12歳

 もう34年間も生きてきたので、大体自分がどういった人間なのかも分かってきたつもりですが、僕は概ね勉強するのが好きな人間だと思います。
 今も学びたいことが山の様にあり、死ぬまでの限られた時間を考えれば、それらの大半を知ることなく人生を終えるのだろうと、儚い焦燥感も持っています。

 子供の頃から勉強することは好きでした。学校の勉強もできたと言っても多分文句は言われないと思います。
 だけど、学校の勉強というか受験勉強が、心の底から本当に大嫌いでした。
 宿題もほとんどしませんでした。
 もう完全にできることをこれでもかと繰り返すドリルが本当に嫌で、僕は計算ドリルの途中であまりのバカらしさに何度も泣きました。
 夏休みの宿題は始業式の朝にページをバラバラにして、友達に配って数ページづつ写してもらい、それをセロハンテープでくっつけて提出しました。
 中学生のとき、高校受験が本当に嫌で、未来からタイムマシンに来てもらって、そのまま未来へ連れて行ってもらおうと「絶対に捨ててはならない未来への手紙」を書きました。もしもいつか人類がタイムマシンを発明するとしたら、もしもこの手紙がその時まで保管されていて誰かが読んでくれたら。指定した場所の指定した時刻、つまりそのとき僕が数学の授業を受けていた教室の、その手紙を書き終えた一分後にタイムマシンが現れるはずでした。
 幸か不幸か、この試みは失敗に終わり、僕は高校受験どころか大学受験までするはめになりました。

 受験勉強が嫌だというと、色々な人が「でも受験をなくすには、偉い人にでもなって国を変えるしかないから、一旦きちんと受験勉強して京大か東大にでも行かなきゃね」とシニカルな口調で言いました。
 システムを壊したかったら、一度そのシステムに従えというわけです(人生は短く一度なのですが)。
 妥当と云えば妥当な意見だったと思います。
 それに、高校受験に失敗したら人生が終わるかもしれないとすら思っていた馬鹿で臆病な中学生にとって、本当に革命的な行為を起こすよりも、とりあえずは普通に勉強するしかないのだという意見は安全安心で魅力的なものでした。
 笑われると思いますが、当時はまだインターネットもなくて、「お受験」がトレンディドラマの主題になる程度には受験が重視されていて、田舎の一中学生としては「人生を棒に振るのは怖いから大学進学率の良い高校を受験する」という選択肢しか持てませんでした。
 さらに僕は小学生の時から科学者になると決めていたので、高校へ行って、大学へ行くという以外の方法を考えつきませんでした。まず革命を起こして受験をなくしてから改めて科学を学ぶ、なんてできるわけありません。

 今から思えば、革命は無理でもただ高校へなんか行かなければ良かった。勝手に勉強して大検でも取って大学へ入っても良かったし、別に大学へ行かないという選択もありました。
「自分で決めて、自分でしたことなのに。自分のせいだろ、誰に責任転嫁してるんだ」と言われると思いますが、「時間を返せ」と思っています。別に責任転嫁でなく、自分で後悔して「無駄な時間と労力とお金を取り返しが付かないくらいたくさん使ってしまった」と思っているだけかもしれません。とにかく受験勉強で失われた膨大なコストが惜しくて仕方ないし、今もまだ沢山の子供達がそのように過ごしていると思うと居ても立ってもいられない気持ちになります。

 僕は自分に怠惰な面があることを認めますが、子供の頃、宿題をしなかった僕は単なる怠け者だったのでしょうか。
 計算ドリルを放り出して、相対性理論の本を読んでいた僕は本当に単なる怠け者だったのでしょうか。
 今、僕はとんでもない書き方で自己弁護を書いています。
 そのことには十分自覚的なつもりです。
 でも、人にどう思われようともこれは書こうと思っています。

 受験勉強なんてと言いながら、僕は大学院時代、時給に釣られて塾講師をしていたことがあり、ある時、小学生の男子生徒が作ってきた工作を見てとても驚きました。
 僕は直接彼のクラスを教えたことはないのですが、彼は勉強を嫌がって廊下や事務所でグズグズ泣いている、いかにも子供っぽい子供でした。まさかこんなに精巧な工作ができるとは思いもよりませんでした。絵も上手で、聞けばご両親も彼の才能には気付いていて「だけど高校までは普通に頑張って勉強してほしい」と。

 その時、はじめて僕は気が付いたのです。
 それまでは嫌だと言いながらも「どうせならもっと真面目に受験勉強した方がよかったのではないか」という自責の念をどこかに抱えていたのですが、それが消えたとはいかなくても随分小さくなりました。
 僕に、彼が美術で見せるような才能があったかどうかは分かりません。たぶんなかったのだろうと思います。
 でも、少なくともやりたいことがあって、義務教育だか標準的な知識だか常識だかなんだか知らないけれど、そんなもの邪魔以外の何でもなくて兎に角嫌で嫌で仕方なかったのは同じだったのではないかと、勝手に彼に強く同情しました。
 子供のうちはまだ、なんでこんなに嫌で、なんでこんなに涙が出てくるのか、十分には認識できないし、上手く説明もできない。ともすれば自分は怒られてばかりいる怠け者でどうしようもない人間なのだと、社会は正しくて自分が駄目なのだと自分を責めるしかないんです。

 「高校までは普通に頑張って欲しい」という考え方はドミナントです。それどころか「大学まで」「就職と結婚まで」「定年まで」というのは普通のこととなっています。
 義務教育の内容が「標準で大事」だと信じられています。「偏りなく一通りいろいろ体験できる」とありがたがられています。でも標準ってなんでしょうか。「勉強が何の役に立つんですか」って子供がよく聞いていますが、あの問いは果たして答えられたのでしょうか。鳴くよウグイス平安京なんてどうでもいいです。覚えたい人以外は1200年くらい前でいいじゃないですか。覚えたいことは勝手に覚えます。僕は小学生のとき光速を約秒速30万キロではなくて 299,792,458(m/s)だと覚えていたし、ローレンツ変換の式だって覚えていました。ローレンツ変換にはルートも二乗も出てきますが、説明してもらえば中学生を待たなくても小学生で十分理解できます。漢字学習は全然しませんでしたが、辞書の引き方は知っていたのでどんな本でも読めました。もう兎に角放っておいてほしかった。中学生が微積分使ってテストの答案書いて何が悪いというのだろう。

 もう一度書きますが、僕は今自分がどういうことを書いているのか自覚しています。
 しばらく前に「性格が悪いので発言の裏を探り、常に悪く受け取ってしまう」というようなことをツイッターに書きましたが、このテクストが「子供のとき賢かった自慢」に読めることは十分承知しています。でもそうではありません。今皮肉を込めてわざとテクストと書きました。「文章」でも「作文」でも「テキスト」でもなくテクストと書きました。「賢い僕自慢」をしたいのであれば、僕はそういう小賢しいレトリックで済ませます。この文章は、単純にかなり腹を割って書いています。

 だいだい、勉強が好きだったというのは自慢でもなんでもありません。
 それはお菓子が好きだったとか鬼ごっこが好きだったとか言うのと何も変わらない。学問はもともと只の娯楽です。面白くて楽しいからという動機がなければこんなに発展したわけないです。「勉強が好き、というのは自慢」という文脈こそヘンテコな義務教育の生み出した偏見です。

 これを書いているのは、もしかしたら村上隆さんの、ご自身の作品「めめめのくらげ」に対する赤裸々な連続ツイートを読んだ影響かもしれません。
 村上さんは「今の自分はだいたい10歳くらいまでに触れたものでできているから、子供に向けても作っている」とおっしゃっていますが、これは僕も同じで、今の自分の構成要素はせいぜい12,3歳くらいまでに触れたものです。

 子供の頃、本を読むのが大好きでした。今、本を書いています。
 子供の頃、科学の本を読んだり実験するのが好きでした。今はアカデミックから下りてしまいましたが、少しだけでも物理学に貢献できないかと、まだ完全に離れるつもりはありません。
 子供の頃、発明と称して電子工作や大工の真似事をしていました。今、作りたいものがたくさんあって部屋の片隅で材料達が待っています。少しだけデザインについて学んだのも、デザインが発明とほとんど同じだったからです
 大工の真似事をしていたのは、友達の家の建築会社資材置き場で、今、僕の机の前には一面建築の写真が貼られています。
 小学生の時、日曜洋画劇場でBack to The Futureを見てすぐにスケートボードを買ってもらいました。まだ第三世代の大きな板でした。今、僕は日常の交通手段に第四世代のスケートボードと、新しく出てきたミニクルーザーを使っています。
 はじめて小手返しを教わった時の感動を今でも覚えていて、今僕の日常で行われる些細な運動は武術トレーニングを元にしたものになっています。
 訪ねたい旅先は、夏休みの廊下でゴロゴロしながら読んだ宝探しの物語のような、洞窟のある無人島です。
 いつも持ち歩いていた七つ道具の入った鞄は、当時買えなかったレザーマンのツールセットに姿を変えていつもポケットに入っています。

 どうしようもないくらいに僕は12歳の時から何も変わっていなくて、通り抜けてきた中学校だとか高校だとかはびっくりするくらい何も影響がなく、ただ単に邪魔でした。12歳の頃からいくらか成長したのだとしたら、それはほとんど自分勝手な読書と大学以降の教育のお陰です。
 ずっと変わっていなくても、12歳というのは遠い遠い過去で、自分が12歳だったなんて到底信じられないし、12歳の時の自分が自分だったなんて全然思えません。15歳でも、17歳でも。
 そして、僕は当時の自分を、あるいは彼ら達を見て、少しかわいそうなような、本当になんて何も知らなかったのだろうと、せめてネットがあったらと、そういうことを思わずにはいられません。
 これは別に直接的に不幸だということではないです。僕は素晴らしい両親の下、幸福な家庭で大切に大切に育てられて、良い友人にも恵まれました。
 ただ、僕は本当に無知で、そして「まっとうな」道から外れたらどうなるのか怖くて、その恐怖心にドライブされて生活していて、それを十分に自覚すらしていなかったのです。それをやっぱり愚かだったなと振り返らざるを得ません。
 無知故に駆られた恐怖で、システム通りに生活しました。大学生になるまで我慢しようと考え、実際に我慢しました。「多読なんかより、俺の作ったアクセントのプリントを暗記しろ」みたいな英語教師の教える、どうでもいい受験英語の授業を受けていたわけです。

 だから、大学は本当に嬉しかった。
 無論、大学にも変なところは沢山あるけれど、でも大学はそれまでの場所に比べたら圧倒的に素敵だった。そのせいか、なんと僕は大学に学部と院(と休学)を合わせて14年間も在籍していました。
 よく「いつになったら卒業するの、ほんとに学校好きだよねw」と嫌味を言われましたが、本当に好きだったのだと思います。

 これはやっぱり村上隆さんのツイートに触発されて書いた、僕の極々個人的な大学までの生活に対する感想です。
 基本的には文句と愚痴をつらつらを連ねて、それではと万人に対する教育をどうすればいいのかという代替案を示すことも僕にはできません。目の前にいる誰かに対してなら、もしかするとこういう風な教育がいいのではないかということを言えるかもしれませんが、「子供達」という漠然としたもともと一括りにできない対象について何も言うことはありません。だいたい既に僕は教育という単語に嫌悪感を覚えるような人間になっています。
 まとめも何もないのですが、ただ、高校生の頃までのように、目を塞いだまま、生きる為に死んでおくというようなことと、それを美しい頑張りだと勘違いするようなことはないようにしようと思っています。