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TETSUO rave part1 自然編


 ちっぽけな橋の上に座り、水面の方へ脚をブラブラさせながら、プラスチックカップに入ったコカコーラを飲んでいる。絶え間なく変化する水面の形状が、光の屈折方向をあちこち動かし、その所為で水中の光景はフラフラ定まらない。川底の石も、魚たちも、落ちる白い光も、全てが定常を知らず、どうして僕はさっきまでこの景色をまるっきり静かなものだと思っていたのだろう。

 朝は7時を過ぎていたが、まだ誰も起きてこない。
 ふと見ると、僕の座っている左隣に、一匹の黒い毛虫が歩いていた。彼は、ある地点で立ち止まると、頻りに地面を確かめている。一体そこに何があるのか、僕には良く分からない。でもそのポイントが、彼はどうしても気になるようだった。
 毛虫が地面を確かめているのを眺めていると、やがて一匹の蝿がやって来て、僕と毛虫と同じように、橋の上に止まった。彼は橋の上を素早く歩き回り、毛虫の側に来ると、今度は慎重な面持ちで毛虫に近づいた。毛虫が気になるのか、毛虫の気にしているものが気になるのか、これも僕には良く分からない。そういうことは彼らにしか分からない。蝿は毛虫に触れると、一瞬だけピクリと停止して、そして飛び去った。
 毛虫は毛虫で、地面に興味をなくしたのか、僕とは反対の方向へ橋の上を歩き始めた。人間が10秒ほどで渡る橋を、この毛虫はどれくらいの時間で渡るのだろうか。

 ゆっくりと、しかし確実に遠くへ歩いて行く毛虫を見ながら、僕はあること気が付いた。自然に対する見方が、昔と決定的に変化している。子供の頃なら、毛虫がいたら、ただ避けていた。蝿というゴミを連想させる生き物が何を考えているのかなんて、考えもしなかった。
 そういえば、さっき歩いていて、シカや、それより幾分大きな生き物の足跡を幾つか見つけたけれど、この川原で足跡を見つけたのははじめてのことだ。きっと、昔はそういうものが見えなかったんじゃないだろうか。
 子供の頃、川や山はただの遊び場で、虫は邪魔で気持ち悪いものだった。いつのまにか、それらは随分といとおしいものに変化していた。
 僕は思うのだけど、もしも山や森林に、何かの精のような、霊魂のような、トトロのような存在があるのだとしたら、それらは子供にしか見えないのではなく、大人にしか見えないのではないだろうか。

 いくつか前の記事に「TETSUO rave part1 反省編」を書いたけれど、これはその翌朝の話で、パーティーの後、僕は夜を一人外で明かした。厳密には、テントや車内に寝場所がなかったわけではないが、多少の雨にも関わらず、どうしてか外で眠ろうと思った。
 準備とパーティーで忙しく、一日ほとんど何も食べていなかったので、燻っている焚き火の中からアルミホイルに包まれ焼け焦げているドライカレーを拾い出し、全部食べた。体が猛烈にカロリーを欲していて、普段はほとんど口にすることのないコカコーラもガブガブと飲んだ。もうみんなテントに入って眠っていて、僕は一人だった。
 みんながキャンプを張っている地点から、川をいくらか上流へ歩いて行くと、僕が何度もテントを張ったことのある、いわゆる「お気に入りの」川原がある。ドライカレーとコーラを摂取したあと、そこへ向かって歩き始める。猛烈に眠たい。装備は最低限で、寝袋の代わりにサバイバルシート、ライト、ライター、レザーマンのナイフ。
 川を臨む岩の上を歩いていると、深くなって流れが緩やかな淵に、三匹の大きな魚が泳いでいる。恥ずかしい話だが、僕は魚の名前がほとんど分からない。僕は水の中を知らない。

 川原は、形状を変えていなくて、まだ十分な広さを保っていて、僕はそこへ下りてシートを広げ寝転んだ。上流へ少し歩くだけで、気温が随分と低くなっていて寒い。このままでは到底寝れないので、急いで枝を拾い集めて小さめに焚き火を起こした。
 暖かさは重要で、火は偉大だ。
 焚き火の側で、僕はうつらうつらと眠った。
 谷間に沿って、大きな鳥が、頭上を飛んで行く。

 それほど長くは眠っていない、周囲がすっかり明るくなり、もう誰か起きているだろうかと、僕は焚き火を消してシートを畳み、脱いで乾かしてあったビブラムを履いて、みんなのキャンプへ戻った。意外にもまだ誰も起きていなくて、仕方なくコカコーラをカップに汲み、僕は橋の上に座った。その後、しばらく川を眺めた後、毛虫の存在に気が付いた。毛虫が遠くまで歩いて行った頃、今度は三脚とカメラを担いだ、朝早い一人のハイカーが現れた。僕と彼は自然に挨拶を交わし、3分程立ち話をした。そろそろ、みんなも起きて来ることだろう。

わしらは怪しい探険隊 (角川文庫)
椎名 誠
角川グループパブリッシング