで言った。痛い痛い痛い痛い殺してくれ。坂城は谷沢の所へ走っていって躊躇わずに喉にナイフを突き立てた。全力で全体重を乗せて頚椎を走る神経と動脈が一瞬で切断されて一瞬で意識がなくなるように。
 谷沢はただの戦友ではなかった。親友だった。
 翌々日、日本軍はコレヒドール島を支配下においた。
「谷沢、あれからざっと70年だとよ、まったく70年も俺はあれから生きてるんだぜ」



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 ◆  坂城(2)
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  坂城(2)
 
  どうして谷沢が死んでしまって、俺が生き残ったのだろう。弾道のほんの僅かな違いで、脇腹を吹き飛ばされたのが俺であってもおかしくはなかったはずだ。どうして谷沢が死んで俺が残ったんだ。いや、分かっている。理由なんてない。理由はない。すべて只の偶然だ。たまたま俺の方が運が良かっただけだ。頭ではそう思う。でも心と体はそう簡単に納得しなかった。70年経った今も坂城は自分が生き残ったことに対する答えを求めていた。答えを求めているというよりも、生き残ったことに対する罪悪感があるのかもしれない。仕方がなかったとは言え、谷沢にとどめを刺したのは自分だった。自分のこの手で谷沢の首にナイフを打ち込んだ。坂城はその手応えを今も鮮明に覚えている。ほんの数秒のことだったが、あの戦争で一番はっきりと記憶に残っているのは谷沢の首の骨に自分のナイフの切っ先が触れた瞬間かもしれない。喉に突き刺さったナイフの縁から真っ赤な血が吹き出して来て首元に掛かった。湿った熱帯の空気で蒸された肌になお血液は熱かった。それは温度ではなく命だった。最後の瞬間、谷沢の目は笑っていた。それが坂城にとって唯一の救いだった。最後に目と目で交わしたあの瞬間がなければ、たぶん坂城は谷沢の喉に突き立てたナイフを抜いてすぐさま自分の喉を掻っ切っただろう。あそこは地獄だった。
  谷沢が絶命するまでの僅かな時間、交わされたのはメッセージだとか言葉ではなく谷沢の人生そのものだったような気がする。死ぬ寸前、走馬灯の様に人生が頭の中を駆け巡るというような話があるが、坂城は谷沢が絶命するまでの一瞬間に谷沢という人間の一生を体験したような気がした。
  谷沢とは何だったのか。谷沢の存在とは何だったのか。そして谷沢はどこへ行ってしまったのだろう。さっきまで谷沢という名前の体に宿っていた何かは一体どこへ消えたのだ。本当にこの世界からなくなってしまったのだろうか。
  戦争が終わってから、魂の重さを測ろうとした実験があることを知った。アメリカのダンカン・マクドゥーガルという医師が行ったもので、実験結果は1907年に発表されている。彼は6人の人間と15匹の犬それぞれについて、死の前後で重さがどのように変化するのかを調べたようだ。そして、人間は死ぬと物質的な変化では説明の付かない重さの変化を示し、その値は21グラムであるという結論を出して、この21グラムが魂の重さであると言った。
  実験に対する信憑性は低い。実際に人間が死ぬ瞬間に立ち会って、その系全体の重さを厳密に測定することはとても難しいからだ。さらに、被験者6名のうち2名で測定を失敗しているので、実際にはわずか4人分の測定結果しかなく、データが不十分であると言わざるを得ない。
  坂城もこの実験結果を信じてはいなかった。
  1907年の時点でどれだけ厳密な測定ができたのかも疑問だったし、魂には重さがあって、死の前後で質量変化が見られるはずだというのは随分安直な仮定に思えた。
  とはいえ、死は明らかに何かの変化だ。死んで行く谷沢から失われたものは、吹き飛ばされた腹部の半分と首から吹き出した鮮血だけではなかった。あのとき谷沢の体からは確かに何かが出て行って、どこかに消えていった。それがどこかに消えるまでの間、極めて短い時間であったが、坂城はそれの存在を明確に感じることができた。あれは一体何だったんだ。
  いつの間にか、自分が生き残ったことへの罪悪感は、魂とは何か、生命とは何かという問いへの探究心に変化していた。考えてみれば、人間が死んで失われることよりも、人間が生まれて存在できることの方が不思議だった。どうやって俺は存在しているのだろう。
  坂城にとっての敗戦後は、人間の存在や意識の存在そのものに対する好奇心と疑いにドライブされたものになった。もしかするとそれは国家という人間の集団に対する欺瞞を、個々人の存在不可思議性に投影して誤魔化す行為だったのかもしれない。「俺は人間の存在や意識の存在に興味があるのであって、国家を論じたりするつもりは毛頭ない。人間存在の不思議が分かれば、その集合である国家のことも自ずと明らかになるだろう」とでも言いながら、社会への目を閉ざして人間存在の探求にだけ励むのは心の平安を得るのに都合が良かった。
  本格的に学問をするほどの余裕はなかったので、探求といっても限られた哲学や生理学の書籍の前で一人思考にふけるだけのことだった。それでも自分の存在が不可能な筈だということは分かった。
  たとえば生理学によると、我々は目に入った光を杆体や錐体という網膜細胞で捉えて電気信号に変換しているとのことであった。その電気信号は視神経を通じて脳へと送り込まれる。我々の脳は、このたかだか「電気信号」を、「色や形」に変換して「見える」という状況を生み出している。
  そういうことになっているのだが、どう考えてもそんなことは不可能だ。電気信号から色を作り出すなどという芸当が、この世界で許されるわけがない。電気と色は次元の異なる全くの別物だ。その間を取り持つことのできる手順なりシステムなりがあるとは考えられない。電気から色を作るというのは、いわば並べられた数字を好きに足したり引いたり掛けたり割ったりしていいから、どうにかして計算結果が「水」になるようにしてくれ、と言われているようなものだ。数字と水は全くの別物なので、そんなことはできない。電気と色も全くの別物なので、電気から色を作ることはできない。色だけではない、音も味も匂いも熱いとか冷たいも全部そうだった。つまり自分が世界を認識しているその拠り所となる感覚は全部「あるはずのない」ものだった。あるはずのないものによってできている我々とは一体どのような存在なのであろうか。すべては嘘なのではないか。
 
  現実感のないまま、それでも坂城は一見普通の社会生活を送った。小さな商店を経営し、結婚して3人の子供にも恵まれた。1人目の子供が生まれた時、坂城は著しく現実感を喪失して気が狂いそうになった。この子は一体どこからやってきたのだ、どうして子供が、新しい人間が生まれるなんてことが可能なのだ、そんなことできるわけないじゃないか。何か巨大な嘘に騙されているような気がして怖くなって街へ出てしばらく家へは戻らなかった。お父さんは感激して男のくせに涙が出そうでそれを見られたくないから街へ飛び出していったのだ、と詮索されるような身振りをすることだけは忘れなかった。
  街へ出ても本当は人間が怖かった。この存在不可能性を軽々と乗り越えて存在していて自分に話し掛けたりこっちを見たりしてくる何かは一体何なんだろうか。でも、それらは往々にして坂城に親切にしたり楽しげに話しかけたりしてくれたので、どうやら害があるようでもなくて、形而上の疑念以前に彼らが見せてくれる笑顔と単純な挨拶に救われてどうにか平静を保つことができた。自分や人々の存在自体は本当に不思議だったが、どうやら恐れる必要はないようだった。坂城は段々と不思議だと思う感覚を忘れていき、自分の商店の営業や子育て、地域での付き合いと言った世俗的なことを楽しむようになっていった。あの頃は戦争で人を殺したり色々と過酷な経験をした直後だったので、もしかしたら少し頭がおかしくなっていたのかもしれないな。
 
  平穏な生活が破れたのは1968年のことだ。
  1968年、「2001年宇宙の旅」という映画が公開されて、坂城は大阪OS劇場へ行ってそれを見た。映画の中に出てくるHAL9000という人工知能が坂城に衝撃を与えた。HAL9000というコンピュータはまるで意思や感情を持っているかのように見えた。HAL9000は「怖い」という感情すら口にしたのだ。坂城にとってそれはもうただの映画でもフィクションでもなかった。啓示だった。HAL9000という人工知能は赤いランプの灯ったカメラから世界を見ていた。それはあちらからこちらを見ていた。  
 コンピュータが意識を持つなんて。そんなことが本当にできるのだろうか。
 それまで坂城はコンピュータのことも人工知能のことも、ほとんど何も知らなかった。コンピュータで人間の意識に近いものを生み出す。そういった研究が現実に行われているという情報は坂城を点火した。自分の中にこんなに強い学びへの欲求があるということもそれまで坂城は知らなかった。人工知能のことをもっと知りたいという思いは、もはや感情というよりも肉体的な実体だった。人工知能を使って人間の意識を再現すれば、俺たち人間の意識がどうして生まれたのかも分かるのではないか。坂城は持てるリソースの全てを投入してコンピュータの勉強を始めた。既に53歳になっていて、プログラミングの勉強を始めるには遅すぎるとも言われたが気にしなかった。当時いわゆるパソコンはまだなかったので、色々なミニコンを買っては試した。最初は使い方も良く分からなかった。混在するプログラミング言語のどれを使えば良いのかも良く分からなかったでCもPascalFORTRANCOBOLもとりあえず目に付くものは片っ端から勉強していった。
  70年代というのはパーソナルコンピュータが急進した時代だ。象徴的な出来事としては、1975年にビル・ゲイツがBASICをAltair8800上で動作させるのに成功し、1977年にアップルがAPPLE2を発売している。しかし、人工知能にとって70年代というのは難しい時代だった。人工知能最大の問題とも言えるフレーム問題が1969年に提出され、70年代は「人工知能には極々限定的なことしかできないのではないか」という悲観論の時代になっていた。
  それでも坂城が情熱を失うことはなかった。
 
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 ◆  坂城(3)
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  坂城(3)
 
  結局、意識を持った人工知能を作ることはできなかった。坂城は膨大な時間と労力をコンピュータに費やしたが、チューリングテストをクリアする人工知能すら作れそうな気が全くしなかった。チューリングテストというのは人工知能に意識があるのかどうかを調べるテストのことだ。方法と言っても、本当に意識があるのかどうかは確認できない。意識というのはあくまでそれを持っている主体にとってだけ「ある」ということが分かるものであって、ある対象について客観的に意識の有無を判断することは不可能だ。不可能だ、とばかり言っていても仕方がないので、とりあえず対話をしてみて、人間と区別が付かないくらい流暢にコミュニケーションが可能であればそれは意識を持っているかもしれないということにしよう、というのがチューリングテストの考え方だ。とても素晴しい考えとは呼べた代物でなかったが、それが人類の考え得る「もっともましな」意識の存在判定方法だった。
  そのもっともましなテストすら人工知能がクリアすることは不可能だった。不可能だったしアプローチの方法を見ていると、たとえそれがチューリングテストをクリアしたとしても、到底そこに本物の意識が宿るとは思えなかった。基本的に人工知能はデータベースと探索アルゴリズムに過ぎなかったからだ。こんなところに精神や意識が宿るわけない。残念なことだが、意識の探求をコンピュータサイエンスで行おうとしたのは最初から間違いだったのかもしれない。救いは坂城にプログラミングとコンピュータアーキテクチャの才能があって、仕事には困らなかったことだ。ずっと企業の中で働いていて名前が世間に出ることはなかったが、坂城は日本にパーソナルコンピュータを普及させた立役者の1人と言っても過言ではなかった。業界では知らぬ者はなかった。
 
  しかし、それはおまけに過ぎない。
  俺は結局、意識の探求には失敗したのだ。何も分からなかったし、何も作ることができなかった。「なあ谷沢、結局なんにも、あれからなんにも分からないままなんだよ」俺が創り出そうとしていたのは、意識を持った人工知能というだけではなく、もしかしたら谷沢だったのかもしれない。この世界にまだ谷沢の断片が散らばっていて、それらをコンピュータの中に掻き集めて谷沢を蘇らせることができると思っていたのかもしれない。
  馬鹿げている。
  俺は一体何をしていたんだろう。
  気が付くと信じられないことに90歳になっていて体はボロボロだった。これ以上人工知能を触ろうという気力もなくなっていた。妻も、少ししかいなかった友人達も既に死んでいた。3人の子供達はイタリアと北海道と南アフリカに住んでいて多忙でそれぞれに家族を持っていてほとんど会うこともない。
  孤独が怖いわけではなかった。全てを諦めていて、もう怖いものなど何一つなかった。かつてはテレビの出演者達がときどき食事や酒の席に誘ってくれていたが、上辺だけのものであることは明白だった。いつも坂城が断りやすい状況が設定されていて、坂城の方も彼らに全く興味がなかったので、自然と誘われることもなくなっていった。孤独は恐怖ではなかったが精神を蝕んだ。肉体が乾いていき、人との接触がなくなっていくと坂城は自分が本当に存在しているのかどうか段々分からなくなってきた。昔なら1人でいる時間はプログラムを書くことに集中していたので孤独だと感じることはなかったし、はっきりと自分の輪郭が分かって生きている感じがした。でも、もうこれ以上何かを開発したいという気持ちもなく、だいたいコンピュータのディスプレイを眺めること自体が苦痛になっていた。
  テレビに出るようになったのは、腑抜けた日本人に残酷な殺人場面を見せつけて、さらに自分と同じようにくすぶり死に行く老人たちに決起を促す為だったが、もしかしたら孤独で寂しくて自分の存在が日に日に消えていくのが分かって毎朝起きたらもう死んでしまってもいいんじゃないかという気分になってそういう感覚から逃げ出したかったからなのかもしれない。テレビでバラエティ番組に出てはしゃいだ振りをするのは人々に殺人を見せつける為の手段に過ぎないと自分に言い聞かせていたが、本当はテレビでちやほやされることが嬉しかったのかもしれない。いや、嬉しかったのだ。それは分かっていた。
 
  足元の血溜まりに、映画の宣伝を兼ねてゲスト出演していた若い俳優の死体が転がっている。スタジオを照らすライトが肌に熱い。こんなに眩しかっただろうか。ひどい汗をかいている。スタジオの中央にも血溜まりができていて、司会者の小男とレギュラー出演しているアイドルの女が倒れている。殺してしまった。悪い人間ではなかった。俺は本当は彼らとテレビに出ることが楽しかったのではないだろうか。家に帰って1人で風呂に浸かっているとき、いつもその日のスタジオでの出来事を思い出していたのではなかったか。俺はこのバラエティ番組に出ることが好きだったのだ。全てを壊してしまった。司会者もタレントの女の子も殺してしまった。二人の体から流れ出した血液は合流して大きな赤く深い血溜まりになっている。天井のライトが反射して強い光を坂城の目に押し込んでくる。こんなに大量の血液があの司会の小男にも痩せたアイドルの女の子にも流れていたのか。熱帯雨林では大地が血液を吸い込んでくれてそれは優しさに似ていた。スタジオの床は血液を一切吸収しない。血は大地へ返らず彼らの魂はまだこの室内を漂っている。そうだここはテレビ局のスタジオだ。現実と虚構の間だ。そんな場所で死んだ人間の魂には救いがないかもしれない。そうか、ここでは死ねないな。出演者を何人か殺した後、自分も死のうかと思っていた。でもここでは死ねない、ここは死ぬには適してない。谷沢が熱帯の中に消えていった時と全く違う。戦場は悲惨だったし谷沢の死に方も悲惨だったが、それでもここで死ぬよりも"まとも"だった気がする。ここは駄目だ。待てよ、本当にそうなのか。本当に「ここは」駄目なだけなのか。ここではないどこかでなら死んでもいいのか。あのジャングルの中でだったら死んでもいいのか。違う。嫌だった。そうだ、俺は死にたくない。生きているのが嫌になってもう死んでもいいと思っていて死ぬ気になれば何をしても平気だと思っていたが本当は死にたくなかった。俺はまだ死にたくない。もうしたいことも何一つなくて体が乾いて枯れているのに、それでもまだ死にたくなかった。急激に何かの感情が沸き上がってきて制御できない。この世界に存在していたい。この生にしがみついていたい。どんな形であってもしがみついていたい。噴出した感情は慈しみだった。生命に対する愛おしさが思ってもみない強さで溢れ出してくる。たった今俺はそれを4つも奪ったのだ。コンピュータという最先端のテクノロジーを使って数十年努力しても生み出せなかった意識を、ナイフという原始的な道具であっさりと4つ消してしまった。激しい後悔と自責と寂しさと悲しさが申し訳無さに混合されて、さらに殺してしまった人間の家族や恋人のことを考えると気が狂いそうになった。腑抜けだろうが老人を舐めていようがなんだって構わないじゃないか。それくらいのことは全く構わなかったのだ。俺は何をしたかったのだ。馬鹿にされたって蔑まれたってそれがどうだっていうんだ。大体本当に俺は蔑まれていたのだろうか。枯れゆく肉体を蔑みの対象にしていたのは自分自身ではなかったか。自分が老いていくことが許せなかったのは他でもない俺自身だったのではないか。
  最初に気付いたのは、首元が濡れているということだった。その生ぬるい液体は血液とは違い透明で涙だった。顔中が涙で濡れていた。老いて乾いた体に、まだこれだけの涙があったのか。そういえば俺は谷沢が死んだ時泣かなかったな。あれから全然泣いていなかったな。あの島へも行かなかった。谷沢のことを弔うのであれば、コンピュータをいじるよりも谷沢の骨を探しに行ったほうが良かったのではないだろうか。ずっと何から目を逸らしていたのだろうか。谷沢なんて本当にいたのだろうか。俺が何十年も掛けてコンピュータで実現しようとしてきたことは、人間にも自力で別の意識を持った存在を作り出すことが可能だということを証明する試みだった。コンピュータは時代の寵児で、コンピュータで意識を生み出すことが実現できれば、HAL9000みたいにすごい人工知能を作れば、人間には、いや、俺には意識を持った存在を作り出す能力があることをみんなが認めてくれるに違いない。あの戦場で坂城は気狂いだと呼ばれていた。谷沢は完璧にチューリングテストをクリアしていたが、坂城にしか見えなかったからだ。