読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

書評:『弱いロボット』岡田美智男

書評
弱いロボット (シリーズ ケアをひらく)
岡田美智男
医学書院

 『弱いロボット』というタイトルを店頭で見て、最初に僕が連想したのは、現行ロボットの未熟さというようなものでした。
 産業用ロボットのように、何かに特化したロボットの中には凄まじい高性能を持つものがありますが、僕達の日常生活に入ってきたロボットと言えば、せいぜい「ルンバ」程度です。あんなものが21世紀のお掃除ロボだなんて、1970年に大阪万博で輝かしい未来を想像していた人達からすれば驚きでしかないと思います。(あと「アイボ」というのもありましたね。もう絶滅したようですけれど。)

 万博ついでに書いてしまうと、僕は2005年の愛知万博で「リニモ」に乗った時、そこはかとなく脱力感に襲われました。それは「リニモ」が、ただのモノレール並の遅さだったから、という理由からだけではなく、そこへ到達するまでのリニアモーターカーの歴史を鑑みてのことです。
 リニアモーターカー開発の歴史は100年くらいあると思います。今は磁気浮上式について話をしていますが、科学の世紀と言われた21世紀をまるまる費やしても「リニモ」程度のものが万博で鳴り物入りで紹介されていて、世界的に見ても、ほとんどリニアモーターカーは普及していません。
 さらに、日本のリニア計画は2027年に東京ー名古屋間、2045年に東京ー大阪間開通ということですが、2045年になっても僕達は「祝リニアモーターカー開通!」とか、なんとなく昭和な響きのする言葉を万歳するのでしょうか。

 と、まるで悪口のようなことを書きましたが、別にこれは悪口ではなくて、科学技術の発展は難しいということの再認識と、元科学少年としての軽い失望を表明したまでです。
 この「昭和的科学少年の21世紀初頭に対する失望」というのは、ラーメンズが『アトム』というコントで上手に表現しています。
(一番下に動画を引いておきました)

 閑話休題
 とはいっても、実は愛知万博の話はこの本の内容に関連があります。
 岡田さんは愛知万博に「自分ではゴミを拾えないけれど拾ってほしそうにして周りの人にゴミを拾って貰うロボット」を次世代ロボットとして提案したが相手にされなかった、という経験をお持ちです。
 この「自分ではゴミを拾えないけれど拾ってほしそうにして周りの人にゴミを拾って貰うロボット」は「弱いロボット」の一つです。
 そうです「弱いロボット」というのが何を表しているのか、どういうロボットのことを言っているのかというと、それは「何もできないロボット」だったのです。
 著者の表現を本分から引用すると、

『「あ、そうか。手足もなく、目の前のモノが取れないのなら、誰かに取ってもらえばいいのか」
 あらためて考えてみると、こんな捨て鉢ともいえる発想で作られたロボットは世の中にまだないのではないか。ポイントとなるのは「一人では動こうにも動けない」という、自分の身体に備わる「不完全さ」を悟りつつ他者に委ねる姿勢を持てるかどうかである。つまり、他者へのまなざしを持てるかどうかということだろう。』

 というように、自力では何もできないので周りの人に助けて貰うロボットです。
 僕は最初に「ロボットの未熟さ」というものを連想していましたが、その「未熟さ」というのは「なんでもできるロボット」に対しての未熟という意味でした。僕の視点の先には「なんでもできる」というものが置かれていたということです。蓋を開けてみれば、岡田さんの研究は完全に反対方向を、「なにもできない」という方向を向いたものでした。

「え?そんなのロボットなの?」
 という反応は、妥当なもので、僕もやっぱりそう思ってしまいます。
 実際、ロボット展示会に「弱いロボット」を出品しても、「何の役に立つの???」と完全に浮いた存在になってしまうということです。

 「弱いロボット」は、ロボット単体では役に立ちません。
 ただ、このロボットは人とのインタラクションの中で、コミュニケーションの本質を浮かび上がらせたり、人々のコミュニケーション触媒になったりという機能を発揮します。
 岡田さんの研究目的も、単純なロボット開発ではなく「コミュニケーション」に重点を置いたものです。それはこの本がブルーバックス等のサイエンス本としてではなく、「ケアをひらく」という介護を扱ったシリーズの一冊として出版されたことからも伺えます。

 自分ではゴミを拾えないゴミ箱ロボットと子供たち
 (1分20秒くらいからです)↓



 「何もできないロボット」を「幼児」のアナロジーとして「人々に何かさせる」ということ。
 (例:かわいらしいゴミ箱ロボットを作って、人々にゴミを拾わせる)

 もしくは、

 「極度に対話能力の低いロボット」を使って、人々に「人形遊び」的な「一人会話」を引き起こること。
 (例:ムームーなどと意味のないことしか言えないロボットの発話から「タコ焼きね」などと人が勝手な解釈を見出す)

 これらが不気味なことであることに、岡田さんは自覚的で、これらの研究は端的にまだ途上です。これからエンジニアリングの枠を大きく超えて、ますます面白くなるのではないでしょうか。
 僕はこれまでロボットを「性能、機能」だけで見てきた節があり、本書によって大きく目が開かれました。

 また、本書を貫いているある重要な姿勢があって、それを紹介しないわけにはいきません。
 その姿勢は、「歩くというのは、どうなっちゃうか分からないけれど、とりあえず一歩踏み出してみて、つまり地面に向かって倒れこんでみて、それで始まるんだ」ということです。
 それこそが「生きている感じ」で、だから僕達は「静歩行型ロボット」を見ても生きている感じを受けなくて、「動歩行型ロボット」からは生きている感じを受け取る。
 倒れこんだ先に地面らしきものがあることを信じて前に倒れること、そこから物事は始まり、また一歩進んだ先には別の視界が開ける。
 コミュニケーションも同じことで、取り敢えず発してみた一言を「相手」という地面が受け止めてくれて、そして会話が始まる。とりあえず投げてみる一言は「文法的に意味のある」センテンスでなくていい。英語が話せないという思い込みの一部は「意味のあるセンテンス」を組み立ててから投げなくてはならないという強迫観念に由来している。日本語で話す時だって人は「意味のあるセンテンス」ばかり発してはいない。雑談を分析してみれば意味のない言葉だらけだ。もしも「意味」というものが希求されるのであれば、それは個々がその一回の発話で達成するものではなく、会話に参加している全員のコミュニケーション全体で達成されるものなのだ。
 何か一つの行為に、その一歩に、確実な意味なんかなくていい。その投げ出された行為は誰かに受け止められ、インタラクションの中で意味は形成されていく。僕達がすることは、社会という地面を信じて一歩前に身を投げ出すことだけだ。
_________________
『弱いロボット』岡田美智男

 目次

 はじめに

第1章 言葉のもつリアリティを求めて
 1 そのしゃべりで暮らしていけるの!?
 2 雑談の雰囲気をコンピュータで作り出せないか

第2章 アナログへの回帰、身体への回帰
 1 嵐の前の静けさ
 2 とりあえず作ってみる
 3 もっとソーシャルに!

第3章 賭けと受け
 1 「静歩行」から「動歩行」へ
 2 言い直し、言い淀みはなぜ生じるのか
 3 行為者の内なる視点から
 4 おしゃべりの「謎」に挑む
 5 「地面」と「他者」はどこが違うのか

interview 「とりあえずの一歩」を踏み出すために

第4章 関係へのまなざし
 1 一人ではなにもできないロボット
 2 サイモンの蟻
 3 ロボットのデザインに対する二つのアプローチ

第5章 弱さをちからに
 1 乳幼児の不思議なちから
 2 ロボットの世話を焼く子どもたち
 3 おばあちゃんとの積み木遊び
 4 「対峙する関係」から「並ぶ関係」へ

第6章 なんだコイツは?
 1 どこかにゴミはないかなぁ
 2 「ゴミ箱ロボット」の誕生
 3 ロボットとの社会的な距離
 4 学びにおける双対な関係
 5 ロボット−「コト」を生み出すデバイスとして

 参考文献
 あとがき はじめに

第1章 言葉のもつリアリティを求めて
 1 そのしゃべりで暮らしていけるの!?
 2 雑談の雰囲気をコンピュータで作り出せないか

第2章 アナログへの回帰、身体への回帰
 1 嵐の前の静けさ
 2 とりあえず作ってみる
 3 もっとソーシャルに!

第3章 賭けと受け
 1 「静歩行」から「動歩行」へ
 2 言い直し、言い淀みはなぜ生じるのか
 3 行為者の内なる視点から
 4 おしゃべりの「謎」に挑む
 5 「地面」と「他者」はどこが違うのか

interview 「とりあえずの一歩」を踏み出すために

第4章 関係へのまなざし
 1 一人ではなにもできないロボット
 2 サイモンの蟻
 3 ロボットのデザインに対する二つのアプローチ

第5章 弱さをちからに
 1 乳幼児の不思議なちから
 2 ロボットの世話を焼く子どもたち
 3 おばあちゃんとの積み木遊び
 4 「対峙する関係」から「並ぶ関係」へ

第6章 なんだコイツは?
 1 どこかにゴミはないかなぁ
 2 「ゴミ箱ロボット」の誕生
 3 ロボットとの社会的な距離
 4 学びにおける双対な関係
 5 ロボット−「コト」を生み出すデバイスとして

 参考文献
 あとがき
________________


弱いロボット (シリーズ ケアをひらく)
岡田美智男
医学書院