西海岸旅行記2014夏(04):6月6日:シアトル、タコマ富士とアメリカの匂い


 富士が見える、と思った。2度目の機内食のあと、僕はいつの間にか眠っていて、「そろそろ着くよ」と起こされた時には既に北米大陸の上を飛んでいた。窓の外、遠くに見える富士山のような山はレーニア山という4392メートルの山だった。昔、「富士山が有名なのは日本で一番高いからというだけではなく、独立峰として他にはない珍しい形をしているから」という話をまことしやかに聞いたことがあるけれど、別にここにも似たような形の山があるじゃないか、と思う。実際にレーニア山は、周辺に移住して来た日系人に「タコマ富士」と呼ばれていたという。富士山ほど滑らかではないし、違うと云えば違う形だけど、似たような山はこのあと何度か目撃した。

 空港が近づき、飛行機が高度を下げる。眼下にシアトルの郊外が広がり、それは僕がはじめて目にする現実のアメリカだった。アジアの国々とは違う、いかにも西洋といった風情で整然とした低密度で住宅が並んでいる。このとき心の片隅に起こった、微かな寂しさのような感情は、良いも悪いもなしに今回の旅の根底を伏流するものになった。静かに地面へ潜り込んだ流れの出口には、近代の崩壊と隈研吾という建築家が待っていたのだが、それはまだまだ先の話だ。

 飛行機を降りるとアメリカの匂いがした。
 正確に言うと、これがアメリカの匂いなのだろうという匂いがした。村上龍の「ヒュウガ・ウィルス」という作品には"アメリカ合衆国の匂い"という表現が出てくる。

 """それは取材で長く外国にいるコウリーにしかわからないアメリカ合衆国の匂いだ。アフリカや中東や南米での長期の取材を終えて、アトランタに戻るとそこら中に立ち込めている匂い。ハンバーガーのケチャップとマスタードの匂い、ポップコーンのバターの匂い、プリッツェルの匂い、高校生のオールドスパイスの匂い、チューインガムの匂い、パーコレーターから漂うコーヒーの匂い。そういう匂いを発して死体は目を大きく開けたまま横たわっていた。わたしはアメリカ人なのだ。多勢のアメリカ人が目の前で死んでいくのを仕事のために黙って見ているわけにはいかない。"""
 (村上龍『ヒュウガ・ウィルス』)

 空港でしたこの匂いが果たして"アメリカ合衆国の匂い"なのかどうかは分からないが、あとでターゲットというアメリカの西友みたいな店のエレベーターに乗った時にも似たような匂いがして、UCLAに通っていたクミコが「アメリカの匂いがする!」と言ったので、たぶん空港で嗅いだのもアメリカの匂いだったのだと思う。
 やっとアメリカに着いた。
 いや、まだか。まだ入国審査を通過していない。

 「アメリカ国籍の人、永住権のある人はこっち、それ以外はあっち」
 アジア系の髪をポニーテールにした女の子が通路に立って、ぶっきらぼうに案内をしている。
 入国審査の列に並んでいる間、アメリカの入国審査は特に横柄に見えると思っていた。「どうだ、世界一豊かなこの国へ入りたいか。世界のディズニーランドに」とでも言うかの如く。様々な国籍、人種の人間が長時間のフライトで疲れた顔をして並んでいる。まるで食品に回しても大丈夫かどうか疫病のチェックをされている家畜の様だと思う。まったく国境というやつは。英語の全く話せない中国人らしきおじさんに手を焼いた審査官が、さっきのぶっきらぼうな女の子を呼び、彼女が通訳をはじめた。
 僕の審査官は結構気さくなエジソンに似たおじさんだ。
 「アメリカのどこへ行くの?」
 「シアトルとポートランドとサンフランシスコとロサンゼルス」
 「ポートランド? ポートランドへ何しに行く」
 「日本でポートランドが話題なんです。再開発が成功したクリエイティブ・シティだって。ちょっと見てみようと思って」
 写真と指紋を取られた後、ゲートを抜けた。つまり、完全にようやく本当にアメリカへやって来た。ワォ、僕はアメリカへやってきた!

ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界 2 (幻冬舎文庫)
村上龍
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五分後の世界 (幻冬舎文庫)
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