書評:『私の個人主義』夏目漱石

 「どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです」

 夏目漱石がこんなダイレクトな物言いをしているのを、僕はこれまで知りませんでした。
 『私の個人主義』というのは、漱石の講演を書き起こしたもので、冒頭部分は講演をすることになるまでの長い経緯だとか挨拶が書かれていて、昔読んでみた時、僕はそこで退屈してやめていました。今日は最後まで読んでみたのですが、すっかり心打たれる講演です。

 以前、高橋源一郎さんが「漱石だけは明治文学の域を超えている。彼だけは他の明治の作家とは違う」というようなことを言っていらっしゃいました。僕にはそれがどうしてなのかずっと分かりませんでした。加えて、僕はある程度本を読むのが好きな方の人間ですが、漱石はいくつか読んでみてそんなにも面白いとは思わなかったので、取り立ててそれ以上知ろうともしませんでした。
 今日、『私の個人主義』を読んでみて、どこが「明治文学を超えている」のか分かった気がします。明治文学はロシア文学の輸入に終始している感が、あるいは西洋かぶれ、国家主義に終始している感がありますが、漱石はそれを乗り越えて「個人主義」「自己本位」の文学を組み立てました。

 漱石が、「西洋盲従」「他人本位」から「文学は自分で作るしかない」という「自己本位」に到達したのはイギリス留学中のことです。
 1900年(明治33年)、当時33歳の夏目漱石はイギリスに留学して、「漱石発狂」とも噂されるまでに酷い神経衰弱に陥りました。しかし、その間に漱石は決定的な何かを掴んだわけです。1年少しで帰国し、教師の仕事を転々としたあと、神経衰弱の治療も兼ねて『我輩は猫である』を執筆。1905年「ホトトギス」への掲載となりました。ここから次々と日本文学史に残る作品を発表していきます。僕は先程も書いたように、漱石の作品をそんなには好きでなくて、でもそれは読んだ時まだ自分が若かったせいなのかもしれないなとも思っていますし、同時に、漱石が目指していたことがいくらか達成された後の時代を生きているからかなとも思っています。どちらにしても、この先人の言葉に、「負け惜しみの強い」「こじつけ」という意味の偏屈なペンネームで作品を書き続けた偉大な先人の言葉に、僕は強く背中押されます。

 『 以上はただ私の経験だけをざっとお話ししたのでありますけれども、そのお話しを致した意味は全くあなたがたのご参考になりはしまいかという老婆心からなのであります。あなたがたはこれからみんな学校を去って、世の中へお出かけになる。それにはまだ大分時間のかかる方もございましょうし、またはおっつけ実社界に活動なさる方もあるでしょうが、いずれも私の一度経過した煩悶(たとい種類は違っても)を繰返しがちなものじゃなかろうかと推察されるのです。私のようにどこか突き抜けたくっても突き抜ける訳にも行かず、何か掴みたくっても薬缶頭を掴むようにつるつるして焦燥れったくなったりする人が多分あるだろうと思うのです。もしあなたがたのうちですでに自力で切り開いた道を持っている方は例外であり、また他の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとはけっして申しませんが、(自己に安心と自信がしっかり附随しているならば、)しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。いけないというのは、もし掘りあてる事ができなかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。私のこの点を力説するのは全くそのためで、何も私を模範になさいという意味ではけっしてないのです。私のようなつまらないものでも、自分で自分が道をつけつつ進み得たという自覚があれば、あなた方から見てその道がいかに下らないにせよ、それはあなたがたの批評と観察で、私には寸毫の損害がないのです。私自身はそれで満足するつもりであります。しかし私自身がそれがため、自信と安心をもっているからといって、同じ径路があなたがたの模範になるとはけっして思ってはいないのですから、誤解してはいけません。
 それはとにかく、私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄
のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰すまで進まなければ駄目ですよ。――もっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かにぶつかる所まで行くよりほかに仕方がないのです。私は忠告がましい事をあなたがたに強いる気はまるでありませんが、それが将来あなたがたの幸福の一つになるかも知れないと思うと黙っていられなくなるのです。腹の中の煮え切らない、徹底しない、ああでもありこうでもあるというような海鼠のような精神を抱いてぼんやりしていては、自分が不愉快ではないか知らんと思うからいうのです。不愉快でないとおっしゃればそれまでです、またそんな不愉快は通り越ているとおっしゃれば、それも結構であります。願くは通り越してありたいと私は祈るのであります。しかしこの私は学校を出て三十以上まで通り越せなかったのです。その苦痛は無論鈍痛ではありましたが、年々歳々感ずる痛みには相違なかったのであります。だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならん事を希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握る事ができるようになると思うから申し上げるのです。』

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