人形峠ウラン鉱山残土

 1955年に「原子力平和利用博覧会」という催しがあったらしい。日比谷公園原子力列車の模型など、”素晴らしい原子力の未来”を印象付ける展示が行われ、36万人の来場者があったということだ。
 原子力は、まだ貧しかった日本に、1つのビジョンを示した。
 「ウランを掘り当てて大金持ちに!」だとか、「放射能でガンが治る」とか「放射能でお茶がおいしくなる」というような、勝手な流言飛語が飛び交い、日本中が盛り上がったらしい。

 この「原子力の流行」は、正力松太郎率いる読売新聞が仕掛け、引き起こしたわけだが、当時の日本が来る高度経済成長と大量消費社会を控えて自前のエネルギーを渇望していたことを考えれば、彼がいなくても誰かが同様のキャンペーンを張ったかもしれない。

 311以降の世界を生きる僕達は、「唯一の原爆被爆国なのに、原子力発電をこれ以上行うなんてどうかしてる」というような言説をしばしば耳にするけれど、1945年に2発の原爆を落とされた、そのわずか10年後に原子力ブームが起こっていたというのは、もっと異常なことだったのかもしれない。
 無論、原子力そのものは無機であり善でも悪でもない、原爆と平和利用は別だという話は、それはそれで筋が通っている。ここではそれに関して論じるつもりはない。

 それでは何のことを書きたいのかと言うと、原子力平和利用博覧会が開かれていたのと同じ年、1955年(昭和30年)に、岡山と鳥取の県境で発見されたウラン鉱山と、それがもたらした公害のことだ。

 岡山と鳥取の県境に、人形峠という変わった名前の峠がある。人形峠という名前は子供の頃に何かの怪談で聞かされた気がするけれど、その他で特に聞いた覚えもなく、ウラン鉱山があったことも知らなかった。

 僕は今「ニッポンの穴紀行」という、日本の近代史に関わる全国の穴を訪ねるドキュメンタリーを読んでいて、その中でこの事を知った。
 この本は図書館で偶然見つけて、開いたページに載っていた「滋賀会館地下通路」が気になり読みはじめた(僕は京都に住んでいて、近所の滋賀会館が気になったのですが、偶然、この本を読んだ翌々日にニュースでNHKが滋賀会館を買うと聞きました)。
 しかし、この本に出てきた「穴」の中で、一番驚かされたのは滋賀会館ではなく「人形峠夜次南第2号坑」だ。

 話は、日本が原子力放射能ブームに湧いていた当時、マスコミを騒がせていた「ウラン爺さん」こと、東善作に始まる。
 
 東善作は1893年、石川生まれ。後に新聞記者になる。記者時代にアメリカ人の曲芸飛行を見て飛行機に魅せられ、渡米して飛行機操縦を覚える。そのまま第一次世界大戦の勃発を迎え、なんとアメリカ軍の1人として戦争に参加している。日本に帰国の後、1930年に、日本人初の三大陸横断飛行を成し遂げる。
 なんとも活発な人だ。

 東は、第二次世界大戦の後、一攫千金を狙ってウラン鉱山探しをはじめ、1955年にこの人形峠ウラン鉱山を発見する。東はこの時62歳。採掘の始まった人形峠には食堂や土産物屋がいくつかできて賑わったが、ウランの質が悪く、残念ながら東が大金を手にすることはなかった。
 それどころか、ウラン鉱石を溶かしたウラン風呂に入り、ウラン鉱石を撒いた畑で育てるウラン野菜を食べる、独自の「ウラン健康法」のせいか、妻、養女をガンで亡くし、東自身もついにガンで死んでしまった。

 なんとも壮絶な人生だが、話はこれで終わらない。
 東が1955年に見つけた人形峠ウラン鉱山は、1957年から採掘が始まり、品質が悪いので使えないものの1987年まで採掘は続けられた。そして、翌1988年に残土から強い放射線が出ていることが分かり、その危険性が指摘される。

 人形峠から北へ15キロ程の所に、方面という場所があるのだが、ここでも1958年にウラン鉱脈が見つかっている。ここで3年間採掘に従事していた榎本益美さんという方が、残土放射能の危険性をニュースで知り立ち上がった。

 榎本さん達の当時の作業環境は最悪で、マスクすらしない状態で1日12時間坑内にいたという。原子燃料公社(現・日本原子力開発機構)から時折視察に訪れる職員はもちろん防塵マスクを着用の上、坑内に留まるのは短時間。榎本さん達作業員には「天然放射能だから大丈夫、作業に専念して下さい」というようなことを言っていたらしい。

 結局、榎本さんは、血を吐いて、鼻血を出して、毛が抜けるようになり、8箇所の胃穿孔が見つかって、この仕事を辞めている。
 また、因果関係はともかく、榎本さんの奥さんはガンでなくなっている。地域におけるガンの多さ、そこへ飛び込んで来た人形峠残土放射能のニュースを受け、榎本さんは方面地区のウラン残土撤去を求める要求を出した。
 2006年にようやく放射能レベルの高い残土の撤去が終わったそうだ。

 鎌仲ひとみ監督の、「ミツバチの羽音と地球の回転」を見た時、あんなことがこの日本で起こっていて、そして僕はそれを何も知らなかったということに衝撃を覚えたのですが、この人形峠ウラン鉱山の話からも、それに似たショックを受けました。
 ちなみに、このウラン鉱山には、人形峠環境技術センターというものができていて、申し込めば坑内の見学もできるようです。

ニッポンの穴紀行 近代史を彩る光と影
西牟田
光文社


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鎌仲ひとみ
紀伊國屋書店