STAP マンションポエム、広告化社会の果てで

 <<<<<2014年3月16日10時10分追記
 どうやら中日新聞の記事は信憑性が怪しいようです。
 間違いかもしれません。
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 STAP細胞、小保方さんの騒動はとても気になっているのですが、理研が平気でウソをでっち上げて、それを「メディア戦略」と称していることに果てしない絶望感を覚えました。

 この記事「STAP疑惑底なし メディア戦略あだに(2014年3月15日) 【中日新聞】【朝刊】」によれば、

『会見に備え、理研広報チームと笹井氏、小保方氏が1カ月前からピンクや黄色の実験室を準備し、かっぽう着のアイデアも思いついた。』

 おばあちゃんからもらった筈の割烹着が実は伊勢丹で購入したものだとか、実験室の棚がスカスカだとか、そういう指摘は多々ありましたが、どうやらそういうことのようですね。
 これらが全部嘘だったというのは、百歩譲ってこの際どうでもいいです。ただ僕は、理研がこれをウソではなく「メディア戦略」と位置づけていることが本当にショックです。

 同新聞記事には、
『メディア戦略は理研幹部が「予想を上回った」と驚く成功を収めた。』
 とも書かれています。
 成功?
 ウソが拡散することが、成功なのか。
 天下の理研がいつからこんな訳のわからないことになってるんだ。

 先日「マンションポエム」という言葉を、日経の”マンション広告に躍る「ポエム」 建築を包む物語 2014/3/12 ”という記事で知りました。

 新築マンションなんかの広告に、「悠久の高台邸宅街で、人生はいま、高みを目指す」みたいな意味の良く分からない大げさなコピーが踊っていますが、これに違和感を感じていた方も多いと思います。これらヘンテコリンなコピーを「マンションポエム」と呼ぶそうです。的確なネーミングですね。

 マンションポエムはもちろん「宣伝文句」なわけですが、日経の記事には、以下のように書かれています。

『写真家の大山顕氏は、マンションポエムを「建築を隠す言葉」と表現する。「マンションは規格化が進み、もはや『法律と経済でできている』といっても過言ではない。都心の2億円の物件も郊外の2000万円台の物件も、建物自体にそれほどの差はない」。実際のところ、価格差のかなりの部分を占めるのは土地代だ。(中略)「値段が高いのは土地が高いから」という身も蓋もない理由を曖昧にし、「そこに住めばハイグレードな生活が待っている」という夢を買い手に抱かせる作用を持っている。』
 
 理研とマンションポエムの記事で、僕は「広告化社会」という言葉を思い出しました。
 広告化社会という言葉をこのブログで使うのは二度目のことです。

 前回は「広告化社会と演出化する消費者」という記事を去年に夏に書いています。

 「広告化社会」というのは、造語のつもりだったのですが、検索すると1982年出版の書籍に「広告化社会」というタイトルのものが一冊あるようです。
 僕は「人々が広告的にしか振る舞わなくなった社会」というような感じでこの言葉を使っています。
 つまらないパーティーでもFacebookにアップする写真を撮る時はおおはしゃぎのポーズをして、見る方も「まあ写真だし」と、そのはしゃぎっぷりを自然に3割引きくらいにはしているような社会。
 安物に「最高級」と書いてあってもなんとも思わない社会。
 どうせ全部ウソだろ。
 ならこっちだってウソつかないと損で、履歴書盛るのは「戦略」。Photoshopで修正するのも「戦略」。あることないこと言っとくのが「戦略」。ウソじゃないよ、野暮いっちゃいけない、戦略だって、戦略、作戦。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。軸は所詮損得勘定。見ているのが「同じ阿呆」ばかりだとどうして分かる? 残念ながら俺はあんたらと同じ阿呆じゃない。俺はあんたらと違って、悠久の高台邸宅街で、高みを目指しているんだ。

 僕達の社会は、隅々まで広告化しつつあります。コミュニケーションは演出と定型文で埋め尽くされています。かつて多くの雑誌が広告カタログに成り下がったように、Webはコマーシャルに埋め尽くされました。ビジネス書を読みライフハックをかまして一歩先行くつもりが、実は単なる消費者として社会に飲み込まれているに過ぎず、朝活だかスキマ時間活用だかで手に入れた筈の幸福のペラペラさは、どんな素敵なポエムも遂に覆い隠せず。ストレス発散というガス抜きのつもりの窒素充填窒息必至、実体はやはり消費の繰り返し。どこへも行けない、檻の中の消費者。
 さて、僕達はどこからこじ開けましょうか。