書評『芸術闘争論』村上隆:四畳半でもトレンディでもなく

 「四畳半でもトレンディでもなく」という書き出しを思いついてメモを取り、うまく続きが書けなくて放っておいたことがあります。そのフレーズを、昨日、村上隆さんの『芸術闘争論』を読んで思い出しました。

 『芸術闘争論』は極めて密度の高い書籍でした。最初から最後までクールなロジックと迸る情熱が一体となり、強いテンションが維持されています。
 正直に書くと、ちょっと泣きそうになったくらいです。
 この本に教えてもらった新しい知識と視点、それらを手に入れた爽快感。村上さんの明確で強烈な「伝える」という意志。
 この伝える意志は赤裸々すぎる程にビビットなものです。
 自分は伝えねばならないことを持っていて、それをなるべく効率的になるべく正確になるべく分かりやすく伝えたい、という意図がはっきり分かります。高々1890円しか払っていないのにこんなことをこんな熱心に教えてもらって良いのだろうか、と申し訳ないような気分すらしてしまいます。

 そして、何かのお返しをしたいという気持ちが点火されます。
 お返しは村上隆さん本人に返すのではなく、受け取ったバトンを誰かにパスする行為に転化されるでしょう。できれば自前の何かを添加して受け取ったものを誰かに渡すこと。
 僕が受け取ったものを自分なりの出力に変えるには膨大な試行錯誤と時間が必要で、取り敢えず今は生のままであっても誰かに届けたいとこれを書いています。

 『芸術闘争論』は上にも書いたように、言うべきことだけを書いた本です。全部が要点なので、「中でもこれがポイントだと思う」ということを言うつもりはありません。ここでは、要点に触れるという意味合いではなしに、僕がしばらく考えていた「貧乏」というものに村上さんも触れていらっしゃったので、それについて書きたいと思います。

 村上さんは歴史を引いた上で「芸術=貧乏」というのが日本にインストールされている、ということを仰っています。
 貧乏が正義だと、あるいはお金に対する嫌悪感が僕達の心に埋め込まれていると。

 僕は今31歳ですが、20代の後半までこの事に気付きませんでした。
 冒頭に上げた「四畳半でもなくトレンディでもなく」という言葉に落とし込むことができたのはせいぜいここ1,2年のことです。

 僕は所謂”芸術家”ではありません。物理学を中心に、小説を書いたり何かを発明したりデザインしたりしてやっていきたいな、それってもしかすると包括的な名を付けるなら芸術家ということになるのかもしれないな、と思っているような人間です。

 今書いた芸術家というのは、村上さんの言っておられる「西洋式のART」とは関係なく僕がイメージとして持っているものです。芸術というのが一体何なのか考えるのが辛くなって、僕は1,2年間「芸術」という単語を使わないようにしていました。ヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』を「語りえぬものについては沈黙せねばならない」と括ったように、僕も沈黙で抑えこもうとしたわけです。

 ただ、黙っているだけでは「芸術」とは無縁なだけの人間なので、黙っていくつかの物を作ってみました。そうすると僕の作りたいものは「綺麗な物でちょっとびっくりして楽しんで貰いたい」ということでしかなく、あまり芸術とは関係ないように思えました。

 京都の出町柳には賀茂川と高野川が合流して鴨川になるデルタ状の公園があります。映画パッチギのクライマックスで決闘シーンに使われた場所です。海や湖のない京都にとって、川に囲まれた公園というのは水に近い貴重なポイントです。さらに、この公園は京都市北部における重要交通拠点、京阪出町柳駅のすぐ前に位置していて人通りも多い。
 ところが、この公園にはほとんど灯りすらなく、夜は真っ暗です。

 僕はそこに5x5x5メートルの大きなキューブ型照明を置けば、道行く人々が「わあ、綺麗」と思ってくれるのではないかと思い、そのようなものを作ってみました。
 京都がハレの日になる真夏は7月15日、祇園祭の夜に実行したことが裏目に出たのか「ここに建造物を作るのは違法」だと、僕達は部品を組み立てている時に消防局に取り押さえられてしまいます。
 主な計画や作業は友人と二人で何日も徹夜して行い、僕達はそれなりに真剣だったので、撤収を手伝ってくれた友人達が帰った朝方、僕達2人はヤケを起こして残骸を徹底的に破壊してしまいました。
 2000ワットの発電機に繋いでいた数十個の電球からなる強力な光源は、名前も知らない夏の夜の虫達を誘惑して高熱で焼き殺し、死骸の山を築いていました。無為に殺してしまった虫たちと手伝ってくれた友人達に対する申し訳なさがギュッと胃袋を押し付け、圧倒的な体力の消耗と無力感を感じながら、白み始めた夏の早朝、とぼとぼとアパートに帰ったのを今でも良く覚えています。

 このように、僕はもしも何かを作るとしたら、それはパブリックな場所に露出したものが良いと思っていました。ただ、上記のようなものが「芸術か?」と言われたら、やっぱり「いや、芸術ってわけじゃないんだけど。。。」と口篭ると思います。「ただのイタヅラじゃないか」と言われたらそうかもしれない。
 でも同時に、僕はこれが「ある光」になりうる可能性というのも信じていたわけです。

 現代の物理学者は真空が「何も無い空間」ではないことを知っています。そこでは粒子と反粒子が常に生成し対消滅しています。沸騰して沸き立つ鍋の中みたいにグラグラとダイナミックに真空は動いています。僕達は肉眼でそれを見ることはできない。だけど、最新の観測装置で一つの生成消滅が見えたら、本当にそれを見たら、そしたらその見えたものは「ある光」にならないだろうか。
 僕にとっての「ある光」とはそういうイメージです。
 僕達は限定された枠組みの中で人生を送ります。五感という限定された感覚器官と、脳という限定された思考器官と、80年という限定された生存期間。長い歴史に組み立てられた毎日の生活。その外側にあるものを、微かに光る、一瞬だけでもキラリと光るものでいいから見れたらいいと思う。
 いつの間にか、僕にとって芸術はそういうイメージになっていました。そして、気づけばいつもイメージは言葉に変換されています。

 話は「貧」に戻ります。
 この失敗した巨大照明のときも、他のいくつかの小さな試みのときにも、僕達は「低コスト」であることにこだわっていました。
 現実問題としてお金がなかった、というのは勿論あります。無駄にお金がかかるよりも低コストで抑える方が良いのは、まあ当然だとも言えます。
 でも、それ以上に「お金を掛けないのが良いことだ」という思想がありました。

 「お金を掛けない=良い」に疑問を持ち始めたのは、一緒に動いていた友人が僕よりも遥かにお金にシビアだったからです。僕が「ここにはもう少しコストを掛けたいから、もう少しあれを買おう」というようなことを言っても彼は聞き入れてくれません。「じゃあ僕が払うから」と言っても「そういう問題じゃない」と返してきます。
 そうです、そういう問題じゃないのは僕も分かっていました。
 貧困という正義の問題だったのです。

 ただ、僕はほどほどにしかコストのことを気にしていなかったので、しばしば「部品を買う買わない」では彼と揉めました。ケンカになり、それでも作業はしなくてはならないので、お互いにすべき事は分かっているのを幸いに、無言で険悪なまま作業を進めることもありました。

 「どうして、この人はこんなにお金を使うことを嫌がるのか?」という問いは、そのまま「どうして僕は無条件に低コストが良いと思い込んでいるのか?」と変換されて自分に返ってきました。
 その疑問を抱えたまま暮らしていると、本屋である本が目に留まります。森見登美彦さんの『四畳半神話大系』という本です。

 『四畳半神話大系』というタイトルを見た瞬間に色々なことがばーっと分かりました。
 森見さんは僕と同い年で、同じ京都に住んでいて、本も売れているので勝手な妬みが全くないとは言いません。
 しかし、そういう妬みを抜きにして、僕はこの小説のタイトルは「イヤったらしい」と思ったのです。そう思った瞬間、ガツンとした衝撃があって、僕の貧困を美化してしまう呪いは解けました。イヤったらしいのは僕自身だったのです。僕が彼に妬みを感じていたとしたら、それは年代や地域性のことだけではなく、彼が「貧乏学生礼讃」という僕もある程度理解し礼讃していたものをウリにしていたからでした。

 僕は貧乏を礼讃しているかもしれない。
 と、この時やっと気づきました。

 この森見さんの本は売れて、アニメ化もされました。
 つまり、貧乏礼讃は流行っているということです。

 そういえば、貧乏な主人公が貧乏な生活をする物語はたくさんあります。いつの間にか「四畳半でバイトしながら夢を追いかけて」というスタイルが完全に消化されているのです。完全に消化されたというのは、そういう暮らしをしている人が沢山いるということではなく「私は仕送りも十分貰って家賃7万円のバストイレセパレートに住んでいるけれど、でも貧乏でバイトして夢を追っている生活って、なんか憧れるなあ〜、私はしないけどw」という人が沢山いるということです。
 「夢」自体がターゲットだった時代から、「夢というターゲットを射抜く為の泥臭い生活」自体がターゲットという時代に完全シフトしたということです。

 「夢追い人」がけして沢山いたのではないように、「夢追い貧乏生活追い人」も社会全体からすればそれほど沢山いるわけではありません。大抵の人が誰かの「夢」を買って鑑賞していたのと同じように、今では多くの人が「夢追い貧乏生活」を買って鑑賞することとなります。映画館へ行ったり、本を買ったりして、貧乏を疑似体験するわけです。利休から”貧乏”を大金で買おうとした秀吉のように、家賃7万円セパレートのエアコンの中でお菓子でも食べながら貧乏物語を読む。これが細分化された現代のトレンドの、少なくとも一角を担っています。

 物語に出てくるのは「売れない」絵描きとかバンドとか作家とか、そういう人々ばかりです。成功物語ではなく、成功しないことの奥ゆかしさ物語です。
 物語には人々を教化する作用があるので、「売れない、貧乏」というトレンドから生まれる物語は「売れない、貧乏」を目指す人達を増産します。
 ここには無限ループが待っていました。「売れる」を目指しても全員が売れるわけではありませんが、「売れない」を目指して売れないことは誰にでも簡単にできるからです。これが「芸術は自由!何でもあり!バカなほどいい!変だったらいい!」というのと結びついて、訳の分からない芸術家ごっこが蔓延しました。

 僕は10年前「芸術に憧れる理系の青年」だったので、芸術好きを気取ってホイホイとギャラリー等に足を運んでいました。そして、あることに気付きました。それは「展覧会を開いている人の友達しか来ない」ということです。さらに、やって来た”友達”は「今度、個展するから」と言ってDMを配っています。そのDMの展覧会にも大体同じような”友達”が来て、またDMを配ります。
 なんという閉塞感だろう、ここではお互いがごっこ遊びの相手をしているだけだ、と思って僕はあまりそういう場所に行かなくなりました。DMの印刷会社と箱を貸しているギャラリーだけが儲けていました。

 貧乏、売れない、ということに求心力を持たせるのは、それが誰にでも簡単に達成可能故に危険なことです。
 僕はそれにほとんどハマっていて気が付いてなかったので、ここで自省を込めて書きますが、「夢追い貧乏生活」がターゲットとなっているというのは、変形したあきらめに他ならないのです。
 これは誰にとっても都合の良い誤魔化しになっています。
 夢追い貧乏生活を営む当人にとっては、「夢」は手に入らなくても既に目的としていた「夢追い貧乏生活」自体は手に入っているので”達成”した「このままでいい」ことになっています。
 鑑賞者は、自分が憧れているものが良く良く考えてみたら今の自分よりもひどい生活なので、実は憧れているものに勝っている!「このままでいい」と思い込むことができます。
 さらに一歩外にいる人達は、ここをネタにしてビジネスができますし、貧乏志向の人達は多くを欲しがらないので競争相手が減って万々歳です。
 これは歩みを止めた、楽なだけの状況だと言えます。

 歴史的な背景も踏まえて、自分がどうしてそれを選びここにいるのかを考えると、もしかしたらぞっとする人もいるかもしれません。ポストモダンを生きているというのに、僕はあまりにも無自覚でした。
 
 もしもトレンディドラマを追いかけていた人々を馬鹿だなと思うのであれば、今僕達は、その反対のような、貧乏というものを追いかけている馬鹿な人々かもしれないのです。

芸術闘争論
幻冬舎


芸術起業論
幻冬舎