body!

 一昨日、僕は"nuke isn't, but we are under control"という2ヶ月前に書いたものをブログに載せました。3.11以降、僕は3ヶ月近く何も書かなかったのですが、「京都、大丈夫?」というメールを海外からいくつか貰ったので、その返信のついでにこれを書いていました。日本語では本当にもうなんにも書く気にならなくて、なっても書いてすぐに消して、という状態で、でも肌身から遠い拙い英語でならなんとか長い文章を書くことができた。

 このブログに引用して、それで本当は続きを書くつもりでしたが、したいことが他にあったので、全文を引用して終わってしまいました。
 今日は、一昨日書きたかったことを書こうと思います。

 引用しようと思っていた部分は、「自分が震災のあと変わったように思うけれど、でもどう変わったのかはまだよく分からない」というような部分です。
 最近、それがだんだんと分かってきた。

 僕は、人類は火星には住まないのだろうな、と思うようになりました。
 突然火星とはなんだ、という話ですが、もしも一言で表現するならそういうことです。

 宮崎駿の映画「天空の城ラピュタ」では劇中にこのようなセリフがあったと思う。

「人は大地から離れては生きられないのよ」

 子供の時、はじめてラピュタを見たときからずっと、僕はこのセリフに違和感を感じていました。違和感なんて軽いものじゃない。反感です。
 もしも、人が大地を離れて失敗するとしたら、それは科学がまだ未熟だというだけのことで、もっと科学を発達させれば人は大地に関係なく生きて行くことができる、と思っていた。

 今はもう、そうは思っていません。
 「生存」は可能になるかもしれないけれど、「生活」はそこではできないだろうなと思っています。
 僕達は、たとえテラフォーミングを成功させて、どこかよその星を地球に似た星に作り変えても、きっとそこで幸福な生活を営むことはできない。子供の頃憧れてたスペースコロニーも、たぶん悲しい冷たい世界になる。
 なぜなら、僕達は地球からできていて地球の一部だからです。

 例えば、食べ物を食べる時、僕達がもっとも豊かな満足感を覚えるのは、なるべく天然に近い状態のものを食べた時です。農業技術の発達で、野生種よりも美味しい果物や野菜、交配された家畜の肉なんかもあるし、更にそれを調理して食べるので完全に自然とはいかない。それでも天然に近いことは確かです。
 この先、どんなに科学が発達したとしても、畑で採れたトマト、釣った魚の塩焼き、を超える「人工的な食べ物」は作れないと思う。 味の素と合成香料がいくら発達して、人の味覚が研究し尽くされ、食感の良い素材が開発されたとしても、栄養価がいくら高いとしても、僕達はドラえもんが出してくれる「未来の食べ物」をきっと有難がらないだろう。
 だって、僕達はこの生身の肉体で出来ているから。「ハイテクな未来の超絶においしい筈の食べ物」は、「もしかしたらハイテクな未来の超絶に良くできたアンドロイド」には「おいしい」と言ってもらえるかもしれない。だけど、僕達には、切れば血が出て歯磨きしないと虫歯になるこの不便な肉体を持つ僕達には、それは合わない。
 僕達には大地と海に育まれた食べ物が合う。

 僕達はこんな体で生きてる。
 走ったら疲れるし、せいぜい数十キロの物しか持てないし、空も飛べない、水を飲まなきゃ死んでしまうかと思えば、毎日数回トイレに行かなきゃならない。どんなに頑張っても100年くらいで死んでしまう。年をとるとあちこち悪くなる。ピアノの練習を一生懸命して上手になってもちょっと弾かないうちに忘れてしまう。

 同時に、僕達はこの体でしか味わえない喜びを沢山知っている。
 仮に、「では今からなんでもできる万能の幽霊に(スターウォーズのオビワンとかみたいに)してあげよう。そうすれば肉体の限界からは解き放たれ、空も飛べるし瞬間移動もできるし念力も使える」なんて神様が言ったとしても、それを受け入れたところに多分歓喜は存在できない。
 スポーツも旅行もセックスもデートも食事もお風呂も、全て、身体を通じて喜びをもたらす。肉体の介在しない喜び、なんて想像することができるだろうか。想像することはできるかもしれない。たとえばオビワンみたいになって、どっか遠くの宇宙の果ての綺麗な星を見に行くとか。でも、そこに喜びの実感は伴わないだろう。きっとそれは「綺麗だけど、まるで夢で見てるだけみたい」な感じになるだろう。

 とてもシンプルなことだけど、全ての喜びは肉体から始まる。
 ここがいつも中心だ。
 どんなに化学繊維が発達しても、コットンには永遠に敵わないだろう。コットンは「ここ」にあり、化学繊維は遠くにあり目指されるものだから。「ここ」とは別のところへ向かうものだから。
 僕達は土を離れては暮らせない。火星にも住まない。きっとずっとこの星にいる。これを閉じ込められて窮屈だ、と思うかもしれない。僕はずっとそう思っていた。でも地球を離れると、すこし遊びに行くくらいはいいけれど、長期的に離れると僕達は僕達ではなくなる。肉体から出ては、もはやそれが自分ではないように。
 我々はつまるところ身体と地球という自然によって規定され、かつ、それ故に豊かだ。

私の身体は頭がいい (文春文庫)
内田 樹
文藝春秋


くさり―ホラー短篇集 (角川文庫)
筒井 康隆
角川書店