西海岸旅行記2014夏(46):6月18日:サンディエゴ、空母ミッドウェイの乾いた午後


 翌日、僕は昼前まで寝ていて、起きたらマックンは既に会社へ出掛けていた。部屋は3階で、バルコニーの向こうは適度に開けている。落ち着いた昼前のアパートメントの影と、樹々の囁き、それからプールの水音。
 昨日の夜、マックンにいくらか観光スポットを教えてもらったけれど、この心地良い部屋に1日いても良いような気分になる。実際、僕の観光に対する熱意は極めて低く、「意外。去年、イマムラ君が遊びに来た時、あのイマムラ君でさえかなりハイテンションになってアメリカ堪能してたけれど」とマックンも驚いていた。イマムラ君は僕達の共通の友達で、「なんで死ぬ危険を冒してまでみんな飛行機とか乗るんだ、行くなら船で行けば、頭おかしいんじゃないの」というような人間だ。彼が去年マックンの所まで遊びに行ったことは知っていたし、帰国直後、当の本人から「リョウタ君、絶対アメリカ行ったほうがいいって。絶対アメリカ好きだと思う」と、かなり力を入れて言われた。イマムラ君とも僕は長い付き合いなので、彼が言うのであればきっと僕もアメリカは気に入るだろうと思っていた。

 大体イマムラ君に言われるまでもなく、僕はアメリカが好きなはずだったし、今回だって「移住したいかどうか」という見極めの為に来たのだ。それも「ほぼ住みたいには違いないが念の為」という感じで。
 ところが、どうやら僕はアメリカに来てあまり元気がなかった。期待が大きすぎたんじゃないか、と言われたらそうなのかもしれない。自分でも予想外のことだった。

 観光はもういいな。
 今日はここで書物したり、何かを読んだりしていようか。
 何をするにしても、とりあえずシャワーを浴びよう。
 
 シャワーを浴びると、どこかへ出掛けてもいいような気になってくる。
 空母だけ見に行こうか。

 カールスバッドから更に南へ1時間ほど行くとサンディエゴで、サンディエゴにはミッドウェイという空母がそのまま展示されている。僕は大きな船が好きだし、そんなもの人殺しの道具じゃないかと言われても空母には興味があった。昼食に、カバンへ幾つか放り込んであったエナジーバーを齧って水を飲み、僕はマックンの部屋を出た。自由に使ってくれていいと、鍵はスペアをもらっていたので戸締まりはそれで行う。

 もうすっかり見慣れた海岸沿いの景色が、気付くと都市の顔になっている。サンディエゴはカリフォルニア州第二の人口を擁する大きな都市。メキシコとの国境はすぐそこで、もともとスペイン領なので地名もスペイン語が多い。空母が展示されていることからも推測されるように、米海軍の基地の街でもある。
 空母ミッドウェイ博物館の前にある駐車場はたくさんの車でほとんど埋まっていた。駐車料金10ドル。ずっと奥の方まで車を進めるといくつか空いているところがある。ここも、これでもかという炎天下の駐車場で、車を下りて周囲を見渡すと、海、デカい空母、そして都市。どこだって、海辺の都市は羨ましいばかりの美しさだ。

 20ドルでチケットを買って、いよいよ空母の中に入った。入り口でいきなり押し付けの記念撮影があった。例の写真を撮っておいて気に入ったら後で記念に買わせるやつだ。どうでもいいし、だいたい1人なのでそんなことしても仕方ないと思ったが、万が一この空母見学が素晴らしくてテンションが上がったときのために撮ってもらった。もちろん、あとでこの写真を買ったりはしなかった。

 空母の中には簡単なフードコートみたいなものもあるし、ギフトショップもある。もちろん、空母や戦争にまつわる様々な展示が行われていて、甲板に出ると数々の戦闘機が置いてある。駐車場がほぼ満車だったように、空母の中も観光客とか家族連れで賑わっている。
 けれどまあ、別にそれを見たからといってどうってことはない。
 ここ数年感じていて、さらにこの旅行の後半から確信しはじめたことだが、別にどこかで何かを見ても99%はどうでもいい(1%だけ度肝を抜かれるものがある)。見ているだけでは大抵なんともない。自分がそれを作るとか、オペレーションに参加するとか、そういうことにならないと楽しくはない。この空母もさらっと見て、「ふーん」と言ってそれで終わりだ。

 全長296メートル。いくら大きいと言っても30分もあれば空母の中は一回りできる。帰ろうかと思った時に、無料の内部ツアーが目に付いた。空母の格納庫やデッキは自由に見れるが、内部の居住空間や司令室などは20人程度のグループでガイド付きで回るようだった。せっかくだし、この後の予定もなかったので見ていくことにする。
 前のグループが空母や注意事項についての簡単なレクチャーを受けている間、僕は他の観光客に混じって列に並んでいた。老人のグループから幼稚園児を連れた家族まで、年齢層は広い。並んでいる通路にはモニターがいくつか吊られていて、観光客が退屈しないように空母の説明動画のようなものが流れている。当たり前だけどどんなものがあったところで待つのは退屈だ。僕の後ろに並んでいた家族連れの小さな女の子はしじゅう「早く帰りたい」とブーブー言っていた。

 10分もしないうちに、僕達の番が回ってくる。レクチャーをしてくれるのは、ここでもおじいさんだった。カリフォルニアサイエンスセンターでも、この船の上でも、たくさんの老人がボランティアをしている。この空母博物館はNPOで管理していて、払って頂いたチケット代も船の修繕などに当てている、というような話を彼ははじめた。
 ミッドウェイ博物館は、海に浮かべた空母そのものが博物館の建物であり展示でもある珍しい博物館だ。開館したのは2004年。ミッドウェイ自体は1945年から1992年まで現役だった。その半世紀の間にベトナム湾岸戦争も経験している非常に古い船だ。レーダー設備の説明などをするときも、ガイドのおじいさんは何度も「これは旧式だけど」と口にした。現行の原子力空母に比べてどれだけアホみたいに燃料がいるかとか、とにかく「この船は古いから空母はこういうものだとは思わないでくれ」という感じの口ぶりだった。

 一頻り彼の話が終わり、「何か質問は?」となったけれど、誰一人手を挙げず、なし崩し的にレクチャーは終了する。

「最後に、船のなかは非常に狭く、階段も急なので、頭をぶつけたり転んだりしないように動くときは絶対に動く方を確認してから動いて下さい。バックパックを背負っている人は、背中に背負うのではなく前に背負うことを強くオススメします。では行きましょう!」

 たぶん、古いとはいえ本物の空母の中を見るのは貴重な体験だったと思う。司令室から通信室、レーダー、食堂も厨房もキャプテンの個室も一通りのものは見ることができる。設備はいろいろと揃っているし、「すごい、こんなものまで」という驚きの声も聞かれたが、実際にこんな船に何ヶ月も乗っていたら気が滅入るだろう。要所要所で「はい、みなさん集まって」と繰り広げられるおじいさんの話が結構長いので、段々と退屈してくる。僕達のツアーチームは、段々と「興味があるのかないのか熱心に話を聞いているシニア層」「退屈にしている子供をなだめて話を聞かせているファミリー層」「あからさまに退屈している僕とヒスパニックの女の子2人」の3つに分かれてきた。自然と僕達3人は最後尾に固まって移動する。

 ツアーから開放され車に戻ると、炎天下の熱気がしっかりと車内を熱していた。エアコンを全開にして、一旦車を下りる。隣には中国人のファミリーがワンボックスを駐めて、各々がクーラーボックスからペットボトルを取り出していた。空母は本物だがすでにリアルではなかった。