西海岸旅行記2014夏(51):6月21日、仁川国際空港、関西国際空港、死んだ家について

 飛行機は3列シートの真ん中だった。通路側は大柄な何人か良くわからないおじさんで、自分が大柄なのを分かっていて小さく座っている。いきなりヘッドホンとアイマスク。窓側は髪の長い韓国人の女の子で、本を読みながらいかにも韓国人っぽく舌打ちしてため息を付いている。もう飛行機の中は韓国だなと思ってほっとする。
 夜中に出発する長いフライトは、意外に楽だったし、一度目の機内食のあとは結構しっかりと眠った。機内食はビビンバにした。新しいロボコップがあったので見てみたら全然面白くなくて内容はほとんど覚えていない。一度だけトイレに行き、他は眠っていたんだか本を読んでいたんだか、気が付くと機内に明かりが灯って二度目の機内食だった。キムチご飯。

 仁川国際空港に着いたのは、朝6時過ぎで、まだ空港の中は半分眠っている。シャワーでも浴びようかとブースまで行ったが、開くのは8時。周囲のソファーでは旅人達が、旅の途上だし疲れているしもうどうにでもなれという感じで脚を投げ出してゴロゴロしている。僕は1軒だけ空いていたガラガラのカフェでコーヒーを飲むことにした。店には痩せた面長の女の子1人しかいない。先客のフランス人夫婦が「私達のコーヒーはまだか」とイライラしているが、女の子は平気で僕の注文を取り、そのあと渋々といった感じでフランス人のコーヒーを入れはじめた。彼女が僕のコーヒーを入れている途中に、別の店員の女の子が「ごめんごめん」と言いながらやってくる。遅刻したのだろう。

 コーヒーを受け取って席に座り、ラップトップの画面でブラウザを開いた。調べたかったのはソウルのホテルとAirbnbだ。今回は仁川にいてもトランスファーだが、とてもソウルに行きたい気分だった。僕はやっぱり韓国が好きなんだと思う。ソウルには二年前に行って、とてもいい街だと思った。どこがかは良く分からない。日本とほとんど同じじゃないかと言われたらそうかもしれない。昔、韓国人の女の子と付き合っていたことがあって、その影響もあるとは思う。けれど、もっと別の何かだ。僕はアメリカ人の女の子とも付き合っていたことがあるけれど、かといって今回アメリカにそれ程の親しみは感じなかった。これは恋人がどうとかそういう問題ではない。

 湿度の問題かもしれない。
 アジアの湿った雑踏と滑らかなカオス。
 そこから埋もれるように立ち上がる未来的建築とうごめくハイテック。

 色々なことを考えていると、4時間があっという間に過ぎて、僕は関空へ向かう飛行機に乗った。今度は一番窓際で隣の席は韓国人の女の子だった。英語が随分うまかったのでそう言うと「カナダに留学してた」と言う。誰もかれもがカナダへ留学している。妹がこの飛行機のどこかに乗っていて、一緒に大阪へ遊びに行くのだという。妹さんと変わろうかと聞いたが、別にいいというので、そのまま話をしていると50分はあっという間に過ぎ、僕達は関空に着陸した。大阪はひどい曇り空だ。「せっかく来たのに雨らしいからがっかりしてるの」と彼女は言った。


 日本。飛び交う言葉の全てがストレスフリーで瞬時に理解できて慣習を知り尽くした馴染みの国は流石にほっとする。ほっとするということは、同時に刺激がなくて詰まらないということでもある。日常へ返って来たというがっかりした気持ちが湧き上がる。京都駅までの特急電車「はるか」の出発時間まで、まだ40分くらいあったので僕は本屋へ入った。空港の中の本屋ゆえか、旅行関連の本が充実しているけれど、まあ別にそれはいい。パラパラと本を立ち読みして、手が止まったのは建築家、隈研吾の本だった。

《 ジュンコちゃん姉妹とは、年が近かったので、しょっちゅう遊びに行っていましたが、この家が境界人の僕にとっては、実に魅力的で、神話的ですらありました。どう魅力的かというと、そこで、農業という生産行為が行われていて、生き物がいて、生命が具体的にザワザワと循環していて、大地とつながっていたからです。
 二軒しか離れていなかったのに、僕の家や、その周りのサラリーマンの住宅は「郊外住宅」で、そこには生命の循環は感じられませんでした。僕の家も含めて、みんな「死んだ家」のように感じられました。
 郊外住宅がなぜ死んでいるかについて、「建築的欲望の終焉」を書きながら、じっくり考えました。郊外住宅は、どれも白っぽくて明るいのですが、その本質が暗すぎるから、無理して明るい色を塗っているので、実はみんな死んでいるのです。匂いもしません。
 ジュンコちゃんちは、いつも何かの農作業がおこなわれているせいで、いつ行っても匂いがしました。春には春の、夏には夏の匂いが、秋には最高にいい匂いがしました。一生分のサラリーを捧げて、住宅ローンで手に入れた郊外住宅は、何の匂いもなくて、みんな死んでいるようでした。 》
   ー 隈研吾「僕の場所」 ー 

 これだ。
 この本には、僕がアメリカで感じた寂しさのことが書いてあるような気がした。好きだったはずのモダン建築が並ぶ高級住宅街に感じた、冷たさと死の気配はサスペンス映画のせいなんじゃない。
 日本円が1000円しかなかったので、僕はクレジットカードをポケットから取り出した。日本へ戻ってきてがっかり落ち込んでいた気持ちは既に吹き飛んでいる。早くこの本を読みたくてドキドキする。
 旅は終わったりしない、できない。

僕の場所
隈研吾
大和書房