ハワイ/島と骨

 1881年、ハワイ王国国王カラカウアは日本にやって来てハワイ−日本の連邦化を申し出た。そこでは日本主導によるアジア圏共同体の立ち上げも提案されている。ヨーロッパ列強とアメリカが植民地支配をどんどんと拡張することに対する防衛策だった。
 日本はアメリカとの関係を考慮してこれを丁寧に断る。

 そうこうするうちに、ハワイではアメリカからの入植者が勢力を拡大し、1887年にクーデターが起こる。これによってカラカウア国王の権限は限定的なものになり、さらに1893年に再び起こったクーデターではアメリカ海軍が介入。クーデター首謀者ドールがハワイ臨時政府を宣言する。
 翌年、1894年、ドールはハワイ共和国を宣言。自ら大統領となりハワイをアメリカに併合する条約を制定。
 1898年、ハワイはついにアメリカに飲み込まれる。ハワイ王国国旗は下ろされ、あの星条旗が、"僕達の大好きな"星条旗が掲げられた。
 1959年、ハワイ州制定。

 1993年にアメリカは、これら一連のハワイの乗っ取りが違法だったと謝罪している。してるけれど、まあ謝ったからなんだというんだろう。壊れた物は戻らないし、戻す気もないだろう。
 ハワイはたかだか100年前まで、アメリカなんかじゃなくてハワイ王国だった。
 今はもうアメリカなんだろうか。
 今も、それはある意味ではアメリカに植民地支配されているハワイ王国だ。

 第二次世界大戦以前の植民地主義というのは武力によるもので分かりやすかった。
 大戦後、国連が作られて植民地政策の撤廃が宣言されたので、表向き植民地はなくなったことになっている。だけど、戦勝国は当然、当時持っていた植民地を手放したくなんてなかったし、国連と同時にIMFなんかも作って世界のお金の流れをコントロールすることにした。武力ではなくマネーで植民地支配を継続する体制を整えた。暴力は影を潜め、支配は不可視化される。ついでに、教科書に「世界大戦で反省した人々は、国連という素敵な組織を作って、植民地支配もきっぱりやめることにしました」と書いて子供達に読ませておけば、先進国の経済的豊かさは植民地主義の延長にあるものだという歴史を消すこともできそうだった。

 夏が来ると戦争を思い出す。
 僕は戦争には行ったことがない。それでも、戦争のことを考えるというよりも、思い出すという方が感覚的には近い。
 どうしてかは良く分からない。
 小学校、中学校と夏になると平和学習があって戦争の話をたくさん聞かされた所為だろうか。夏休みの登校日、戦争に関する紙芝居を演じたりしたせいだろうか。オキナワの玉砕の劇を見たせいだろうか。原爆が落ちたのが8月だったからだろうか。

 あるいは、夏という季節には生と死のコントラストが強まるからだろうか。
 強烈な真昼の太陽を見ると、一瞬必ずジャングルの中で、疲労と飢えと病と怪我で死んでいった人々のことを思う。
 そして、そこにあるのは悲惨さと悲しさだけではない。

 いつだか、サイパンでの遺骨収集にあたる野口健さんの動画を見たことがある。
 もうすっかり平和になった暑い暑い島の大自然の中で、地面に落ちている人骨。
 全くおかしなことだけど、僕がそれを見たときに感じたのは悲しみでも痛みでもなく、懐かしさだった。僕はそこに行ったこともないわけだし、厳密には「懐かしい」とは違うのだろう、でも大体はそんな感じだった。どうしてそう感じたのかは分からない。

 日本人は、と大風呂敷を広げるつもりなんでないけれど、少なくとも僕は個人的に太平洋戦争を引き摺っていると思う。村上春樹が長年「どうしてかはわからないけれど」ノモンハンを抱えていたのも、最近では「どうしてかはわからないけれど」分かるような気がしている。戦争を知らない子供達であろうがなんだろうが、もしかすると僕達は誰もが一つ「もっとも身近な戦争」というものを抱えているのではないだろうか、という気すらしている。僕にとって、それはイラクでも湾岸でもベトナムでもなく、60年前の戦争なのだろう。
 そこには何かがある。

辺境・近境 (新潮文庫)
新潮社


地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相 (新潮新書)
新潮社

 
広告を非表示にする