イノダコーヒーのケーキが不味くて裸の王様だと思ったこと

 イノダコーヒーで食べたケーキのマズさに驚いてこの記事を書いていますが、別にイノダコーヒーの悪口を書きたいわけではありません。店の好き嫌いは別れて当然のことなので、僕はもう二度と行かないと思うけれど、何度も行きたいという人がいるのも理解はできます。
 ただの店の悪口なら、何もブログを書くまでもないのですが、時代の移り変わりを肌で感じた気がしたので、そのことを書こうと思います。

 イノダコーヒーというのは、京都ではそこそこ有名な喫茶店です。京都市内だけでも店舗が5,6軒あったと思います。「京都の朝は、イノダコーヒーの香りから」というコピーが、結構すんなりと受け入れられているような印象もあります。
 そういう老舗の喫茶店です。
 ただ、僕としては別に興味のあるお店でもなく、昔一度入ってコーヒーを飲んだことがある程度でした。

 昨日入ったのは、家から一番近い喫茶店の1つだからというだけの理由です。本当は flowing Karasuma ( http://www.flowing.co.jp/index.php ) というカフェに行こうと思っていたのですが、時間や元気さの加減で近場で済ませたわけです。
 ちなみにこのflowingは素敵なお店ですが、今年一杯で閉店してしまいます。イノダコーヒーが70年以上も続いて、flowingが7年も経たないうちに閉店するというのは、単に流行り具合の問題でもないのでしょうが、なんだかなあという思いを拭いきれません。

 とはいえイノダコーヒーも、あと5年くらいでブランドイメージを食い潰してしまって、閉店へと向かうのではないかと思います。
 酷いことを書いているようですが、「今どきこんなケーキ出すか?」というような酷いケーキでした。ペコちゃんの不二家しかなかった時代ならともかく、エンゼルパイに毛の生えたようなココアケーキをどういう気持ちで提供しているのかとても不思議です。
 僕の周りには何人かカフェを経営している人がいますが、まだ歴史も経験もない彼らでも、こんな酷いケーキは絶対に出しません。お客さんのことを考えたら怖くて出せないと思います。

 もう一つ、彼らが絶対にやらないであろうことで、昨日僕がイノダコーヒーで目にした変な点を上げます。
 特に仕切りがあるわけでもなんでもないのですが、店内は一応喫煙席と禁煙席に分かれていて、僕達が座った禁煙席のテーブルには「禁煙席なのでお煙草はご遠慮ください」といったことの書かれた札が載せられていました。
 そのプラスチックの札が、古ぼけてとても汚くなっていました。これも普通に、「ここで食事をする人」のことを考えたら、ある程度のクオリティを求めるお店であれば有り得ません。

 滑稽で、「裸の王様」という言葉が脳裏を過ぎったのは、そのようなケーキが、そのようなテーブルの上に、良く訓練された物腰のウェイターによって丁寧に運ばれて来た時です。
 何かが決定的に間違っています。

 これは適当な食べ物でも、丁寧に堂々と提供すればお客は騙される、という戦略なのでしょうか。
 多分、違うと思います。
 お店の人は、うちは老舗だし、昔からの通りに、こうしておけば大丈夫だ、と信じている気がしました。

 そしてお客さんの多くも、ここは老舗だし大丈夫だ、と思っているような気がしました。大丈夫というのは、具体的には「このケーキはまずい気がするけれど、でもここはイノダだし、大丈夫なはず、昔懐かしのケーキなのね、きっと」とか、「テーブルの上にこんな汚い札が置いてあるけれど、ここはイノダだし、このお店がそうしているってことは、これは別に気にすべきポイントではないってことね」という風に考えるということです。
 人間というのは、驚くほど自分自身の判断基準が脆弱で、環境に判断を影響されるものです。

 環境のせいであろうとなんのせいであろうと、このお店を好み満足するのであれば、それはそれで良いことです。
 でも、僕達より下の世代が、ありとあらゆる食べ物を食べてきた世代が、このような喫茶店を支持することはないと思います。裸であることが、大声では叫ばれなくとも、小さなさざ波のように広がり、ちょうど古くからの慣習で残っているだけの権威が清々と打ち砕かれていくように、ここも消えていくのだと思いました。あるいは何かの変化がそれを回避するのかもしれませんが。

 そのように。不味いケーキを食べながら、何かのイミテーションで満たされたような店内で、「世代交代」という言葉を肌身に感じた気がしました。