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愛宕山ケーブル跡雪中登山日記



 パズーとシータが「バルス!」と言ったとき、小学生だった当時の僕は「なんてことするんだ!」と思った。今でもそう思う。科学少年だった僕は古代のハイテクで空に建造されたラピュタに対して畏怖の念を抱いていて、それは愛おしさに近かった。もちろん僕が感情移入していたのは主人公パズーだが、ムスカの気持ちも痛いほど分かった。
 発見された古代文明や超ハイテクは物語の終わりでいつも失われ、失われたものはいつもすぐに忘れられる。

 ある失われたものについて話をしたい。
 残念ながら古代文明ほどロマンチックではなくて、たかだか数十年前の話だ。そして、これも残念ながら超ハイテクではなく、数十年前の普通のテクノロジーについて。ただし、普通のテクノロジーではあるものの、当時「東洋一」の肩書くらいはついていて、天空ではないが山頂の高みに作られたものが、かつて京都に存在していた。
 「愛宕山鉄道」。
 愛宕山鉄道は、京都の愛宕山を走っていた。愛宕山京都盆地最高峰で火の神を祀る愛宕神社が有名だ。京都に住んでいる人間なら大抵の人は愛宕神社の火事避け御札も目にしている。けれど昭和初期から戦前まで、嵐山ー清滝間に電車が走っていて、さらに清滝から愛宕山山頂付近まで当時東洋一と謳われたケーブルカーが走っていたことを知っている人は少ない。愛宕山の上にはホテルと遊園地、キャンプ場にスキー場まであったという。清滝にも遊園地やレストランがあった。観光資源の豊富な嵐山と自然豊かな清滝、愛宕山山頂を鉄道で結び、周囲一帯を広大なリゾート地として開発していたのだ。ハイキング客と参拝者がパラパラ通るだけの今の愛宕山からは想像もできない。
 昭和4年の乗客数は、嵐山ー清滝間53万人、清滝ー愛宕山18万人。ケーブルカーの定員は84人で倍以上の人が乗り込んでよく故障したらしい。
 当時の京都日日新聞は「地上の楽園」と表現している。
 こんなダイナミックなものが京都にあったのだ。それも未来ではなく今から80年以上も前に。

 この愛宕山鉄道、愛宕山ホテルの話は、神戸摩耶山の話に良く似ている。
 摩耶山も神戸市内とケーブルカーで連結して山上のホテルや遊園地を楽しんでもらうという構想で開発されていた。摩耶山では今もケーブルカーが運行しているが、山中にあった摩耶観光ホテルは今では有名廃墟の1つになっている。
 愛宕山ホテルの開業が1930年で閉鎖が1944年。
 摩耶観光ホテルは開業1929年で閉鎖が1945年。
 共に世界恐慌の中開業し、終戦と共に終焉を迎えている。もしも戦争がなかったら、2つのホテルは21世紀まで生き延びただろうか。そうであれば、京都や神戸の観光マップは今と随分様相を違えるダイナミックなものになっていたかもしれない。
 現実には戦争は起こったし、愛宕山鉄道もホテルも失われ忘れられた。僕は何十年も京都に住んでいるのに、愛宕山鉄道のことを知ったのはほんの数年前で、そしてまた何年もすっかり存在を忘れていた。思い出し、その跡を見に行ったのは、やっと数日前のことになる。

 集合は朝10時に太秦天神川駅、バスの時刻表を確認すると9時59分発の次は10時59分で、しかもそれが清滝へ向かう最後のバスだった。しまった、集合時刻を決める前に時刻表を見るべきだった。1時間も待てない。こうなれば9時59分発に乗りたい。全員が早めに集合すればバスには乗れるが、バスに乗ってしまうとその後は店が全くないので、バスに乗る前に食料を買う必要があった。SKDは今どき携帯電話を持っていないので、僕は地下鉄の中からウメバラにメールを送って状況を尋ねた。ありがたいことにウメバラは既に集合場所に着いていて、SKDはまだ来ていないが目の前にスーパーマーケットがあると返事を送ってきた。SKDの家への電話と買い物をウメバラに頼んで、電車が駅に着くと僕も走ってスーパーへ向かう。電車の到着は9時49分。階段を駆け上がり道路を渡ってスーパーへ入るとウメバラとSKDの2人がカゴに水やおにぎりを放り込んでいた。紙コップ付きのインスタントコーヒーとチョコレートなどを追加して買い物を切り上げ、急いでバス停へ向かう。

 最終が朝の10時59分という人気のない路線だけあって、僕達の他にバスに乗ったのは白髪のブツブツ独り言を言っているおじいさん1人だけだった。太秦天神川から清滝まではバスで二十数分。愛宕山ケーブルについてネットで調べたものをプリントアウトしていたので、SKDとウメバラに読んでもらった。SKDは奥さんのiPhoneを使って僕がプリントしたのと同じサイトを既に読んでいた。ウメバラは「車酔いするんで気分悪くなるかもしれないです」と言いながらも二種類の記事を読んでくれた。
 軽い曇天の下バスはスイスイと走り、山へ差し掛かるとやがて前方に細長いトンネルが現れる。心霊スポットとして有名なトンネルだ。車一台がやっと通れる幅しかないので対向はできない。僕はここを車ででも自転車でも歩いてででも通ったことがあって、古いから狭いのだろうと勝手に思っていたのだが、実はこのトンネルは元々愛宕山鉄道のトンネルだったらしい。単線だから電車1台分の幅があればそれで事足りたというわけだ。さほど明るくはない照明が数メートル毎に明部と暗部の縞模様を形成し「異界へのトンネル」という単語が頭をよぎったりはするが、もちろん幽霊も出なければ異界へも繋がってはいない。トンネルを抜けると相変わらずの曇天が僕達の頭上を覆っていて、すぐにバス停「清滝」へ到着した。

 バスを下りると、五分もしないうちに微かな雨が降り始める。天気予報では昼前から昼下がりに掛けて弱い雨が降るということだった。もっとも山の天気は街の天気とは異なるから天気予報は参考にしかならないなとは思っていたのだが、この日はあとで結局「雪」にしっかり降り籠められることとなった。
 この日は「気軽なハイキング」のつもりだったので、僕達は全員が軽装。SKDに至っては雨具すら何も持っていない(長靴をはいていたけれど、彼は長靴をまあよく履いている)。気軽なハイキングの後には街中で飲んだり食べたりする予定だったので、僕はほとんど街中仕様の服装で、靴だけはここで汚れてもいい靴に履き替えた。そうこうしているとすぐに別のルートからバスがやって来て、こちらは年配の登山客で一杯。

 小道の坂を下り、橋を渡って少しだけ民家や宿の並んだ地区を抜ける。愛宕神社参道の入り口と川の間にある砂利道を進めば愛宕山ケーブルの跡が見えるはずだ。簡単に見つかるものだろうかと少し心配していたら、なんとも拍子抜けなことに「ケーブル清滝川駅跡」と書かれた看板が立っていた。きれいな看板には説明文も載っていて、そのオフィシャル感に少しほっとする。僕は他にもいくつか廃墟を訪ねたことがあるけれど、入るのは違法で見つかると厄介なことになるのだろうなというところが多い。ここはそういう気疲れをしなくて良さそうだ。看板のすぐ向こうにはプラットホームの跡があり、それを越えて少し歩くとすぐに線路跡に行き当たった。山の地形を穿ちまっすぐな勾配が両サイドを石垣に守られて伸びている。斜度は25度らしい。落ち葉と枝の堆積が結構あって、人はあまり通っていないように見えた。雨に濡れた落ち葉を踏みしめて、僕達は線路跡を登り始める。前方に一匹の鳥がいて、僕達が近づくと線路跡を少し遠くへ飛んで距離を取る。5、6回同じことを繰り返して、鳥の邪魔をして申し訳ないなと思う。

 両サイドの石垣がなくなり、小さな谷を跨ぐ高架が現れた。入り口にはロープが幾重にか渡されて「愛宕山登山道」は左に行けとの札が付いている。そのまま線路に沿って視線を上げると1つ目のトンネルが見える。僕達はロープを跨いで高架の上を進む。まさか崩れたりはしないだろう。橋梁を渡り、そのまま第一トンネルへ。
 前情報では愛宕山ケーブル跡には合計6つのトンネルがあるとのことだった。通れるのは1つ目、2つ目、4つ目、6つ目で、残る3つ目、5つ目のトンネルは内部が崩落していて通れないらしい。
 打ち捨てられて長いトンネルの内部は、倒木があったりしていかにも荒れ果てていた。それでも天井があるのはありがたい。出口で少し雨宿りをして、水を飲んだり休憩する。

 第二トンネル、第二橋梁などを抜け、いよいよ崩落の第三トンネルへやって来た。今までのトンネルとは内部の暗さが違う。トンネルの出口からやってくる光の欠片みたいなものが全然感じられないし、見るからに何かの障害物が前方を塞いでいる。崩れかけたトンネルに入るのは少し気がひけるが、崩落現場を見たいので中へ入った。懐中電灯を持っているのは僕1人で、十分な明かりがないもののトンネルが完全完璧に塞がっていることは明白だった。崩落を目前にすると急にちょっと怖くなって外へ出る。
 トンネルを通れないので、ここは迂回するしかない。この迂回途中から雨は雪に変わり。そして雪はじゃんじゃんと降り積もりはじめた。ウメバラの言動に「帰ったほうがいいんじゃ。。。」という雰囲気が現れはじめる。この先雪が強くなると厄介ではあるが、ここで帰りたくはなかった。SKDが「とりゃっ」と長靴で急斜面を登って行き。僕も軍手を嵌めて四足でウメバラの隣をよじ登った。
 しばらく迂回路で山の中を進み、線路へ戻り第四トンネル。トンネルの出口で先を見遣ると雪が濃密な白色空間を形成していてどっと疲れる。天気が良ければなんてことないはずの道だ。小休止。時刻はまだ正午前で、一帯を雨雲が去るのはレーダーによると2時間後か3時間後だった。そんなに待っていられないので、雪の中を進むことにする。それに時間が経てば経つほど雪は積もる一方だ。
 次の橋梁は一部が崩壊していて、幅30センチ程の細いコンクリート2本だけになっていた。さらにその上に雪が積もり始めている。ウメバラが立ち止まり「これは落ちて死ぬかもしれません」と神妙に言ったが、左の尾根側を通ればなんてことない。
 短い第4トンネルを潜り、次なる第5トンネルはやはり崩落。もう一度迂回。なんだかんだ言ってもケーブルカー軌道跡は人工物なので分かりやすいし歩きやすい。トンネルを迂回して再び軌道を見つけるまで山の中を歩くのが今回のトレイルで一番面倒だった。第5トンネルの迂回が済むと目の前にいかにも普通のハイキングコースという風情の道が現れた。

「えっ、そうなの拍子抜けだな、つまんないな」

「いや、横岩さん、あのさっきの道、雪の中戻れますか、これ? 普通の道あってよかったじゃないですか」

 ウメバラは少し怒っているのかもしれない。
「帰りにこの道使うかもしれないので、ちょっとこの道もそこら辺まで見ておきましょう」というSKDの建設的提案により、その普通の登山道を左へ進んでみると、そこには愛宕参りの普通のハイキングコースがあり、普通の休憩小屋まであった。壁こそないものの、屋根の下で何人かの年配登山客が休憩している。彼らはきちんとしたトレッキングシューズを履いてゴアテックスか何かの上下で武装していて、家の近所を散歩するような格好で現れた僕達の足元に「バカな若者」という視線を飛ばした。
 非常用帰り道の下見を終えた僕達は、再びケモノ道に戻りケーブル軌道跡を探す。幸いにして、軌道はすぐに見つかり、最後のトンネルである第6トンネルを抜けると見上げた先に建造物らしきものが見える。ケーブル愛宕駅跡に違いない。もう少しで到着だ。そろそろキチンと積もり始めた雪はろくな靴を履いていない僕達には厳しかった。斜度25度の人工的な坂道に積もった雪はアイゼンがないときつい。一歩一歩すべりながら進み、ちょうど手頃な木の枝が落ちていたので僕はそれを拾って杖にした。杖なんて、みんな日常では使わないし、杖の使用経験のある若者は多くないと思うので書いておくと、杖はすごい。僕はかつて膝を痛めている時に、山登りで膝を庇うため二本の枝を拾って杖代わり両手に持って歩いてみたことがあるのだけど、あまりに歩きやすいのでびっくりしたことがある。悪路で足元が取られるとか、もう多少のことは全然気にしなくても杖があれば歩ける。実質4足歩行なので抜群の安定感だ。

 声が聞こえたのはその時だった。
「キョエーェッーーーーーー!」
 という知らない獣の鳴き声みたいな声が駅跡の方から聞こえてきて、僕達は同時に歩みを止め顔を見合わせた。無言で聞き耳を立てる。無言だが全員考えていることは同じだ。何の動物だろう。動物だよな、人間じゃないよね。だってこんな山奥の廃墟で雪の日に。っていうかこの異様な叫び声が人間のだとしたらヤバい。動物であってくれ。タヌキとかカモシカとか。ほら、あそこタヌキだ! へー、タヌキってこんな声も出るんだね、知らなかったよ。みたいな会話で和やかに済んで欲しい。
 残念ながら、叫び声は人間のものだった。続いてけたたましい笑い声や「おい、コラ、お前!!!」といった激しい怒号が次々に聞こえてきたのだ。そして女性の声も微かに聞こえた。何者だ。。。まさかこんな雪の中、まさかこんな山奥の打ち捨てられた廃墟に僕達以外の人間がいるとは。そしてこのテンション。犯罪者の巣窟になってってヤクでもやってるのか。女の子が攫われてきて回されてたり。。とても街中には住めない殺人傷害強盗集団が隠れ住んでたり。。。ここで帰るべきだろうか。せっかくここまで来たのに。
 結局、僕達三人は無言のまま再び歩き始めた。とにかくゴールしないことには気が済まないし、屋根のある場所で雪をしのぎたいというのもあった。最悪の場合でもこっちだって男三人だ。

 建物に近づくと、2階にチラッと人影が見えた。んっ、子供か? すぐ傍まで来ても、2階から相変わらずの馬鹿騒ぎが聞こえてくるだけで、姿は確認できない。何人いるのか知らないが、結構な人数が2階にいるようだった。建物は地下1階、地上2階の合計3フロアで構成されている。向こうもこっちの存在には気付いているだろうし、それとなくお互いに住み分けて僕達は一階でランチにしてもいいかもなとか考えながら、やっぱり釈然としないので、2階に上がってみることにした。
 なんと2階にいたのは7,8人の男子中学生と引率らしき20代の男女2人だった。山岳部か何かだろうか。男子生徒達は大はしゃぎしていてテンションがスーパー高くて、つまり叫び声や怒号の正体はこれだったのだ。僕達の姿を見ると、男子達は「こんにちわー」とさわやかに挨拶し、さらに引率の女の子が「どのルートで来られたんですかぁ?私達、もう10分くらいで出ますので、場所交代できます、すみません」と丁寧に話掛けてきた。僕も「いやぁ、お構いなく、僕達下でも大丈夫ですから、ルートはケーブル跡上がってきました」と、さわやかな登山者モードに一転して返事をし、そして僕達はいそいそと一階へ戻った。
「なんだ、子供が騒いでただけじゃん」
「中学生だったら、このシチュエーションだったら、雪も降ってテンション上がるよね」
「僕だって普通にスト2ごっこして昇竜拳とか叫んでたもん、あの頃は」
「2階思い切って見に行ってよかった、これで安心してランチにできる」
 ほっとしたのも束の間、今度は止まったせいで体が冷えてきて強烈に寒い。今すぐに暖を取りたい。良く見れば天井からはツララが何本も下がっている。駅跡の一階には、既に誰かが焚き火をした跡があった。たぶん誰かが一度焚き火をして、その場所がいつの間にか焚き火スポットになったのだろう。建物はコンクリートでできていて多少焚き火をしても問題はなさそうだ。
「よし、焚き火をしよう」
 幸いなことに、僕はアルコールの固形燃料をいくらか持っていたので、雨や雪で濡れた枝しか落ちてなくても簡単に焚き火はできる。僕が手近にあった物で焚き火の準備をする間に、SKDとウメバラが大小様々な枝を雪の中から掘り起こして集めてきてくれた。砕いた固形燃料の上に、小さな枝、中位の枝、大きな枝と載せて火を点ける。狼煙を上げる要領で大量の煙が濡れた枝から立ち昇り、僕達の喉を直撃する。段々と火が大きくなり、一度安定してしまえばもうこっちのものだ。あとは濡れた枝をなるべく火の傍において乾かしてくべていけばいい。僕はコッヘルに水を入れて火の中に放り込んだ。焚き火に当たるだけではなくて、温かい飲み物が今すぐほしかった。お湯が沸くと、インスタントコーヒーをコッヘルに放り込んで、今日はカロリーが必要なので砂糖も全部ぶち込んだ。紙コップのインスタントコーヒーで、一先ず乾杯。

「あー、なんの臭いかと思ったら焚き火!」と言いながら、2階から中学山岳部の人のグループが下りてきた。
「焚き火なんて発想なかったです。そっかあ、焚き火いいですね。そのコッヘル使い込んでそう。スノーピークのチタンのですか?」
 叫び声を遠くから聞いたときには、まさかこんなにフレンドリーな会話が発生するとは想像もしなかった。彼女は首から蛍光ペンでルートを書き込んだマップを下げていたので、僕は道を尋ねる。なんとこの廃墟は秘境でもなんでもなく、普通のハイキングコースの一部だった。良く見てみると、公園なんかに良くある木製のベンチまで廃墟の前においてある。「あそこを左に行ったら、もうずっと一本道です」
 寒さで疲労していたので、今度はウメバラの指摘を待つまでもなく普通のハイキングコースがありがたい。

 中学生山岳部一行を見送ったあと、煙を避けながら焚き火の傍でおにぎりなどを食べていると、今度は大学生らしき青年が1人で現れた。彼は一眼レフのカメラを提げていて写真を撮りに来たとのことだったが、彼もまた普通の格好だった。「いやー、ちょっと写真撮ろうと思って登ってたら雪降ってきて、靴なんてグチョ濡れですよ」
 最初は遠巻きに挨拶をしただけだったが、「焚き火当りますか?」というとこちらへやって来て話がはじまり、どうやら僕達と同じルートでここまで来たことが判明する。彼の装備は僕達よりも悪くて、本当に何1つ「山」に関連するものを持っていなかった。少し心配だったので別れるときに板チョコを上げる。

「もうちょっと火に当たってたいので、焚き火にくべる物探してきます、手が冷たくて痛いですけれど」と言うウメバラに、SKDは「手袋したら」と言った。
「いや、手袋したら余計に痛い感じになってるんで、無しで大丈夫です」
 言っていることの意味が分からないが、彼は良く意味の分からないことを言うし、大丈夫というときは大丈夫みたいなのでそのまま任せる。
 交代で薪木を集めて、結局は2時間くらい僕達はそこにいた。途中、あまりにも煙たいので落ちていた傘を火に被せて三人で立ち上がり傘を持ち、顔まで煙が昇って来るのを防ぎながら傘の下に差し入れた手を温めるなどの技を駆使したけれど、雪の混じった風が吹き付ける中では十分に温まることも難しく、「ちょっと、僕達の今のこの光景、これ客観的に見てみたら面白すぎますよ、クククククっ、三人で傘持って突っ立って寒がって、ククク」とウメバラは笑った。

 ラップアップして駅跡を出たのは3時前だ。雪は相変わらず降っていて止む気配はなかった。駅跡の少し上には愛宕山ホテルの跡があるが、そこは建物もほとんど残っていないし、今日は雪に埋もれて見えないだろう。疲労もあるので諦めて山岳部の女の子が教えてくれたルートで下山する。水尾別れまで来ると、休憩小屋に温度計がぶら下がっていて、それをじっと見たウメバラが「マイナス15度です!」と言う。一瞬「まさか」と思ったけれど、そこまで寒いわけないので自分で見てみるとマイナス7度だった。寒いには寒い。
 清滝へ戻るか、水尾まで行くか相談し、どうせなら違う道をということで水尾への坂を下りる。たぶん体力がダントツなSKDは登りの後半からすでに先頭を歩くことが多かったが、下山ではほとんどずっと先頭を歩いていて「速いっすか?」とたびたび余裕の表情で振り返るのだった。水尾までは別段変化のない山道で、雪にすべりながら退屈な歩行を続けた。水尾集落へ出てアスファルトの道路を歩きはじめると、この雪まみれのハイキングもいよいよ終盤だ。山からの細い道路と、山沿いを走る比較的広い舗装道路との交差点へ差し掛かった時、角の向こうから大勢の人間が走ってくる激しい足音が聞こえてきた。雪降る曇天に沈む閑散とした集落に足音が響き渡り、一体何事が起こり何者が走っているのかと思えば、さっきの中学山岳部一行だった。「もうすぐバスが出るからそれに乗りたいんですよ!」と、例によって引率の女の子が状況説明し、彼らはそのまま走り去る。

 もとよりバスには乗らず、歩いて駅へ向かう予定だったので僕達は焦ることもない、「奇遇だね」と歩いていたら、しばらく先にバス停があり彼らがバスを待っているのが見えた。どうやら間に合ったようだ。ところが、やってきたのはバスというよりハイエースで、運転手が窓から彼らに「ゴメン、満員」と言うのが僕らのところまで聞こえてきた。
 僕達がバス停に差し掛かると、男子生徒達はブツブツ文句を言い、例によって女の子が「バス満員で乗れなかったんです」と状況説明してくれた。
 というわけで、僕達は微妙な距離を取りながらみんなして駅へ向かって歩くことになった。駅には年配の登山客が20人くらいいて、タオルで濡れた顔を拭いたり泥を落としたりして電車に乗る身支度を整えている。
 電車に乗ると、通勤や通学その他もろもろの、何らかの目的で都市を移動する人達が、席に着いたり吊り革につかまったりしていて、温かいエアコンが身体を包み込んだ。さっきまで山の上の廃墟にいて、雪に凍えながら焚き火をしていたなんてまるで嘘みたいだった。

 ・ウメバラによるメモ書き漫画日記(8秒毎切り替わります)


 ・ウメバラによるメモ書きトンネルイメージ(意味は不明。5秒毎切り替わり)