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 夜中の丸太町通りを走る車は少ない。夕方に雷を伴い強く降った雨が、地面と御苑の木々にたっぷりとした水分を与えていた。真夜中の木々は光合成を中止して、僕達と同じように呼吸し、水と二酸化炭素を吐き出している。100%に飽和した湿度と、まばらな街灯の落ちる夜霧。
 僕は1日動きまわって音楽を聞くのもうんざりなくらいにクタクタで、ヘッドホンは耳から外して首に掛けたままだ。御苑から溢れでている樹々の匂いと涼しい湿気を吸い込んで、ヘッドホンを付けないとこんなにダイレクトに世界を感じることができるのかと思う。僕は今確実に、ヨギ達が言うところのプラーナを呼吸しているのだろうな、たぶん。

 とても久しぶりにブログを書いています。
 どれくらい久しぶりなのかと、自分のブログを開いてみると、最後に更新したのは2月27日でした。約3ヶ月の間、僕はブログを書かなかったということです。別に3ヶ月間ブログを書かなかったくらい、別に何でもないことではあるわけですが、結構な長期間、ときどきは何かしらの作文を書いていた僕にとって、これは特異的にイレギュラーなことです。少なくとも2005年に書き始めたブログがこんなに長い間空いたことはなかったと思う。

 どうしてこんなに長い間何も書かなかったのか、別に何か単一の原因があるわけではないけれど、それでも僕はやっぱり震災を一つの(控えめに言っても)かなり大きな要因だと言わないわけにはいかない。2月27日にブログを投稿して、それから3月11日に地震が起きた。地震マグニチュード9.0という史上稀にみる大規模地震で、激しく揺れた後には10メートルを超える津波が東北地方に押し寄せてものすごく沢山のものを破壊し、殺し、洗い流した。そして原子力発電所が機能を失い、数日後に爆発した。

 あれからもう3ヶ月が経過する。
 3ヶ月の間に、多くを失った、そして今だ失いつつある日本は、随分と変わった。僕自身も随分と変わった。震災とは関係のない部分でも、私的な様々なことが起こり、ある意味では僕は3ヶ月前までの僕とは全くの別人だとも言える。
 もっとも、「ある意味では」という便利すぎる言い回しは非常に意味の分かりにくい言葉なので、ある意味では別人だ、ということは、ある意味では別人ではない、ということだけど。
 ある意味では黒は白であり、ある意味では黒は黒である。

 教訓:便利すぎるものには意味がない、かもしれない。

 ある意味では「ある意味ではなんとか」という言い回しには意味がなく、ある意味では「ある意味ではなんとか」という言い回しにも意味がある。

 疑問:そもそも意味とは何か?

 実にキレの悪いことに、実に残念なことに、全てのことには何重にも重なった意味がある。あるいは何重にも重なって意味が無い。イエスでありノーであり、ノーでありイエスである。
 だんだんと、年を経る毎に「分からない」ことが増えていくなとは思っていた。それが、3・11以降、指数関数的に跳ね上がり、飽和した。とてもじゃないけれど、文章なんて書けたものではなかった。書いた先から、今書いたことを消して反対のことを書かないと先に進めないわけだから一行も進まない。じゃあ、何かを書いて、次にその反対のことも書いて、という風に進めればいいじゃないか、と思われるかもしれないけれど、どうやらことはそんなに単純ではないみたいだった。何かを書いて、次に「今書いたものを消す」ということを「書く」必要があるみたいだった。あるいは、「今書いたこと」のまさにその同じ部分に上から重ねて反対のことを書く必要があるみたいだった。いずれにしろ、到底まともな文章が出来上がるという雰囲気ではなかったし、それは文章というフォーマットの外側にあるものを文章の中に収めようとしていた、という意味で元々が不可能なことだった。

 と書いたそばから、もう逆のことを書かざるを得ないわけですが、そういう不可能なこともまるで可能であるかのような気分に、今日歩きながら(もしくはプラーナを呼吸して)なったので、その記念のような感じで、これだけ書いて眠ることにしました。「要は混乱がようやく治まって来たというわけだね」と一言でまとめられても、まあ文句は言えないわけですが、僕としては、言えないことを含めて、まあ実に、それなりに色々と思ったり考えたり体験したりしたわけです。

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